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#449 主体性とアメリカ社会

 主体性という言葉があります。自分自身で考え、動く。主語を常に自分にする。同調圧力や社会通念に屈せず、行動理念を自ら創造していくこと。

 日本人は「主体性」というものが見えないとしばしば言われます。集団や社会の「空気を読む」ことが得意な日本人は、相手への気遣いや配慮、その結果培われるバランサーとしての能力と引き換えに、わがままで、社会の空気を読まない自己主張を失っていたのかもしれません。

国際ジャーナリストや作家として活躍しているモーリー・ロバートソン氏の記事を見つけました。

モーリー氏は日本と米国の「主体性」に関して以下のように述べています。

 大前提として、社会の分断を加速させ、民主主義そのものを否定するかのようなトランプ運動に私は極めて批判的です。ただ、そこには(事実認識が間違っているとしても)「壊れたアメリカを自分たちが立て直す」という確かな熱が存在します。(中略)つまるところ、アメリカは「受け身であることになんのインセンティブも働かない」社会です。昨今のトランプ支持者の暴走は、そんな強固な個人主義、そして直接民主主義的な思考がむき出しになった"症状"であるともいえるでしょう。

 自分の人生を「見えない誰か」に任せるのではなく、「自分自身」で創造していくことの大切さがある。自分の価値観を他者に依存した人たちは結果、人生の舵を手放してしまうことになるのです。

 モーリー氏は「熱量」の重要性を指摘。自分が何に対して情熱を燃やせるのか。その熱量があれば、日本の教育もよりよくなっていくと語ります。

 じゃあどうすればいいか、という話はもちろん簡単ではありませんが、本当に熱を持ってやろうと思えば、できることは少なくありません。例えば小学校教育にディベートを導入し、自分と他者を相対的にとらえつつ対立軸を認識する経験を積む。企業の仕事の流れにもディベートを持ち込む文化を醸成し、一定の"下剋上"を許容する。ジェンダーパリティ(社会における男女公正を示す統計的尺度)を重視し、官民で実行する。家族制度の柔軟な再編、多様化を真剣に検討する。移民として外国人を受け入れることを、社会全体でより明示的に議論する......。要するに、自分と人は違うということを前提に、折り合いをつけつつ社会を作っていくことを多くの人が自覚すべき時代になったのではないか。私はそう考えています。

 


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