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1冊目 『泣いた赤鬼』

小学生だったころから、この話が好きだった。
当時は、その「好き」のわけをはっきり言語化できなかった。
けれど、なぜが心に残って仕方なかった。

小学生だったころから、この話の読後感が気に入っていることは自分でも分かった。
なんとも表現できない切なさに惹かれていたと思う。
身の周りにあった絵本や物語は、だいたいがハッピーエンド。
けれど、この話はそうではなかった。

大人になってから、道徳の副読本で久しぶりにこの話に出会った。
かつて自分が読んだときの、その感覚を子どもたちにも味わってほしかった。
だから赤おにの気持ちをたくさん考えさせた。青おにの気持ちもたくさん考えさせた。
けれど、そうやって引き出した子どもの反応は、果たして自分の感じたものと同じだったのか、よく分からなかった。そもそも、道徳のねらいと、純粋に読書をして味わった感覚とは、別物なのだろうと授業をした後に気付いた。

noteに“Book_s”のシリーズで文章を書こうと思ったとき、すぐに「泣いた赤鬼」の物語を思い出した。本棚にあったから、最初から読んでみた。
浜田廣介さんの文章を読んで、「あ、昔読んだ絵本と違う気がする」と思った。
原作は、現代の言葉づかいよりほんの少しだけ前の時代の雰囲気で、だけれどとても読みやすい。読点がたくさんある文章は、リズムよく身体に入り込んでくる。

どうして、10歳の少年でも、40歳を超えたいい大人でも、この物語を楽しめるのだろうか。

たぶん、この話に出てくる登場人物たちは、みな自分の気持ちに正直に生きているからだと思った。そのうえで、悪者がいないから、なのかもしれないと思った。何か以前似たような感覚になった物語があったような…と少し思いを巡らせたら、初めて「千と千尋の神隠し」の映画を観たときのことが思い出された。この2つは自分の中で共通点があるのだ、ということにしよう。

どの登場人物たちも、その状況に出会って、正直に自分のできることをしている。

人間も。
赤おにも。
青おにも、多分。

青おには、赤おにへ作戦を授けたとき、果たして最後の結末が分かっていたのだろうか。
「ものがなしげな目つきを見せて」という表現があった。
全部分かった上で、作戦を授けたという風にも読めるし、そうではないのかもしれないし。
あまり深い分析をしようとしないでおこう。

赤おにみたいなやさしさ。
青おにみたいなやさしさ。
泣いた赤おに。
青おにも泣いていたかもしれない。

作:浜田廣介
題:泣いた赤鬼


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