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ISSUE.01「林檎宇宙」食べる編

前回、林檎との出会いまでを書いた。
二日酔いで畑に向かい、そこで出会った宇宙的な林檎のお話し。

興奮気味に浮かれていたことが伝わるエピソードではなかっただろうか。
たったひとつの林檎に宇宙を感じたわけだが、視覚的に愛でることに加え、気になることも残っていた。

それは味……。

林檎として生まれてきた彼(彼女)を食してしまえば、たちまち形はなくなってしまう。だがあわよくば味も知りたい。好奇心が拭えない。

たったひとつの奇跡のような林檎を切るのは忍びない。でも気になる味……食感&フレーバー。forever解らないのか?

そんな苦悶を察してか、冨永さんは私に残りの一個を分けてくださった。ああ、なんて優しいんだろう。図々しくも有り難くいただいた。そうして宝物のようなお土産を抱え、ハスネファームを後にした。

もうルンルンでしっかりとふたつの林檎を持ち帰る私。右の子が食べられる運命。

もう、お腹がペコペコで友人とどこかでランチをしようと足早に駅へ急ぐ。
いろいろ探して地元の喫茶店に入る。「珈琲喫茶 1.4 燻製料理」の看板が主張気味。店名は「はすね」だった。(あとでググりました)

胃にやさしそうな自家製スムージーと、友人とオムライスをシェアした。染みる……! 店内はおじいちゃんたちの憩いの場らしく、和やかだった。

東京郊外の蓮根の町は、穏やかだ。住む人が楽しそうに見えた。

駒込の殿上湯に行く予定を見送り、ずっと体調を心配してくれていた友人と別れた。

その晩は、デザイナーの親友の家に泊まることになっていた。早く林檎自慢をしたい、という思いと「林檎自慢ってなんやねん」みたいな気持ちだった。とりあえず夕食を作った。

ハスネファームの直売所で買った紅大根とカブ、お裾分けの葉物野菜をサラダに。

実に野菜がおいしい!
葉物の勢いがすごい。大根のちょっとした苦味もうまい。人参も煮たが、人参らしい甘みとかクセ。スーパーに並ぶほぼ同じ規格サイズでまっすぐな形の味も色も薄いあの人参が好きではないので、畑で採れたての人参を食べれることがうれしい。シンプルにいただいた。

畑でもらった? 微粉か菌のせいかわからないけどムズムズ連発していたくしゃみもようやく収まった。

ごはんを食べてたわいもない話をして夜は更けた。

結局、林檎を切ったのは3日目の朝だった。
早めに起きて、体を動かして。自然光が入る中お味噌汁を啜って。大事な瞬間はゆっくりと息を整えて。

さようなら、すべてのエヴァンゲリオン……

ところで余談だが、シン・エヴァにも農業シーンが登場する。最後の方のシーンでも、家畜と呼ばれる動物たちが空から降ってくる。それで、「ああ庵野さんはこんなことを考えていたのか!」と驚いて妙に納得した。シンエヴァのラストも意外にもすんなりと腑に落ちたし、希望に満ちていた。もう一度映画館で観たいなぁ。(自然と人間の未来を疑似創造してくれたエヴァに感謝)。

さて、カットの瞬間が近づいて参りました。

思い切ってスパーッといってみます!

意外と青い。意外と、瑞々しい。

思ったよりも、サクッとした感触で林檎は切れた。水分を含んだ表面がじんわり濡れている。ただ所々乾燥もしている。色は青みがかっている。初々しい感じと、褐色に痛んでいるところと。ふむ……

さっそく、囓ってみる。

サク……とシャリ……の中間?

甘さはない。酸っぱくもない。ほんのり林檎の香りがする。食感は数日経った林檎らしい歯触りで、正直とっても美味しい!っていうものではない。

でも、それは当たり前だよな。

もぐもぐと食べて、友人にも食べてもらった。

マンガみたいな食べ方した。林檎を囓るってなんとなく青春。

「そんなに大層なことではないんだよ」と林檎が呟いた。(かもしれない)。これはただの林檎で、ただの偶然の産物で、それが必然的に循環しているだけかもしれない。私たちの知り得ているものが、たとえ地球上でたったひと欠片のゴミ屑のような情報でしかなくても、知ることをやめてしまうことはできない。自然の摂理を、自然の均衡を身をもって知りたい。ただ「食べる」ことだけではなく、なぜそこにそれは在って、私たちは生きていくのか。そういった普遍的な問題を、ひとつの林檎から学びとっていくこともできる。







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