見出し画像

瀬戸内に行く計画を立てる話2 ~アート鑑賞は人生そのもの?~

この記事は、GWに瀬戸内観光を予定しているアートシロウトのわたしが、どのようにアートを楽しもうかと模索した軌跡です。勢い余って、人生に対するちょっとした悟り(のようなもの)まで獲得しました。アートに詳しい方も、わたしのように馴染みの無い方も、ぜひお楽しみください。


アートに対する反省と課題

前回の記事で、およそ瀬戸内の地理を押さえた話をした。これで準備はばっちりだから、あとはGWを待つだけ。そう思いたいところだったけども、わたしはもう一歩踏み込んだリサーチをしようと決めた。なぜなら、わたしにはアートを楽しむ心、つまり「芸術的感性」が無いからだ。前回の記事を読んだ人は、わたしのことを「アートが好きで美術館巡りが好きなハイセンスな人」と誤認した可能性があるけど(ないない)、それは正確な理解じゃない(そう)。グルメに興味が無さ過ぎるあまり、相対的にアートに興味があるようになっているだけなの。

ミュージアムショップで訳の分からない物を見て喜ぶのが好きなだけの俗物。わたしはそういう人間だ。

だから、美術館の展示も爆速で見終わってしまうことが多い。去年、東京上野でモネ展を見に行ったのだけど、すぐに見終えてしまった。モネの美しい絵の数々に、「綺麗だな」と思いはしたんだけど、感想はそれだけ。同じことが過去の岡本太郎展でも起きた。それらは、遠出をしたわけでは無かったからまだ良かったけど、今度はせっかく瀬戸内まで行くのだから、心打たれたという体験をお土産にしたい。

そう思ってリサーチを始めたところ、下記の言葉を目にした。

太陽の『赤い光』を宇宙の果てまで探してきて、それは直島の海の中で赤カボチャに変身してしまった

ART SETOUCHI

これは、直島にある赤南瓜の作者、草間彌生の言葉。正直、これを読んだとき、わたしの頭にはたくさんの「?」が去来した。なぜ直島で? かぼちゃに? きっと、こういうアーティスティックな言葉をなぞらえて楽しめる人が、芸術的感性のある人なんだろうな。悔しいけど、わたしにはとても無理……。

でもでもでも。なんだかんだ言っても、海沿いに唐突に現れる派手なオブジェには、SNSに写真を投稿したい現代人を集客する機能がある。だから、草間さんは、ビジネス的な思考で、観光客が写真を撮りたくなるものを置いたじゃないの? 

そんなことを考えながら、わたしは瀬戸内のアートに関する前提知識を集めることにした。先のモネ展、岡本太郎展で得た反省は、それらに行ったとき、わたしは事前に情報を全く調べなかったこと。予備知識があれば、同じ展示を見ても感想は違ってたんじゃないの? もしそうなら、今回はそれをしておきたい。つまり、旅の事前準備は、航空券手配や経路の確認だけじゃない。わたしの頭の中に「知識」というガイドブックを用意することも、含まれるわけだよ。

草間彌生について調べてみた

先にも少し触れたとおり、瀬戸内海に浮かぶ直島には、赤南瓜と南瓜という2つの作品が屋外に展示されている。赤や黄色をベースに、黒の水玉模様を散らしたエキセントリックなオブジェだ。風景に溶け込む気など毛頭ないようにも見える。その草間さんの作風は、誰もが一度はメディアを通じて目にしたことがあるはずだ。わたしもそうだったけど、そもそも草間彌生さん本人についてほとんど何も知らないことに気づいた。知っていることといえば、先に書いた奇抜な作風であることと、ロバート秋山のクリエイターズファイルに出てきそうな派手なルックスであることくらい。そもそもどうして水玉柄なんだろう? 何気なく受け入れていたことも、改めて考えて見ると不思議なものだな。

さっそく草間彌生さんについて簡単に調べてみた。以下のサイトが簡潔にまとまっていて分かりやすかったから、興味のある方はぜひ読んでみてください。

草間彌生のアイコン~水玉(ドット)と網(ネット)と南瓜(かぼちゃ)
『世界中を魅了する前衛芸術家、草間彌生』
草間彌生《南瓜》はいかにして直島のシンボルになったのか

これらのHPによると、水玉柄も、南瓜というモチーフも、彼女の幼少期が関係しているみたいだ。草間さんは子供の頃、心の病で視界が網目模様になってしまうことがあったようで、水玉柄の着想はそこに端を発しているらしい。あと、南瓜に関しては、子供の頃に「かぼちゃ、なんかいいな!」と思った気持ちをピュアに貫いているのだとか。派手でハッピーに見える作風が、子供の頃の苦しみと、心の支えとなったモティーフから来ていることは、初めて知る事実だった。

彼女の自伝『無限の網』が気になって思わず買ってしまった。瀬戸内旅で読もうと思っていたけど、冒頭を少しだけ覗いてみると、「(日本人は)現代美術に対する真の関心と理解が無い」という嘆きが書かれていてドキリとした。

わたしは現代アートの必要性を感じているのか?
残念ながら、答えは否。

もちろん、無いよりはあった方がいいとは思っていたけど、それは遊園地のアトラクションのような位置づけ。たまに食べると美味しいスナック菓子のようなもの。それがアートに対する、自分の認識だということに気づかされた。

アート思考との出会い

こうして草間さんの情報を入手している内に、ベネッセアートサイト直島のサイトが、読み物としてかなり面白いことを発見した。特にサイトからダウンロードして読める広報誌が充実の内容で、これから訪れる身としては内容も興味深い(写真も綺麗)。そのなかに、どのようにアートを楽しめばよいかのヒントになりそうな記事を見つけた。

私はまず、「よくわからないもの」に対して漠然と抱いている「違和感」を、遠慮せずに吐き出してみることから鑑賞を始めています。(中略)
ある程度、違和感を出しきったところで、2つめのステップ。出てきた言葉に対し、「どこからそう感じたんだろう」「そこからどう感じるだろう」と問いかけ、それらを掘り下げていきます。
「なんだこれ?!」という違和感は、じつは自分の興味の裏返し。前述の2つの問いかけによってその感情の根拠を探ることは、自分の興味を引き出す作業でもあります。最後のステップは、「問いをたてる」ことです。2 つめのステップで出てきた言葉から「なぜ~なのか?」 という疑問文をできる限りたくさんつくってみましょう。出てきた疑問文の中に、とくに気になるものはありますか? それこそが、あなたの中に眠っていた「問い」の片鱗であるはずです。

「自分だけの問い」を生む出すアート鑑賞 末永幸歩

なにこの文、めっちゃオモロ!
(面白すぎるあまり引用文が長くなってしまった)

どうやら、これを書いた末永幸歩さんという人は『13歳からのアート思考』というベストセラー本の著者らしい。そんな本があることさえ知らなかった。ぜひ買って読みたいけど、草間さんの本も買っちゃったし、読む時間がなさそう……。

悩んでいると、彼女がUdemyで「【ベストセラー著者と実践!】大人こそ受けたい 「アート思考」の授業 ─瀬戸内海に浮かぶアートの島・直島で3つの力を磨く─」という講座をアップしていることを知った。なによもう。タイトルからしてわたし向けみたいなもんじゃない。それに、Udemyならご飯を食べたり、食器を洗いながら観ることができる。しかも、会社のアカウントがあるからアクセスへのハードルはゼロ。仕事と全く関係の無い分野の動画を視聴することになるけど、ごめん会社。そしてありがとう。

というわけで、さっそく視聴してみた。その冒頭で末永さんが「アートを楽しむうえで知識を集めることは、(あくまで)楽しみ方のひとつ」と言っていて、それは情報収集に走ろうとしていたわたしに宛てたメッセージのように聞こえた。良い意味で裏切られた気持ちになりながら、食い入るように動画を見続けた。

鑑賞ツアーにオンライン参加

その動画は、講師である末永さんと共に、地中美術館(in直島)での鑑賞ツアーに疑似参加するパートをメインにしていた。10人ほどのリアル参加者が画面の向こうにいて、自分も彼らと地中水族館にいるような感覚になれる。そのツアーでは、「主観を信じよう」「視点を変えよう」「疑問を抱こう」の3つをテーマにワークを行っていた。その合間に、末永さんによるアート小話のパートが差し込まれる。その中でわたしが面白いと思った内容をひとつ紹介したい。

それは、現代アートの説明。

正直なところわたしは、現代アートとそれ以前のアートの違いさえ分かっていなかった。けれど、現代アートには、「カメラというテクノロジーが生まれた後のもの」という特徴があるのだとか。カメラ登場以前のアートは「世界を写実する」って目的があったけど、カメラがその機能を担う現代においては、アートにはっきりとした目的は無い。

機能をテクノロジーに奪われ、目的を失い、存在意義に疑問が生まれたアート。

その後に生まれたのは、「正解がない」という無限の可能性。
鑑賞者は自分だけの正解を、自由に解釈することができる。

やば。それって、「世界」や「他人」、そして「自分」と向き合うときに通ずるスタンスじゃないですか?

ツアーに疑似参加するパートも面白かった。末永さんはまず、リアル参加者に作品の置かれた「空間」に対する感想を求めていた。作品を見る前に、床の材質とか、光の感じを観察して、「その作品が、なぜこのような空間にあるのか?」をまずが考えてみる。それが新鮮だった。振り返れば、今までのわたしは「美術館に展示してあるからには、きっと何か凄いんだろう」と思って、全てに対して何の疑問も持たずに鑑賞してきた。

あれ、その姿勢って、もしかしてわたしの生き方を現わしてる……?

二次創作という正解らしきもの

あとは、「主観を信じよう」のテーマの授業で行っていた「100文字ストーリー作成」というワークが興味深かったので紹介したい。まず、「アウトプット鑑賞」という別のワークをして、その作品に対して思いつく言葉をノートに書き連ねる。その後、それをもとに100文字程度のストーリーを作る。それが、「100文字ストーリー作成」。それで出来上がったものが自分の主観。自分だけの正解ってわけ。

なにそれ、面白い。
二次創作じゃん、わたしもやりたい。

画面の向こうのリアル参加者たちは、モネの「水連」で100文字ストーリーを作っていて、わたしも俄然やりたくなった。彼らのストーリーはどれも個性が現れていて面白かった。

結局、アートをどのように楽しむか

記事の中盤で、「アートは自分にとってスナック菓子のよう」と書いたわたし。でも、末永さんの講座を視聴して、正解のないアートに向き合う姿勢からは、沢山の示唆を得られそうだと考えが変わった。たとえば、草間さんのかぼちゃに対して抱いた「集客機能」という考えには、機能面に重きを置いて世界を捉えるわたしのスタンスが色濃く反映されている気がする。言い換えると、「機能」ばかりに囚われていて、そこにオリジナルの価値観はない。

がーん。最近なんとなく生きづらさを感じていたけども、その正体をアートに気づかされた気持ち。そして、「アートに触れる意味ってこれか」ってはっとした。それと同時に頭に刻まれたのは、現代アートにも世界にも、正解なんてないということ。なんでも自分が正解だと思えば、それが正解なのですね。そう思うと肩の力が抜けた。まだ瀬戸内に行ってないのに、家にいながら気持ちがクライマックスに到達してしまった。旅はこれからだぞ。

でも、二次創作もとい100文字ストーリー作成は、瀬戸内で絶対したい。瀬戸内への旅を「アート二次創作の旅」にしようかな。傑作が生まれたら、noteで発表したりなんかして。どの作品が元ネタかを明かさずに、二次創作だけを載せてカオスな記事を作りたい気もしてきた。正解がない分、楽しみ方は無限大。わくわくする。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?