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【完結/長編小説】「愛のカタチ」

2022年始より投稿してきた「愛のカタチ」を通しでお読み頂けます。
(若干の加筆・修正をしています。)執筆後記も投稿済みですので、ぜひご覧下さい。

<「愛のカタチ」は、こんなお話>
神社生まれの凜は、境内の神木と心を通わせることが出来る。そのせいで周囲となじめず、友だちは幼なじみの斗和しかいない。けれども、17歳の誕生日を機に、新しい自分になるべく恋人を作ろうと決意する。そんな凜のことを幼なじみの斗和は気にかけていて……。
二人の恋模様、そして成長と愛の物語です💖


<前編>

今日からは恋も勉強もイケイケの高校生活を送るぞ! と決めていたのに、どうして私ってばこうなんだろう。

 ――ハッピーバースデー りん――

 自分で用意したとは言え、せっかく優雅な気持ちで味わおうと思っていた誕生日ケーキを怒りにまかせて豪快に食べてしまうなんて、私ってばなんて馬鹿なんだろう。ろうそく、17本も立てるの大変だったのにな。

「お父さんは何にもわかってない。だからお母さんにも逃げられるんだ」

 母について行けばよかった。そう思ったのは何度目だろうか。それでも私が父と暮らすことを選んでいるのは、間違いなくご神木のせいだ。

うちは代々続く神社の家で、この街でもかなり長い歴史を持っている。毎年地域の方々から寄付を募り、秋には大規模な大祭も行っているほどだ。

秋祭りは、神社の境内にあるご神木に供物をささげ、日頃の感謝をお伝えするのが慣わしで、神事が終われば飲めや歌えの大騒ぎ。秋の実りを皆で喜び合うのである。

私はこの秋祭りが好き。なぜって、ご神木さまが喜んでいるのを感じられるから。

私は生まれながらにして、ご神木さまの気持ちを感じることが出来る。母が出て行ってからのおしゃべり相手はいつもご神木さま。どんなに落ち込んだときも、それこそ今日みたいに父と大げんかをした日でも、ご神木さまは慰めてくれるし、なにより心安らぐ。

ただ、宮司の父は、ご神木さまと繋がれることは知っているものの、日頃から対話している(ましてや愚痴をこぼしている)ことまでは知らない。すべてを知っているのは幼なじみの斗和とわだけである。

――今日のけんかの原因はなんなの?――

 ご神木さまが言った。私は独り言をつぶやくような格好で返事をする。
「また進路のこと。高二にもなったんだから、いい加減うちを継ぐ気持ちを固めたらどうか、って。だからね、神社を継ぐ気なんかないって言ってやったの」

 ――相変わらずね――

「なんで親に進路希望の紙を見せてサインをもらわなきゃいけないのかなあ? それがなければこんなことにはならなかったのに」

 ――そうかしら?――
 珍しく、ご神木さまは私に疑問を投げかけた。

 ――……ねえ、凜。前から聞こうと思ってたんだけど、高校を出たらどうするつもりなの? 凜が本当にしたいことって何?――

「それは……」
 痛いところを突かれ、押し黙る。ご神木さまは続ける。

 ――凜のお父さんが本当に聞きたいのはそういうことじゃないかしら? 継ぐ、継がないじゃなくて――

「……わかってるよ、そんなこと!」
 つい声を荒げ、直後に冷静になってため息をつく。

 そう。私は自分が何をして生きていきたいのか、はっきり決めてこなかった。何か夢中になれるものに出会っても、「それは神社の子とは釣り合わない」と言われている気がして、また実際父にそう言われたことさえあって長続きしなかった。

気づけば高校二年生。学校では、やれ進路を決めろだの、大学はどこにするだのと言われ、それもうんざりしている。

 だけど、とっくに気づいてるんだ。私は、父や周りの言いなりになりたくないだけだ、って。それで逃げ回って来ただけなんだって。でも、17歳になった今日から、私は新しい自分になるって決めたんだ。いい加減、鬼ごっこをやめて、次のステージに向かおうって。
 
 思い切って口を開く。
「ねえ、ご神木さま。こんなことを頼むのは間違っているかもしれないけど、私、変わりたいの。ちゃんと青春したい。……そのために力を貸してくださいますか?」

 ――ようやくその気になったのね?――

「ご存じと思うけど、私、今日で17になったの。なのに、16の時も15の時もその前も、ずーっとお父さんと喧嘩してる。しかも同じ内容で。
 知ってる? 物語に出てくるお姫様は、16で王子様と結婚するんだよ? なのに私、一度も恋してない」

 ――あら、凜は恋がしたいのね?――
 ご神木さまの声色が変わり、周囲がポッと暖かくなったように感じた。私の気分も高ぶる。

「そう! 運命の人と素敵な恋がしたいの!」

 ――つまりわたくしは、凜が運命の人と出会えるようにお手伝いをすればいいのね? わかったわ。わたくしに任せなさい――

 そう言うと、ご神木さまは黙り込んでしまった。

 大樹が、初夏の風にその葉を優しく揺らしている。まるで私を撫でようとしているかのように。

 ありがとうございます、ご神木さま。
 心の中でお礼を言った。最悪の誕生日になるところだったけど、これできっと素敵な17歳が始まるはず。いつの間にかわくわくしている自分がいた。

斗和

姉の妊娠報告はあっさりしていた。結婚報告の時と同じノリで「妊娠したよー」って、まるで友達に挨拶するかのような口ぶりだった。

「で、親には言ったの?」

「えー、これから。斗和に一番に言っときたかったんだー」
「なんで?」

「だって、かわいい弟には、わたしの嬉しいこと、いつでも知っておいてほしいんだもん。……ただ、妊娠って、だめになることもあるって言うし、親に言うのは安定期に入ってから、と思って」

「またまた、妹がほしかったからっておれを男と思ってない発言」

「そりゃあ、あんたのことは妹みたいに扱ってはいるけど、そうでなくてもわたしからすれば、17歳なんて男としては半人前よ」

「28のおばちゃんが何言ってんだか」

「おこちゃまにはアラサーの女の魅力なんてわからないわよ」

あ、そうだ! 姉は思い出したように言う。

「凜ちゃんにも教えとこうっと。あんたと一緒でかわいい妹みたいな存在だからねー」
「え、凜にも?」

なんだかんだ言って、妊娠したのが嬉しいから、思いつく限りの知り合いに報告するつもりなんじゃないか、って思ってしまう。顔をしかめていると、姉はあっけらかんと言う。

「あら。凜ちゃんはあんたの幼なじみじゃないの。教えたっていいでしょう? 家、隣なんだし」
「いや、そういう理由じゃなくて」

凜は昔からフツーじゃないものの考え方をする子なんだ。常識外れとも言えるかもしれない。特に人の出生について特別な考えを持っている。なんでも、神様と話が出来るらしくて、幼少期に聞いた「赤ちゃんは神様の涙から生まれる、凜もその一人だ」なんて話を未だに信じているらしい。

そりゃあ、神様の世界ではそうなのかもしれないけど、現実世界の人間ってのは、男と女がイヤらしいことをして子供を作るもんだ。凜だって、知識としては知ってるはず。なのに運命の人との間に、神様がポンッと子供を届けてくれるって信じてる。そこへ姉がさっきみたいに「妊娠したー」とおなかをさすりながら現れてみろ。じんましんでも発症するんじゃなかろうか?

「何か言っちゃいけない理由があるの? ならさ、あんたの口から言っといてよ。それでもいいからさ」

「はあ? やだよ、そんなの。大体おれが妊娠したわけでもないのに」
「ケチねえ」

「ケチって、おかしいだろ」
 とにかく、言うなら自分で言ってくれよ。おれはうんざりして姉の元を去り、自室に向かった。

 まったく、そろそろおれのことをちゃんと男と見なして接してほしいもんだ。姉はまだ半人前だって言うけど、妊娠しただなんて聞けば、どんな行為をしたか、想像したくなくてもしてしまう。そのくらいの知識と妄想力は持っている。

「高校生なんだし、もっと女の子と遊んだら? 斗和、イケメンなんだし」
 この前姉の夫、ダイにいに会ったとき言われた台詞だ。部活に精を出してる姿しか見てないからか、心配してくれているらしい。

 でも、いいんだよ、おれは。いつだって好きな女を眺めていられる環境にいるんだから。片思いでもいいじゃん。そもそも、付き合ったら二人の関係って何か変わるわけ?

「そんなだからお子ちゃまだって言ったのよ」
 急に背後から姉の声が聞こえ、慌てて振り返る。え、おれの心の声が聞こえてた? まさか、な……。

「勝手に部屋に入ってくるなって言ってるだろ! おれはもう赤ちゃんじゃないんだ、後から追っかけてこられても迷惑なだけだ」

ようやく一人時間を満喫できると思っていたのに、これじゃあ全く気が休まらない。しかし姉は聞く耳を持たず、おれの隣に立ってこう言った。

「あんた、わかりやすいよねえ。さっさと告っちゃえばいいのに」
「こ、告るって、だれに?」
「好きなんでしょ。凜ちゃんのこと」
「だ、誰が……!」

声がうわずる。たぶん、顔も赤くなってる。我ながら嘘をつくのが下手だな、と思った。姉はほくそ笑んだ。

「知ってるよ。いつだってこの窓から凜ちゃんの姿を探してること。お姉ちゃんが気づいてないとでも思ったか、ふっふっふ」

「うるせえ。放っておいてくれよ……」
「大丈夫。たぶん本人には気づかれてないから。残念なことにあの子、鈍感みたいだしねえ」

何が大丈夫なんだよ、と思ったが、もはや何も言えなかった。

「わたしが協力してあげよっか?」

「断る」

「まあ、そう言わずにさ。そうだ、一緒に計画立てよう。名付けて、斗和の告白大計画」

「ダサっ……」

「いいなあ、初恋。純だよねえ。でもさ、やっぱりこう言うのって、男が頑張るべきだと思うの。その方が女もぐっとくるから」

「……姉ちゃんに任せたらだめな気がするよ」

「えー、なんでよぉ。これでも数々の恋愛を経験してきてるんだよ?」

「いい。おれ、姉ちゃんになんとかしてもらうくらいなら自分でやる」

「あら、そう? じゃあ善は急げ、ってことで。今すぐ言っておいで」

姉が窓の外を指さした。そこには凜の姿があった。

「ちょ、ちょっと待った! おれ、まだ心の準備が……」
 思わず窓の下に身を隠す。

「意気地なし。自分でなんとかするって言ったばかりじゃない」
 姉もしゃがみ込む。

「そうだけど……。ほら、雰囲気とか、タイミングとかってあるじゃん?」
「それもそうね」
 姉は妙に納得した様子で頷いた。

ひとまず安堵する。しかし困った状況に変わりはない。何せ、姉はおれが凜に恋愛感情を抱いていると思い込んでいるうえに、おれから告白すべきだと決めつけている。

正直な話、おれの抱いているこの感情が、恋なのか友情なのか、よくわからない。遠くから凜を眺めるのが好きなのは認めるけど、キスしたいとか、抱きたいとか、そういう気持ちがないのも本当だ。だから、仮に恋人という関係になったとしても、どう振る舞えばいいかわからない。想像が出来ない。だったら別にこのままでもいいじゃん、って思っちゃうんだけど、それじゃあだめなんだろうか。

「よし!」
 考え込んでいると、隣にいた姉が勢いよく立ち上がった。

「姉ちゃん! 凜に見つかるぜ?」
「斗和。わたし、凜ちゃんに聞いてくる。今好きな人がいるかどうか、女同士なら話してくれるかもしれない」

「や、やめろって! 余計なことすんな!」
 しかし止める間もなく姉は部屋を飛び出し、気づけば凜と合流していた。
 おいおい、勘弁してくれよお……。


「凜ちゃーん。やっほー」
 自宅に戻ろうとしたとき、遠くから手を振る人物が見えた。

「あっ、エマねえ。帰ってたの?」
「うん。ちょっと斗和に会いたくなってね」
「相変わらず仲がいいね」
「だって斗和ったら、まだまだお子ちゃまなんだもん。お姉さんとしては放っておけなくてさ」
「まるでお母さんみたい」
「11歳も離れてるからね。斗和が大きくなった今でも子供扱いする癖が抜けないのよ」

エマ姉は、昔を懐かしむようなまなざしで向かいにある斗和の部屋を眺めた。

「斗和が生まれた日のことは今でもよく覚えてる。もちろん、凜ちゃんの小さい頃も。
 ……ねえ、凜ちゃん。お母さんがいなくて困ることがあればいつでも言ってね。わたし、結婚はしたけど家は近いから、助けが必要なときはいつだって飛んでくるよ。やっぱり、女の悩みは女にしかわからないと思うんだー」

「エマ姉……」

頼りになるお姉さんだ、と改めて思う。
 母が別居するようになってからというもの、エマ姉は何かと力になってくれた。それこそ、私のことを実の妹のようにかわいがってくれている。お陰で母なしでも10年やってこられた。

 結婚すると聞いたときには、もう頼れる人がいなくなってしまったと悲しくなったけれど、こうして時々顔を見せては気遣ってくれることが素直に嬉しかった。

(……待って、結婚? そうか! エマ姉なら恋愛のこと、いろいろ知ってるよね?)

私は一歩前へ進み出た。
「一つ相談していい?」

「どうぞ。何でも聞いて」

「……運命の人に出会う方法が知りたいの。私、17歳になった今日から、真面目に恋人探して恋愛するって決めたの。……エマ姉は、大介(だいすけ)さんとは運命感じたから結婚したんだよね?」

「運命の人!!」
 エマ姉は目を輝かせた。
「そうねえ。運命と言えば運命なのかな。ダイとは、乗る電車が一本でもずれていたら出会ってなかっただろうしね」

「電車での出会いだったの? わあ、素敵!」

「変な輩に絡まれてるところを、ダイが助けてくれたんだよね。ちょうど17。凜ちゃんと同じ年だったわ」

なんて運命的な出会いなんだろう! 私は空想にふけった。私もそんなふうにして運命の人と出会えたら……。

「でもねえ、凜ちゃん」
 勝手に盛り上がっている私に対し、エマ姉が冷静になって言う。

「運命の人を探そうと思ってる時って見つからないものよ。それに、わたしだってその瞬間にダイと結婚したいって思ったわけじゃないし。何度も別れちゃあくっつき……を繰り返してようやく結婚、って感じだもの」

「え、じゃあどうしたら出会えるんだろう?」
 わたしが真剣に悩み出すと、エマ姉は優しく微笑んだ。

「わたしはね、運命の人とはちゃんと出会えるようになってると思うの。遅かれ早かれ。だから、必死になって探そうとしなくても、そういう人は必ず目の前に現れる。ううん、もう出会っている可能性だってあるかもしれない」

「もう出会ってる……? まさか」

「その、まさかよ。まあ、焦らなくて大丈夫。まだ17歳でしょう? 恋のチャンスはいくらでもあるわよ。凜ちゃん、かわいいしね」

「えー、かわいいだなんて」

「自信を持って、堂々とするのも大事だよ。それだけで『なんかあの人、素敵だな』って思われる。男からだけじゃなく、女からもね」

「へえ。いいこと聞いちゃった。さっそく意識してみようかな」

何だかわくわくしてきた。エマ姉と話せて良かった。そう思った時だ。
 突然、締め付けるような痛みがお腹を襲った。思わずその場にしゃがみ込む。

「どうしたの? お腹、いたいの? ……ひょっとして、生理?」
 私は小さな声で「たぶん」と答えるのが精一杯だった。

初潮はかなり遅かった方だ。だから17歳なのに、まだ慣れていない。そして月経そのものを受け容れることが出来ずにいる。だって生理があるってことは、自分の身体が妊娠可能になった証拠。すなわち、それを認めれば私自身、あの父と母が結び合って生まれた命であることを自認せざるを得なくなる。

どうしてあの不仲な両親との間に私が生まれるのだろうか。ご神木さまの言うとおり、子供を望む夫婦の想いに感動した神様が涙を流し、それが赤ちゃんとなって二人の前に現れる、その方がよほど自然ではないのか。

私の思いをよそに、エマ姉は笑みを浮かべていう。
「生理があるってことは健康な証拠らしいよ。でも、我慢できない痛みがある時は、ちゃんとお医者さんに診てもらって、必要な薬を処方してもらうのがいいかも。私も痛みがひどかったから鎮痛剤飲んでたし。そうだ、まだ余ってるからあげようか?」

「うーん……。でも、もらっちゃったらエマ姉の分が」
「心配ご無用。わたしね、実は妊娠しちゃって。だからしばらくは必要ないんだー」

 妊娠、の一言に、全身の血の気が引いていくのを感じた。
 エマ姉と大介さんが仲のいい夫婦であることは知っていたし、結婚すれば子供をもうけるのは自然なこと。ただ、目の前にいるエマ姉のおなかにその命が宿ったのだと思うとにわかには信じがたかった。

「……どんな子だろう?」
 私の口から、そんな言葉が飛び出した。

「私に似てたらきっと美人さんかな。あ、なんとなく女の子って気がするんだよねえ」
 エマ姉は愛おしそうにおなかをさすった。

(私が言いたいのはそうじゃなくって……。)

うまく言葉に出来ない……。
 産み落とされるはずの赤ちゃんは、どんなことを思って母親の前に現れるのだろう? ご神木さま曰く、赤ちゃんは神様と相談して親になる人を決めるそうだけど、エマ姉のお腹の赤ちゃんもそうだったんだろうか……?

頭の中が疑問だらけになって混乱している。生理痛も加わって気分が悪くなってきた。

「やっぱり、お薬もらってもいい……?」
 私は耐えかねてそう言った。

* * *

「ほら、凜の好きなブルーベリーの乗ったチーズケーキ。うまそうだろ?」
「うん、おいしそう。ますます腕を上げたね」
「ま、誕生日ケーキだけは気合い入れるよ、おれだって」

その晩、斗和が恒例の手作りケーキのプレゼントを届けてくれた。エマ姉の影響か、お菓子作りも料理も得意。ケーキに限って言えば、私よりうまく作れるんじゃないかな。こうして私のためにケーキを焼いてくれるようになってもう5年になるだろうか。

腹痛は、エマ姉にもらった薬を飲んだらずいぶん楽になった。もし我慢していたら今ごろケーキどころではなかったに違いない。エマ姉には感謝だ。

(私ってば、斗和がケーキ持ってきてくれるの知ってたくせに、ばっかみたい……。)

17歳はいつもと違うことがしたくて自分でケーキを買ってはみたものの、全然おいしくなかった。わざわざデパートのケーキ売り場で購入したにもかかわらず。

「ね、一緒に食べよ?」
 私は帰ろうと背を向ける斗和に声をかけた。

「え、でも誕生日プレゼントだぜ? いいのか?」

「だって斗和、いつもできあがったケーキ食べてないでしょう? うまく出来たなら斗和もきっと食べたいだろうなってずっと思ってたの」

「珍しいな。凜が独り占めしたがらないなんて」

「そういう日もあるの!」

お父さんは近所の付き合いがあるとかで外食するらしく、家には私一人だけ。晩ご飯だって一人では味気ないのに、ましてや誕生日ケーキは一人で食べるものじゃない。悔しいけれど、お父さんとの喧嘩でそれを知った。

私は食器棚からケーキ皿を取り、テーブルに並べた。斗和の作ったホールケーキは直径10cmくらいの小さなものだけど、それを丁寧に等分し、取り分ける。

「……半分ももらって本当にいいの? おれ、一口でもいいんだぜ?」

「誕生日の私がそうしたいんだからいいのよ!」

「……ま、いいか。いただきます」

「いただきます!」

それぞれに手を合わせ、ケーキを口に運ぶ。いつもの、優しいクリームの味。庭で採れた新鮮なブルーベリーの酸味も絶妙。涙が出そうなくらいおいしい。

「おれってケーキ作りの天才じゃね? パティシエ目指せるかも?」
 斗和は自分のケーキを大絶賛しながら頬張っている。その顔は自信に満ちあふれていた。

「……目指すの? パティシエ」
「え?」
「もう進路、決めてるの?」

今日、そのことで父親と喧嘩になったこと、ご神木さまからもやりたいことを決めた方がいいと言われたことを話す。
 斗和は言葉を選ぶようにして話し出す。

「いんや、おれだって特に決めてるわけじゃないよ。ただ、得意なことはいくつかあるから、最終的にはそのうちの一つに決めようと思ってる」

「その一つがパティシエ?」

「それもありかなー。おれ、お菓子作り好きだし。食べてくれた人が笑顔になったら嬉しいし」

「……そっか」

「凜は悩んでるみたいだけどさ……。いいじゃん、まだ決めなくたって。そのうち見つかると思うぜ」

斗和の言葉に、今日はなぜかジーンときてしまった。
 そうでなくても斗和はいつも優しい。私が周りから変人扱いされても、斗和だけは味方でいてくれる。

「どうしていつも優しくしてくれるの? 私、変なことばかり言ってるのに」

「どうしてって、そりゃあ……」
 私の問いに、斗和は天井を仰いだ。

「えーと……。凜は自分のこと変だって言うけど、全然そんなことないとおれは思ってる」
 続く言葉を改め、斗和は会話を進める。

「凜は、おれたちとは違う世界とつながれるってだけじゃん。おれは、自分が見えてるものがすべて正しくて、そうじゃないことを言う人が間違ってるとは思わない。それだけのことだよ」

「斗和……」

「周りの奴らは、仲間はずれになりたくないだけさ。凜と距離を置く人間の中にも、実際は同じ感覚を持ってる人だっていると思うな、おれは」

「そう、かな……」

「急にどうしたん? 凜らしくないな、今日は」
 斗和はイライラしたように頭をかきむしった。

「本当は仲間が欲しいんじゃないの? 話聞いてると、そんなふうに思える」

その言葉にはっとする。自分から、周囲の人間の言いなりになりたくないと言って遠ざけてきたのに、斗和に優しくされたら嬉しいし、同じような理解者がもっといたら、って思っている自分に気づく。

恋人が欲しいと思ったのもきっと、私に寄り添ってくれる人が欲しかったからだ。それなら納得できる。

(私はもう、孤独に耐えられなくなってるってこと……?)

一番の理解者だと思っていたエマ姉も結婚してしまった。妊娠までしている。私にはもう、頼れる人がいない。……斗和以外には。

「変われるかな、私……。ううん、変わりたいよ」

やっぱりこんな自分で一生居続けるのは嫌だ。たとえ誰かと結ばれたって、心が孤独だったら一人でいるのと同じ。
 もちろん、これからの長い人生の中で、私のことを理解してくれる人が現れないとは断言できない。けれど、私は今、孤独を癒やしてくれる人が欲しい。母のいない寂しさや、いつも冷たい父との生活に病んでいる私を包み込んでくれる人が。

「変わりたいと思ったら変われるよ、きっと」
 斗和は力強く言った。

改めて斗和を見る。斗和も私を見ている。

「……ねえ、斗和。協力してくれないかな。私が変われるようにさ」
 思い切って言ってみる。

こんなふうに真正面から見てくれる斗和を私は信頼している。素直にもなれる。だけど、斗和にだけ頼っていては自分のためにも斗和のためにもならない。
 17歳はこれまでと違う私になるって決めたんだ。その思いだけはブレちゃいけない。
 
「凜の頼みなら何でも聞くよ」
 斗和はさも当たり前のように答えた。

「で、具体的に何すりゃあいい?」

その問いにしばし考えをめぐらせ、一つの案が浮かぶ。
「私、記念に残るようなことがしたい。17歳の思い出になりそうなことが」

「えー、記念? 思い出? そうだなあ……。ま、ちょっと考えてみるよ」

「ひょっとして、難題押しつけた?」

「いんや、考えるの、好きだし。いい案浮かんだら連絡するわー。……それより、ケーキ残すんならおれにちょうだい」

話すことを優先していたせいで、ケーキを食べる手が疎かになっていたようだ。斗和のお皿のケーキはもう残っていない。

「やだよー。そんなに食べたいならまた作ればいいじゃん。今度はサイズアップしてさ」

斗和がフォークを伸ばしてきたので、私は慌ててそう言って残りのケーキを口の中に放り込んだ。

あ、また一口で食べちゃったな……。

ちょっぴり後悔したけれど、目の前の斗和が笑う姿を見ていたら残念な気持ちはすぐにどこかへ行ってしまった。

斗和がいたらきっと、変われる。そんな気がした。


斗和
 
 ――どうしていつも優しくしてくれるの?――

その問いには焦った。だって、凜の17歳の誕生日に、凜の家で二人きりってシチュエーションだぜ? 正直、「好き」って言うなら今かもしれないと思った。でも、言えなかった。弱気な凜に対して、あの場で自分の情熱を伝えるのは反則な気がして。

これまで、父親と大げんかして怒りを顕わにしたことはあっても、あんなふうに落ち込んだ姿を見たことはなかった。それに「変わりたい」と言った凜の表情は本気だった。もしおれが凜にしてやれることがあるとすれば、それは告白じゃなく、凜の望みが叶えられるよう力になることだろう。

凜の笑顔を見るためなら……。

ケーキ作りを覚えたのだってそれが理由だ。凜が喜びそうな誕生日プレゼントは何か、散々頭を悩ませてたどり着いたのが手作りケーキだった。元々姉が料理好きでそれを端で見ていたせいか、覚えるのはたやすかったし、何よりやっぱり凜が喜んでくれるから作りがいもあった。気づけば五年間、誕生日のたびに作っている。

ただ、凜のためだった菓子作りはいつの間にかおれ自身の楽しみにもなっていた。学校や部活が休みの日には大抵焼き菓子を一つ作る。家中がバターの香りで満たされるあの時間がたまらなく好きだ。
 もっとも、最近では食べてくれる人(姉のことだ)がいなくなってしまったので、仕方なく部活のメンバーに処分、、してもらっている(食べることより作ることが好きだから、おれ自身は味見しかしない)。しかしこれが好評で、また作ってきてくれとせがまれるほどだ。まあ、野球部の男どもに言い寄られても全然嬉しくないんだけどさ。

「夏の大会もあっという間に予選敗退しちゃったし、もう高野(たかの)の作ってくる菓子を食べたくて部活に顔出してるようなもんだよ、おれは」

七月のとある週明けに持っていったクッキーに群がるメンバーの一人、橋本が言った。ちなみに高野って言うのはおれのこと。学校では名字で呼ばれている。
 橋本とはクラスも同じで仲のいい友人の一人。いいやつなんだけど、野球のセンスはゼロ。痩せる目的で入部したものの、おれが餌付けするばっかりにちっとも痩せない。

相変わらずうまそうに食う橋本と、その様子をじっと観察しているおれを見たメンバーが、「おまえら、恋人同士か!」と茶化してきた。なぜかそこでわーわー盛り上がり始める。

おれは本当に背筋がゾクッとして、真顔で返す。
「冗談はよせ。菓子作りは趣味でも、男を好きになる趣味はねーよ」

「うわ、ひどい。高野のこと友だちだと思ってたのにそんなこと言うんだ? おれのこと、好きじゃないんだ? ショックだなあ」
 橋本は大げさに肩を落とした。

「そういう反応するなよ、周りが誤解するだろ?! だいたい、友だちのことは好きって言わねえもんだよ。ダチはダチ! んなこと言うならもう持ってこねえぞ」

「ごめん、ごめん。そう言わずにまた持ってきてくれよ。おいしく完食してやるからさあ。っていうか、食べてくれる人がいなくて困ってるのは高野の方じゃないの?」

言われて言葉に詰まる。自分で「メンバーに処分してもらってる」なんて言っちゃうくらいだ。食欲旺盛な彼らがいなかったら持て余してしまうのも事実なのだ。

「ほかに食べてくれそうな奴らがいればそっちに乗り換えるって手もあるんだけど……いるわけねーよな」

おれがぼそっと呟くと、橋本が「あっ!」と声を上げた。

「秋の文化祭の出し物に高野の作った菓子を売る、って言うのが今唐突に降りてきた。まだなにやるか決まってなかったし、どうかなあ? 提案してみる価値はあると思うんだけど。だって、旨いし、おれたちだけでうまうまするのも、なんかもったいないじゃん?」

「え? 今、なんて言った?? おれの菓子を売る?! 文化祭で?!」

思ってもみなかったことを言われ、反射的に拒みかけた。が、その瞬間に凜の顔が浮かんで思いとどまる。

そうだ、凜は誕生日を機に変わりたいと言っていた。何か記念になることをしたい、と。力になると言ったきり、いい案が浮かばず保留になっていたけれど、おれが得意な菓子作りに、文化祭という一大イベントを組み合わせれば、ひょっとしたら何かしらの記念になるんじゃないだろうか……?

「……ありかも、しれない」

もちろんクラスの意見が一致しなければ実現はしない。ただ、ちょうど二学期の文化祭に向けて今ごろから委員を決め、準備を始めるところでもある。

「なあ、橋本。言い出しっぺで、クラス委員のお前に頼みたいことがある」

「高野君ラブのおれに出来ることなら何でもするよん」

「……だから、そういうのはパス」
 一瞬気が萎えそうになったが、気を取り直してもう一度頼む。

「おれが文化祭実行委員になれるよう、そして焼き菓子を販売できるよう後押しして欲しいんだ。クラス委員が一声発すれば、みんなも動きやすいはず」

「それならカンタンっしょ。高野がクラス全員分の菓子を焼いて配ればいい。おれが何か言うまでもなく、それだけでイチコロさ」
 橋本はそう言ってウインクをした。

いちいち大げさな反応をする橋本には興ざめだが、さすがクラス委員、提案内容はいいと思った。

「OK。それでいこう」

「けどさ、実行委員は男女一名ずつだよ? 女子の候補は決まってるの?」

「ああ、目星はついてる」
 橋本の問いにおれは迷わずそう言った。
 これはおれにとっても人生をかけた一大イベントになる。いや、そうするって、いま決めた。眺めていればいいだなんて思ってたけど、こうなったらもう走りきるっきゃない。

斗和の告白大計画の始まりね。ここにはいないはずの姉の声が頭の中にこだました。


気付いた時には決定していた。文化祭実行委員のことだ。
 私は途方に暮れて斗和の方を見たが、斗和からは満面の笑みを返された。力が抜ける。あんな顔をされたんじゃ、こっちも笑うしかないじゃないの。

とはいえ、みんなの前に立ったり引っ張ったりする役は今まで一度もやったことがない。斗和と違って内気だし、友人もいないからどう話せばいいかも分からない。そこへ斗和がやってくる。

「大丈夫だって。基本、おれたちが決めてくからさ」

「おれたち?」

「そ。おれと橋本。クラスのことはクラス委員も一緒の方がいいだろうってことになってんだ。 な?」
 斗和は脇にいた橋本に声をかけた。橋本は強くうなずく。

「計画練ったり会議の進行役はおれたちがやるんで、後藤さんは書記係をしてもらえると助かるなあって話してたの。字、きれいだし。何事も適材適所ってやつ」

「ふーん。それなら……」

なんとか出来るかもしれない。そう言いかけた時だ。

「男子だけで勝手に決めてもらっては困るわ」
 背後からとがった声が聞こえた。同じくクラス委員の鶴見さんだ。

「だいたい、後藤さんを推薦した理由も分からないし、こそこそと内輪だけで話を進められてはみんなが迷惑だわ」

斗和が私を推した理由は幼なじみだからに違いない。一緒にやろうぜ、くらいの軽い気持ちだったんだと思う。

ただ、学校では名字で呼び捨てる決まりにしているせいもあり、私たちが幼なじみであることは鶴見さんをはじめ、ほとんどの人が知らない。無口で一匹狼の私になぜ白羽の矢が立ったのか、疑問を抱くのも当然と言えば当然だった。

いらだつ鶴見さんの発言に、斗和は眉根をひそめた。

「そうは言うけど、あの場で立候補する女子、いなかったじゃん。誰かがやらなきゃいけないなら、やってくれそうな人に声かけるのも一つの方法だとおれは思う。だからおれは後藤に頼んだし、みんなだって承認した」

「でも、後藤さん本人は……」

「私、やるよ。みんながやって欲しいって言ってくれたの、ちょっと嬉しかったし」

言ってから、自分の言葉に驚く。その場にいた三人も、だ。
 私自身ずっと、周囲には受け容れられない人間なんだと思い込んでいたけれど、そう、やっぱり斗和の力を借りればこんな私でもクラスの一員になれる。自分から輪の中に飛び込む勇気はないけれど、引っ張ってくれる斗和がいてくれるならなんとかやれる。そんな些細なことが、私にほんのちょっぴりの勇気をくれたのだ。

 鶴見さんはいよいよ目を三角にする。
「周囲の意見に流される人は嫌いよ」
 そう言ってぷいっと顔を背けると、その場を後にした。

「怖いなあ、鶴見さんは。あの人こそ、自分の意見押しつけてると思うんだよな。ああいう人、苦手」
 橋本はぶるぶると身体を震わせた。
「気にすることないよ、後藤さん。今、やるって言ってくれておれも嬉しかった。だから、よろしくね。ほら、高野もお礼いっときな」

 鶴見さんを睨み付けていた斗和を橋本が引き寄せる。斗和は私の顔を見るなり「えーと……」と言って頬をポリポリかいたが、少し考えてから、

「記念に残る文化祭にしようぜ」
 と言った。

泣きそうになる。私が言ったことをちゃんと覚えていてくれていたのだと知ったから。こみ上げるものをぐっとこらえ、笑顔を作る。

「ありがとう、高野。それから橋本も。私、どれだけやれるか分からないけど、頑張るね」
 私の返事を聞いた二人は顔を見合わせ、にやついた。その瞬間、何か良からぬことを考えているなと直感する。案の定、斗和は自分のカバンから何やら袋を取り出すとそれをみんなに配り始めた。私にも一つ手渡される。

――個包装されたクッキー。

二人の表情と配られたものを見てピンときた。
「ひょっとして、これを文化祭でやるつもりじゃ……」

 私のつぶやきを斗和が拾って、全体に言う。
「その通り。実はこれ……おれが作ったクッキー。売り物になるかどうか、みんなに判断してもらいたくて作ってきたんだけど、どう? クラスの出し物として通用するかは食べてから決めてもらって構わない。もし不採用って言うなら、代替案を出してもらおうと思ってる」

高野がこれを? 意外! 手先、起用なんだ! 個包装のセンスもいいじゃん!

 様々な声が飛び交う。しかし好感を持った人が多く、クラスは明るく楽しい雰囲気に包まれた。
 私はもちろん斗和の手作りお菓子がおいしいのを知ってる。そのおいしさを独り占めできなくなるのはちょっぴり残念だけど、みんながおいしいと言って食べ、それを見た斗和が笑顔になったら私も嬉しいかも。

「食べ物で買収するなんて、卑怯者のすることよ。そうは思わない?」
 ただ一人、鶴見さんだけは不満そうだった。しかし彼女がぼやいたところでみんなの心はすでに斗和のクッキーに傾いていた。

「鶴見さんは不満ありそうだけど、何か代わりの案を出せる?」
 橋本が彼女に問いかける。配られたクッキーの袋を開けもせず、鶴見さんはそれをじっと見つめている。斗和がため息をついて彼女の前に立つ。

「とにかくさ、食べて欲しいんだよな。文句はそれから受け付ける。万が一アレルギー持ちでも食べられるように、余計なものは入れずに作ってる。だからそんなに警戒しないでくれよな」

「……食べたくないわ」

「代替案が出ないなら、このまま採決しようかな」
 それを見て橋本が話し合いを進行する。
「今年の文化祭、手作りクッキーの販売がいい人は挙手を」

私を含め、みんなが迷わず手をあげた。数えるまでもなく、過半数を超えている。

「ありがとう。それじゃ今年の文化祭の出し物はこれに決定ってことで。具体的に活動開始するのは生徒会からの承認後になるんだけど、出し物の名前とか、コンセプトとかは早めに決めときたいと思ってるんで、みんな、協力よろしくー」

楽しみ! お菓子作り好き! かわいいのたくさん作りたい! 飲み物もセットにしたら?

再びいろいろな意見が飛び交い始める。みんな楽しそうだ。
 鶴見さんだけが黒板を見つめたまま動かなかった。

何か声をかけたほうがいいかな……。

そう思っていた時、授業終了のチャイムが鳴った。この後は昼休み。おのおのがカバンから弁当や財布を取り出して昼食の準備をし始める。そんな中、鶴見さんは身体一つで教室を飛び出していった。

「待って……!」

いても立ってもいられず、私は彼女の後を追った。

* * *

屋上へ続く階段を彼女は駆け上がっていった。私は息を切らしながら追いかける。
 誰もいない屋上。そこに、鶴見さんと私が立つ。

「鶴見さん……」

「どうしてついてきたの? あなたの顔なんて見たくないわ」

「…………」

はっきり言われ、正直落ち込む。
 追いかけた理由なんて私にも分からない。放っておいてはいけないと思ったら身体が勝手に動いていた。それだけのことだ。

沈黙に耐えかね、私はなんとか言葉を絞り出す。
「……鶴見さん、本当は文化祭でやりたい出し物の案を持ってるんじゃない? だからあんなに怒ったんじゃないのかな?」

「まさか。単純に高野君のやり方に納得がいかなかっただけよ。あなただって彼らに巻き込まれて、本当は嫌々承諾したんじゃないの? やりたくもない委員を無理してやるくらいなら、私がクラス委員と兼任するわ」

「……嫌々承諾なんて、してないよ」

せっかくやる気になっているところでそんな言い方をされ、ああ鶴見さんは私のことが嫌いなんだろうな、と思う。それが証拠に、彼女はこう言い放つ。

「あなたみたいな目立たない存在が、華やかな文化祭のまとめ役になれるとは思えない。高野君は物静かなあなたなら黙って引き受けると思ったんでしょうけど。おとなしい人は、文字通りおとなしく図書委員とか学校新聞委員とかやってればいいのよ」

「……そうやって、人のことを勝手に決めた枠組みに入れないで!」

胸が痛んだ。苦しかった。でも、言わずにはいられなかった。一度こうなってしまうと歯止めがきかない。

「確かに私は誰ともつるまないし、一人でいることが多いからおとなしいと思ってるかもしれない。でも、私は私。鶴見さんのイメージ通りに振る舞わなきゃいけない理由なんてないよ。……私は変わる。そのためにも新しいことに挑戦したい。今回の文化祭実行委員は私にとってチャンスなの。だからそれを取り上げないで」

鶴見さんは目を丸くしたが、直後に鼻で笑った。
「そういう人がいるから困るのよ。いい? 学校は規則で出来ているの。輪を乱すことは許されない。変わりたいって言うのはあなたの自由だけど、それがいかに迷惑な発想か、よく考えて欲しいものね」

「…………」

「悪いけど、これ、高野君に返しておいて。学校には、勉学に関係するもの以外持ってきてはいけない決まりよ。知らないのかしら?」

突っ返されたクッキーを持ち、私はぐちゃぐちゃの心のまま教室に戻った。
 私は迷惑をかけるような発言をしたのだろうか。斗和は規則違反で、自分勝手なのだろうか。ルールを守ることがすべてであり、みんなと違う考え方や感じ方を抱いても、多数意見に合わせるのが正解なのだろうか。本当に?

モヤモヤが晴れない午後を過ごした私は、帰宅するなりご神木さまのもとへ向かった。ご神木さまはすぐに声をかけてくれる。

――元気を出して、凜。

まるで頭をなでられたような安心感に包まれる。私はほっとして話し始める。
「だけどね、ご神木さま。私、どうしたらいいか分からなくなっちゃった。変わりたいと願ってもやっぱり許されない。これまでと一緒で、誰かがそれをよしとしない。……私ってば、ずっとこんな人生を送ることが運命づけられてるんじゃないかとさえ思えてきてほんと、嫌になっちゃう」

――弱気になるのは分かるわ。でも、あなたはあなたのままでいいのよ。誰かに合わせる必要なんてない。理解者は必ずいる。心配することはないわ。

のんびりとしたご神木さまの言葉にちょっぴりイライラする。
「ねえ、ご神木さま。運命の人とで会わせてくれるって約束だったよね? 早く私のもとに連れてきて欲しいんだけど」

現状を早く変えたかった。ご神木さまなら、神様ならすぐにでも願いを叶えてくれる、そう信じたからこそ頼んだのだ。しかしご神木さまは私の問いに答えなかった。

――凜。もっと顔を上げてご覧なさい。物事を別の視点から見てご覧なさい。あなたの望むものはもう用意されているわ。

「えっ?」

すでに用意されている? まさか。私にはそうは思えなかったが、ご神木さまはそれきり黙り込んでしまった。


斗和

男子全員が販売員をやる、その名も「メンズ・クッキー」を提案してくれたのは意外にもクラスの女子たちだった。学校にあるクッキング部は女子だけだから、ここで男子の作ったクッキーを男子が販売することでインパクトが生まれる、と考えたようだ。ま、その裏には女子は指示するだけ、食べたいだけ的な思いもあるみたいだけど、男子の反応はよく、あっさりとその方向で決定した。

話はどんどん盛り上がり、おそろいのエプロンも作ろうという話にさえなった。ネットで調べてみると、オリジナルの絵柄をプリントしてくれるサービスはたくさんあり、中でも格好いいデザインのエプロンにプリントできる店に注文することで決まった。

ただ一人、未だに不賛成の姿勢を貫いているのが鶴見だった。
「全員参加で成功させたいから、注文くらいしといてくれる?」

放っておいてもよかったが、最後までそれではおれも気分が悪いので、せめて形だけでも参加してもらおうと仕事を依頼する。案の定、鶴見は目をつり上げた。

「どうして私が?」

「今年の文化祭のスローガン『全員参加で一致団結』だろ? ……鶴見って確か、ルールは絶対守るタイプだったよな?」

「……わかったわ。注文すればいいんでしょう?」

「ああ、注文だけでいいよ。夏休み中にしておけば余裕で間に合うだろうし、時間のあるときでいいから」

あらかじめ印刷しておいたウエブサイトの用紙とエプロンのデザイン画を手渡す。鶴見は中身を見ようともせず、小さく折りたたんで鞄にしまった。

「おーい、高野。クッキーのデザイン決めてるんだけど、こっち来てくれる?」
 遠くで橋本の呼ぶ声がした。おれはそっちに足を向け、話し合いの輪に加わった。

「高野が作るのっていつもシンプルな形が多いけど、今回はもうちょっとこだわろうって話になって。クッキー型、高野は持ってる?」

「持ってるけど、今は全然使ってないな。うちにあるのは確か星形と花形かな」

「女子はやっぱりハート型を入れたいって。後は、顔を描くのもいいんじゃないかって。ニコちゃんマークってやつ。高野的にはどう?」

「型を抜くのはいいと思う。でも、デコるのは正直大変だぜ? 焼いてからもう一手間かけるってことだもん。……その代わり、包装にこだわるのはどうだろう? それならいくらでも、なんなら直前でも対応できるし」

「なるほど……」

橋本の質問に答えた内容を、端で凜が書き留めていく。学校ではあまり口を開かない凜だけど、こんなふうにそばにいてくれるだけでおれは満足だった。ずっとこの時間が続けばいいのに。そんなことを考えながら凜の横顔を眺めていた。

* * *

「罪な男ねえ。残念なイケメンってあんたのことを言うのね、きっと」
 聞かれたから正直に話しただけなのに、姉は相変わらずの調子で返してきた。あれ以来、何かと実家に戻ってくる姉である。

「え、え? なんで? どの辺が?」
 訳がわからず問い返すが、姉は笑みをうかべ、

「いまだに眺めてるだけでいい、なんて言ってるのが残念、って話よ。一緒に委員になって文化祭を盛り上げるって聞いたときには、斗和もいよいよ男になったか? ってちょっぴり見直したのになあ」

「……勝手に盛り上がってるのはそっちだろ? おれのことは放っておいてくれって言ってるじゃん」

「あのねえ。眺めてたって現実は何も変わらないんだよ? そのうちに、相手の気持ちが誰かのところに向いちゃうことだってあるんだよ? 本当に大好きなら、チャンスは逃しちゃだめ! 恋愛経験豊富なお姉様からの、一番のアドバイスね」

「何がアドバイスだよ……」

パウンドケーキを頬張りながら言われても、ちっとも説得力がない。
 けれど、なぜだかその言葉を無視することも出来なかった。
 姉の言うとおり、おれは文化祭が終わった後のことを考えていなかった。凜への、もう一つの誕生日プレゼントとして「思い出に残る記念日」を作ることは出来そうだけど、じゃあその後は……? これまで通り、単なるご近所さんでいいのか?

文化祭を成功させれば、おれも凜もクラス内での評価が上がるだろう。あの凜にも友だちが出来るかもしれない。生真面目な凜に好意を抱くやつだって、もしかしたら……。想像したら急にイラッとした。

「……姉ちゃんなら、どんなタイミングで告白されたい?」

恥を忍んで問う。凜が誰かのものになることを思えば、姉にからかわれる位なんてことはない。

「そうねえ」
 姉はにやりと笑ってから答える。
「やっぱり文化祭が終わった後ね。そして二人きりになったタイミングでこう言うの。『君のことが好きだ』って。きゃー! 恥ずかしい!」

「だから勝手に盛り上がるなって……」

「まあ、これはあくまでもわたしの意見。この通りにいったら最高だけど、そううまくはいかないのが現実ってものよねえ。わたしも想像とは全く違う告白のされ方だったし。ただね、今しかない! って瞬間は絶対にあるはずなのよ。それを逃さないことね」

それはなんとなくわかる。だからこそ、姉に凜への気持ちがバレたあのタイミングでは言いたくなかったのだ。おれだって、そんなときくらい格好つけたい。

「うふふ。健闘を祈るわ、斗和君。進展があったら報告よろしく」
 姉はそう言ってまた笑った。

絶対におれの恋愛模様を楽しんでるだろ、と思ったが、おれ自身も告白を意識したらなんだかドキドキしてきて、文化祭の当日が待ち遠しく感じられた。

必ず成功してみせる、文化祭も、凜への告白も。


今年の夏休みはやることが盛りだくさんで、気づけばもうすぐ終わろうとしていた。文化祭の準備のために学校へ行った私と斗和は、あまりの暑さに帰路にあるいつものコンビニで涼もうと話していたところだった。

「えっ……?」

私は目を見張った。いや、見間違いであって欲しいと目をこすった。けれども間違いなくその人だった。

大介さん。エマ姉の旦那さんが、あろうことかやたらと露出度の高い服をまとった女と腕を組み、目指していたコンビニから出てきたのである。衝撃的な一コマは私から暑さを奪い、寒気すら感じさせた。

隣にいた斗和は挙げかけた手を引っ込め、かわりに拳を握った。何か言いに行くのかもしれないと思ったけれど、その場から動くことはなかった。

「……コンビニ、寄る?」

ようやく暑さを思い出して声をかけるが、斗和は黙ったままだった。ちょっと肩を叩いてやると、ようやく我に返ったように私を見た。

「……ごめん、なんか言った?」
「ううん。このまま帰ろうか?」
「ああ。でも、その前に姉ちゃんのとこに行きたい」

斗和の強い意志を感じた。エマ姉の家はここから歩いて10分ほどのところにある。断る理由はなかった。

* * *

「ふーん。どうせ若くておっぱいの大きい子でしょ? 呆れちゃうよねえ」

驚くかと思ったのに、エマ姉は慣れた様子で返事をした。斗和は声を荒げる。

「いいのかよ、それで。姉ちゃんが妊娠してるからって、ほかの女といちゃいちゃしていいってことはないだろう?」

「何をそんなにいきり立ってるの? ダイは付き合った時からずっとこんな調子よ。ちょっといい女を見つけると、すぐに手を出す。最初はそれが原因で別れたけど、別れたら別れたでまた私を求めてすり寄ってくる。その繰り返し」

「どうして……? そんなダイ兄のどこがいいんだよ……?」

エマ姉は少し考えてから、

「結局、私たちは似た者同士なんだと思う。私もダイと同じ生き方してきたから分かる。そういう付き合い方しか出来ない人間もいるのよ。

結婚したのだって、互いの部屋を訪ね合うのが面倒になったから。

共通の家はあるけれど、一緒に過ごすのは気が向いた時でいい――。

そんなルールを決めたら、結婚って形も悪くないなって。
そりゃあ、よそで子供作ったらさすがに黙ってないと思うけど、そこに関してはダイのこと、信じてるから」

エマ姉の話を聞いた私はすぐに両親のことを思い出した。
 とにかく一緒にいられないし、行動できない二人だった。同じ家にいても別々のことをしていたし、食事のタイミングさえ別だった。

これで家族って言えるのかな……。

幼心にずっと思っていた。その矢先、やっぱり別居という話が出て今に至っている。

そんな自分勝手な父と母が嫌いだった。他の人には聞こえない、ご神木さまの声が聞こえてしまう自分も嫌いだった。普通の枠組みに当てはめようとする大人たちも嫌いだった。

なのに、エマ姉が実は両親と似たような男女観を持っていたと知った瞬間、気付いてしまったのだ。私は一つのことにとらわれすぎていたんだって。

親には親の人生や考え方がある。そんな当たり前のことにさえ気づけなかった。思えば反発してばかりで、ちゃんと話し合ったこともなかった。一方的に不満を募らせ、イライラしていただけの自分が情けなく思えてくる。

「エマ姉ってすごいなあ。女が憧れる女ってきっと、エマ姉みたいな人のことを言うんだろうな」

「え?」

「いつだったか言ってたでしょ。自信を持ちなさいって。そうすれば『あの人、素敵だな』って思われるよって。私はエマ姉の結婚観を聞いて、潔くて格好いいなって思っちゃったんだよね」

「やだあ、格好いいだなんて。わたしは自信家と言うより変わり者よぉ?」

素直な気持ちを伝えたら、エマ姉は謙遜するように顔の前で手を横に振った。でもその顔は笑っていて、やっぱり自信ありげに見えた。

「同調すんなよ。これのどこが格好いいんだよ? 浮気されてんだぜ? おれには理解できねえ!」

女子の話を端で聞いていた斗和だけは納得いかない様子だった。そんな斗和にエマ姉が言う。

「昔から、割れ鍋に綴じ蓋って言ってね。どんなに性格がひねくれてたり、不細工だったりしても、それに見合う相手は必ずいるものなのよ。そういうわけで、あんたにはあんたに合う相手がいるから安心しなさい。ああ、余計なお世話だったかな?」

「余計なお世話だね!」
 斗和は迷惑そうに、自分をつつくエマ姉の手を振り払った。エマ姉が笑い、私も笑う。怒っていたはずの斗和もつられて笑い出す。みんなで笑い合っていたら、今までずっと悩んできたことが急にどうでも良く感じられ、肩の荷がすっと下りた心地がした。

そんなとき、突然斗和のスマホが鳴り出した。席を立ち、電話に出た斗和だったが、一瞬にして顔色が変わった。
「エプロンの注文が出来てなかった?! あと十日しかないんだぜ? 今から30人分のエプロンなんて、どうやってそろえるんだよ?!」

電話の相手が鶴見さんだと確信する。一瞬、どうして斗和の電話番号を知っているのだろうと思ったが、緊急時に備え連絡網を作っていたことを思い出す。おそらくそれを見て電話してきたのだろう。斗和の言ったことが本当なら、確かにそれは「緊急」を要する事態である。

斗和の怒りは収まるところを知らず、言葉による攻撃が続く。

「確かにゆっくり取りかかってくれればいいって言ったよ。だけど、鶴見くらい頭のいい人間が、注文日時を間違えるはずないよな? 一体どうしてこんなことになったんだよ、ちゃんとわかるように説明してくんない?」

鶴見さんの声は聞き取れない。だが、電話越しでも困惑している様子は感じられた。

「とにかく明日、朝イチで学校集合! ……しゃーない、おれと橋本でクラス全員にメールしとくから、鶴見は反省文でも書いといてくれ。でないとみんな、納得できないと思うぜ。それじゃあな」

どうなってんだよ、ったく。斗和は電話を切ってもなおぼやいている。私は恐る恐る尋ねる。

「エプロン、注文できてなかったって本当?」

「ああ、いつまで経ってもモノが届かないんで確認してみたら、注文自体されてないって突っぱねられたらしい。本人はちゃんと注文したって言い張ってたけど」

「ああ……」

「そういうわけで、明日も学校に集まらなきゃいけなくなった。凜は都合つくよな?」

「私は大丈夫だけど、エプロン、どうしよう?」

「それをみんなで考えるんだよ!」

斗和は私に対しても怒りをぶつけ始めた。

「あんたはもう少し冷静になりなさいよ。怒っても、いい解決策は生まれないよ?」
 エマ姉が斗和をさとす。斗和はそっぽを向き、意見を聞かなかった。

――鶴見さんに何かあったんだろうか?

エマ姉の話を聞いた後だからこそ思考がめぐる。あんなふうに一人を貫き、規則を遵守する彼女だけど、そうするのには何がしかの理由があるんじゃないだろうか。それこそ、育った背景にヒントがあるのでは……?

(明日、ちゃんと聞いてみよう。話し合ってみよう。これはきっと、私にしか出来ない。)

どうせ嫌われているんだ、何を言われてもこれ以上嫌われることはない。それに、ミスを犯したのは鶴見さん自身だ。私に対して強くは言えないはず。

さて、どんなふうに話を切り出したものか……。クラス全員にメール連絡をし始めた斗和の脇で、私はそんなことを考えていた。

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