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なぜ体育の授業を好きにならなかったのか

いま、こんなにも好き好んで走ったり泳いだり、あまつさえ仕事帰りに家と逆方向の電車に乗ってまでスポーツのスクールに通おうとしているのに、小中高と、体育の授業が好きだと思った記憶が全くない。

鉄棒の授業では、くるくる逆上がり続けるやつ(なんだっけ)はずっとできなかったし、
マット運動では倒立がちっとも進まなかったし、
スポーツテストではボール投げが全然飛ばないなーと思っていたし、
水泳練習では半ば溺れながら背泳ぎの班で、フライングに気付かないまま、1人で最後まで泳いでいたりした。
わずかに楽しかった記憶は、転校生と競っていた小学校3~4年のマラソン大会と、受験勉強が佳境だった高3の1500mぐらい。

大人になって、正しい身体の動かし方は学べばいいということに気づいたのが、転換点だった。

たとえばクロールの腕の回し方や呼吸の仕方、たとえば長距離を走る時のフォーム、バドミントンでフォアの強打をする時の回内動作。ヨガのシークエンス。

本を読み、YouTubeで眺める。欲を言えばマンツーで教えてもらうのが一番だけど、それとてその気になれば、スクールやコーチを自由に探して、それなりのお金を払うとその機会は得られる。できるようになれば、楽しくなる。

できないことが、できないままであり続けることや、
「できるようになる方法」をそんなに探さなかったことが、当時体育嫌いだった理由かもしれない。
できるようになる方法は、気づきさえすれば、いくらでも探せた。

あーあ、もったいなかったな。
数年分の楽しさを、これから取り戻していく。

🍻