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1月、生ホッケの冷蔵庫干しを教わる

長年家活をしてきたけれど、今月ついに土地の引き渡しを終え、地鎮祭が控えている。

米塩酒、野菜や果物など、地鎮祭では神様に備える為に必要な物がいくつかある。

せっかく神様にお供えするのだからいいものをと、まずは昆布とするめいかを買いに、地域で一番大きな魚屋に行った。

目当てのふたつを早々に見つけ、せっかくだからと、子どもらを連れて広い鮮魚コーナーをじっくりと歩いた。

対面販売コーナーではたっぷりの砂利氷の上に、所狭しと大きな鯛、いさき、ヒラメ、長い長い太刀魚が一本まるまる、ホタテや牡蠣なんかが並んでいる。

どれも色艶がよく、新鮮なのだとひと目でわかる。売場全体が輝いてみえた。

「うわぁ~おいしそうだねぇ、いっぱいあるねぇ。こんなにあると迷っちゃうねえ」

息子がいるのを良いことに、心の声をそのまま声に出しながら、あれこれと眺める。目に楽しい。

一際、大きなほっけの開きが目に留まった。

「このほっけは、そのまま焼けばいいんですか?」

「これは生のほっけだからね、このまま焼いたら柔らかすぎて箸でとれないわよ。
塩ふって冷蔵庫で2日ほどおいて焼いたら美味しいわよ~、ここで今さっき捌いた生ほっけだから新鮮よ!」

ベテラン店員さんの話は、聞くだによだれが溢れてくる。
肉厚なほっけは間違いなく美味しそう。両手のひらを広げたくらい大きいのに、一匹380円なのも心強い。

「それもらってもいいですか」
「うんうん、じゃあこの一番大きいのにしとこうね!」

開いた真ん中のあたりには水がたまるから、ここだけたまに拭いてあげてね、とアドバイスもいただいた。


私はもともと店員さんとお喋りするのが苦手だったのだけれど、産後、どうもいろんな部分で頭が鈍くなっていて、羞恥心や躊躇いのようなものがいまいち前のように湧いてこない。

誤解を恐れず言うとオバチャン化している自覚があるのだけれど、ともあれそんな自分のおかげで、おいしそうな魚と有難いアドバイスを受け取れた。

そんな自分に肯定的な気持ちを覚えながら帰路についた。

結局その日の夕飯は、冷凍していたサバを焼いた。
(それも美味しかった。)


二日後の土曜の夜、大きなほっけの開きを取り出した。
冷蔵庫でいい具合に乾いている。

付け合わせには「大和マナ」のお浸し。
夫の知人から、明日香野菜というものを箱いっぱいに送ってもらった貰い物だ。

奈良県に昔からある「大和野菜」の一種らしい。
見るからに新鮮で嬉しくなる。


こういう美味しいものは新鮮なうちに食べ切るのがいい。
迷わず一束丸ごと沸騰した鍋に入れた。

茹でて、ざるに揚げて、少し冷めてから絞って切る。

いつもは切ってから茹でるのだけど、せっかく手に入った新鮮で珍しい青菜のこと。

茹でて絞ってから切ると見栄えが良くて、いつもより少し上品に見えた。

上品に見えた、なんて言っておいて、こんなに雑に盛り付けた写真しかない。反省である。

柔らかいと聞いていた生ほっけをグリルに乗せて焼く。

どっしりと大きく、一枚でグリルがいっぱいになる。期待が高まる。

新居はオール電化にすることが決まった。

ガス火のグリルでこんな風に焼き魚を焼く機会も、もう残り少なくなってきた。

掃除のしやすさや安全性(子どもと料理をしたいし、極力火事にならないように)などを考えてオール電化にしたけれど、愛着のあるグリルがなくなるのはやっぱり寂しい。

契約更新を重ね、結局4年以上も住んだ小さな賃貸の台所に立ち、パチリ、パチリ、と少しずつ魚の爆ぜる音を聞きながら焼く。

料理をしない夫がとてもこだわって作っている新居の台所は、とても広く、清潔で、きっと今より何倍も快適になるだろう。

収納もたくさんあるし、パントリーまでついている。
今よりもただ良くなるだけなのに、なぜかほんの少しの心許なさがある。

これはあれだ、マリッジブルーだ。

実家でも一人暮らしでも結婚してこの賃貸に来てからも、ずっと小さくてごちゃごちゃした台所で生活してきた。

誰に憧れられるものでもないその台所で、けれど毎日過ごしてきた愛着が、自分をほんの少し逡巡させる。

大丈夫、大丈夫。

どんなに綺麗で立派な台所でも、一緒に料理をしていくうちに良い相棒になってくれるはず。

この落ち着かない気持ちばかりは、引っ越して、生活を重ねていくことでしか拭えないのだろう。それが今はもどかしい。


綺麗な色に焼けたほっけを、菜箸でひっくり返そうとする。
ほろり、ほろり、と、あまりの柔らかさにドキリとする。これはやばい。

慌てて大きなトングを取り出して、がっしりホールドして一気に返す。
それでもほっけの一部がほどけて網の下に落ちる。

うわぁ、柔らかい。
喉の奥でごくりと生唾を飲み込んだ。

これは絶対、おいしいやつだ。

子どもたちと夫が風呂から上がるのを見て、テーブルに料理を一気に並べる。

「和食だねぇ」

夫が言う。残念とも受け取れる声だ。
夫は肉食で、がっつりとした如何にも男性が好きそうな食事にそそるのだ。
一方で、食べて美味しければきちんと喜ぶのも知っているので意に介さない。

あまりに柔らかくて、端がすこし解けてしまった。


「いただきます」

いちばん骨のないところを、息子の皿に取り分ける。息子がひとかけら口に入れる。

「美味しい?」
「…おお~いしい!!」

ご機嫌な息子のリアクションを見て、まずはひと安心。自分のお皿にも取り、一口食べる。

「やわらかい…!美味しい!!」

おいしい!
美味しくって嬉しい。

初めてのものを用意して、あれこれ気を揉みながら準備して、食べたときに美味しかったことが嬉しい。

はぁ~おいしい! うれしい!

私の様子を見て夫も手を伸ばす。

息子もおかわりを欲しがって、あっという間に大きなほっけは骨ばかりになった。

身は海のだしを含んだような旨味があり、湯気を孕んだように柔らかく、総じてとても美味しかった。

大和マナのおひたしも良かった。
小松菜よりはやわらかく、ほんの少しの苦みがある。
菜の花にも似ているけれど、それよりは癖も少なく、まろやかな甘みがある。

一緒に沸騰させて油抜きをしたお揚げにも、しっかりだしが入ってヘルシーな味わい。

3歳の息子には少し苦かったようで、この日は完食したけれど、翌日に出したときには「これは食べない」と言われてしまった。仕方ない。

「いい夕食だったね」
食後、夫が満足したように言った。

私は心の中でガッツポーズをする。

美味しい魚や美味しい野菜を食べるのは、きっと夫より私の方が好きなこと。だけど私は、ただ自分が美味しいだけだとつまらないのだ。


「またお魚屋さんいこうね」
息子に声をかけると、「うん!」と明るい返事が返ってきた。

来月は何があるのかな。
もしもまた迷ってしまったら、また店員さんに教えてもらおう。
自分のほうから開いていけば、きっと味方は増えるのだ。

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