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Research Project Part3

アルザスロレーヌ地方に思いを馳せよう。アルザスロレーヌ地方はドイツとフランスの間をずっと行き来している土地である。何度も。19世紀のヨーロッパにおけるナショナリズムの発展によって、当時フランス統治下にあったアルザスロレーヌ地方にもナショナリズム政策が施された。具体的には、言語をフランス語にすること(アルザスロレーヌ地方ではドイツ語なまりの言語が主に使われてきた。)が主である。言語とは国民意識を創り上げる課程において、とても重要なもので、アンダーソンやゲルナー等々、色々な学者が言語の重要性を主張してきた。

言語の重要性を意識していたのは、ドイツ帝国の官僚たちも同じである。1871年の普仏戦争に勝利したドイツ帝国も言語政策、ないしは教育政策に重点を置いた。ドイツ語を話すことを強要し、ドイツの歴史、地理を学ばせる。ドイツ帝国は、プロイセン時代にポーランドとデンマークらへんをドイツ化することに失敗している。強制的且つ、厳しいドイツ化政策を実施したらしい。しかし、アルザスロレーヌ地方は軍事政策上とても重要な場所であるため、ドイツ帝国としたも失うことはできない土地としてドイツ化に必死である。加えて、石炭と鉄鉱石がとれるとわかったのならば、軍事戦略上大事なだけではなく、資源の産地としても重要になる。産業化が進んでいた時代であり、資源はいくらあってもよかった。文献を読むと、アルザスロレーヌ地方のドイツ化だけは失敗してはいけないという覚悟がひしひしと伝わってくる。

面白いのは、当時の歴史の教科書である。アルザスロレーヌ地方はずっとドイツとともにあったことを示すために、アルザス地方がフランス統治下にあった1648年のウェストファリア条約から1871年の普仏戦争前までの記載が一切ないのである。ドイツとアルザスロレーヌ地方は同じ歴史を共有しているということを強調することで、国民意識を創り出す戦略である。

こんなことをして、実際に、アルザスロレーヌ地方の住民はドイツ化するのかと思うかもしれないが、本当にドイツ帝国への帰属意識を高めていくのである。国民意識というものは創り上げられるものなのである。

私は12年間の教育をすべて日本の公立の学校で行ったため、政府がナショナリズム教育政策をしているのであれば、その教育を受けきっている人間である。12年間、「あ、日本政府は私達に国民意識を植え付けようとしているぞ!」と思いながら教育をうけた経験がないが、私のアイデンティティというものも教育によって知らず知らずのうちに創り上げられた部分があるんだろうなと思っている。

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