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映画業界 ハラスメント体験記【奴隷日記#8】

深夜の爆走、タイムリミットは日の出までに

前回の予告通り、クランクイン前日の深夜の居酒屋の話を始める前に。

その前日の夜のこを書こうと思う。私は前作『濡れたカナリヤたち』の映画祭出品の締め切りのために、大阪に戻らなければならなかった。当初は3日間だけの愛知滞在予定だったが、それが延びに延びたことが要因だ。

私「大阪戻らないといけないんですが」

アキさん「なんや」

私「カナリヤの件で」

アキさん「それやったら今から帰るか?あ、でもそれじゃこっちが動かれへんなるなぁ。夜に戻って、朝戻ってきたら?」

こういう経緯で、私は「深夜の愛知を出発し、日の出までに戻ってくる」と決まる。

にもかかわらず、その日も飲み会に向かわされた私は、どうにも我慢がならず終始時計を見ながら、目配せをしていた。居眠り運転が怖すぎた私は、J太郎にお供してもらう事にした。 J太郎も、1秒でも長くアキさんから離れるべく、了承してくれた。ハチ子やナカや恋ちゃんには

必ず朝には戻るから安心してくれ

と何故か今生の別れのようなことを言っていた。無論、彼らは私の睡眠時間を心配してくれた。いい後輩だ。

ちなみにこの飲み会(ハチ子たちが愛知へ来た日)で、私は一方的に「クランクアップまで」と、滞在期間を伸ばされた。すぐあと、「やっぱりバラシまで」と更に延びた。当初3日間の予定がクランクインに延びたのが、クランクアップまでに延ばされ、更にバラシまでと宣言された。この頃には、当然運転免許のある私抜きにはどうしようもないことはわかっており、作品のことを考えると断ることなど出来なかった。きっとアキさんの中では、大阪を出たあの瞬間から、既定路線だったのだろう。「連れて行けばこっちのもん」というのは拉致監禁の犯罪の類と同じ根性である。卑怯だった。映画人が、映画を人質に取ったのだ。

大阪へ戻る深夜の高速道路。大雨が降り始め、濃霧のかかる鈴鹿山脈を、恐る恐る走る道のりは、想定以上に時間がかかった。一切の寄り道なく、遂に愛しの大阪へ到着した頃には、もう3:00過ぎとかだった。アルカトラズから脱出した時の気持ちだ。刻限までの逆算をすると滞在時間は1時間も残らない。風呂に入り、着替えを準備し、私はカナリヤの件を解決させた。J太郎もその間、束の間の休息を楽しんだだろう。

再合流を果たした我々は、すっきりしていた。1週間プライベートなしの空間、久しぶりの我が家、わずかな滞在時間。やることは一つ。野獣の如く精を出し切った事を確認しあい、愛知に向かった。J太郎は恋人に会おうかと考えたようだが、「もう戻れなくなりそうで会わなかった」「泣いてしまいそうで、心配をかけたくない」と話していた。さながら特攻隊ではないか。深夜のコンビニで飲んだレッドブルが、動いて欲しくもない脳を叩き起こし、愛知に到着したのが5:30頃のこと。なんとか我々は刻限に間に合った。寝静まるアキさんに舌打ちすると、起きていたナカが「お帰りなさい」と小声で話しかけた。そんなわけはないのだろうが、帰りを待っていてくれたように感じ、泣きそうになった。すぐ布団に入り、仮眠をとった。前回の記事で書いた一連の出来事は、この、夜の愛知大阪ピストンの翌日の話だ。少しは配慮してくれても良かったろうに。いつもは後部座席でウトウトするハチ子たちも、この日ばかりは私たちを気遣い、起きていてくれたのだが、当のアキさんは・・・。

 

クランクイン前夜、傷心のアキさん

では前回の続きに戻ろう。

傷心模様のアキさんが、私に酒を付き合うように頼み、結局私の後を追う形で全員が飲み会に参加した。いつもの世界の山ちゃんではなく、宿坊近くの粉もん屋さんでのこと。

アキさん「お前らのおかげで、無事クランクイン迎えられるわ」

一同「いえいえ、僕らは何も」

アキさん「ほんまに感謝してる」

と、一人一人握手をして回る。全員と挨拶して周り、J太郎の番が訪れる。

J太郎「ありがとうございます」

と手を出すも、ピシャリとはたき、

アキさん「お前は違う!お前は邪魔しかしてない」

と睨みつける。やっぱりか、と思ったのも束の間、柔らかい笑顔になり、「嘘や、でもまだまだやぞ」と握手した。グーっと強く握り、「痛い痛い!」とJ太郎が痛がり、アキさんは尚笑顔になった。この時の光景は、カナリヤ初期の頃の”師匠と弟子”のような姿で、私は懐かしかったのを覚えている。きっと、そういう演出でこれまでの人間関係をつなぎとめていたのだろうが、もはや我々にその手の演出は通じなかった。

「人情豊かな昔気質の映画人を演じるアキさん」

VS

「従順な学生を演じる我々」

そこらの舞台より熾烈な芝居がぶつかり合っていただろう。私も従順な学生を演じていたのだが、本当に馬鹿馬鹿しかった。J太郎は、もう半年近く「アキさんの弟子」を演じてきたのだから、すごいもんだ。私は、最初こそ相槌を打ち、合いの手を入れながら合わせていたものの、結局疲れ果て、やや無言のまま酒を飲み続けた。長時間の運転による眠気と腰痛が限界を迎えていた。

 

「人生で一度だけ現場を飛んだ」

その飲み会の折、こんな話になる。

アキさん「俺は人生で一度だけ、現場を飛んだことがある」

恋ちゃん「え?飛んだってやめたんですか?」

アキさん「いややめへんだ。始発から終電で帰るきつい現場で、上のやつと毎日のように殴り合いして、もう嫌やって思ったある朝にな、現場とは逆方向の電車乗ってたんや。少しして気づいたけど、もういいやって思って」

恋ちゃん「へぇ〜、そのあとどうしたんですか」

アキさん「次の日になって、もう辞めますって言いに行こうとしたんや。じゃあ、上のやつがこっち来いって非常階段に呼び出してきて。あぁ、また殴り合いなるんかって気合い入れたんやけど。その人が酒を出してきてな、まぁ飲めやって。んで、ちょっと無言の時間が続いて。ゆっくり立ち上がったその人がな、『明日6:00な』って一言。俺、ハイって言うてもうたんよ」

アキさんが初めて現場を飛んだ時のエピソードを話し始めた。酔っぱらうと毎回出る話で、私たちは何十回と聞いた話だが、アキさんは嬉しそうに話していた。そしていつも話の終わりになると、J太郎の方をに目配せする。「お前も続けろよ」と言わんばかりに。

その人とアキさん、アキさんとJ太郎、そのように受け継がれた鎖を、アキさんは一種の憧れとして感じているのだろう。事実、アキさんも同じように「明日○時な」は口癖だった。愛知へ向かう前日の夜にも、これだけの連絡がきた。

ただ当のJ太郎は、このアキさんのエピソードに疑問だった。この物語には映画が出てこない。現場が長時間でしんどかった話、殴り合いをした話、酒を飲まされた話、明日6:00なとだけ吐き捨て、去った上の人間の話、どれも映画には関係ない。ましてや同じことをJ太郎にする意味もわからない。前時代の映画業界が、アキさんを形作ったのだから、アキさんも被害者なのだろうが。

飲み会中、終始無言の私と、ひたすら飯を食うJ太郎を差し置き、ハチ子たちが間を持たせてくれたお陰で、大きな問題なく進む。ハチ子たちには随分救われた。が、やはりアキさんの飲み会に暴力がないはずがない。ことあるごとに

「こいつは全然あかん、犬以下や」「こいつみたいになるなよ?」「親が悪いんかね、こいつにシツケせーへんだんやろ」「お手してみ?」

などと、J太郎を蔑み、犬扱いする。無論、それは肩パンや乳首を捻りながら。結局、最初の傷心はどこへ行ったのやら。飲み会は終える。「明日5:30な」という言葉とともに。

 

女子高生・恋ちゃん抜擢

我々は、帰りの道すがらクランクイン初日の動きを確認した。残りの古民家の仕込みが手付かずで残っていたため、人員を割り振る必要があったのだ。J太郎は現場付きのオシオさんとともに現場担当。アキさんと私とナカは古民家の家具を買い出し、ハチ子は岐阜県設定の古民家の装飾のために、岐阜まで電車移動し、岐阜限定のチラシやビラを集めに行く、こう決まったが、恋ちゃんはどうしようかとなる。

アキさん「恋、現場ついてみるか?」

恋ちゃん「でも私、入った事ないですし」

アキさん「ええ経験なるぞ、朝早いけど」

恋ちゃん「何時ですか、私朝苦手で」

アキさん「もうええわ!!」

と恋ちゃんにまでブチぎれてしまう。まだ高校生だと気づいたのか、

アキさん「起こしてやるから、現場行ってみろ」

と恋ちゃんの抜擢が決まる。

 

ナカ、第二のJ太郎疑惑

内容はよく覚えていないが、ナカがなんらかのミスを、後になって言い出した話。それまで中やハチ子たちには、私と同様怒る事のなかったアキさんだったが、しっかりと叱責した。

アキさん「お前、そういうのはあかんやろ!ちゃんとしろ」

この時は当然の叱責だったと思うが、これ以降ことあるごとにJ太郎のような扱いを始めた。殴られることこそなかったが、はっきりと、「ナカは美術部になれ」と弟子入りを提案し、「ナカ!」と呼び出しては、お遣いを頼むようになった。ナカ自身は照明志望だったので、「照明がしたくて」とやんわり拒絶できたが、仮に特に志望がない人間であれば、第二のJ太郎になっていたのかとゾッとする。

結局、ハチ子・ナカ・恋ちゃんはクランクイン当日に帰る予定だったので、無事帰してはもらえたのだが、ナカには「もう少しいろ」「帰っても、すぐ呼ぶから予定はあけとけ」等、ご執心だった。ナカ、弟子入りしなくて良かったな!

 

次回予告

次回からようやくクランクインの話をする。現場が始まると、産学の時のようにアキさんは奇人と化す。普段も似たようなものなのだが、それとは異質の奇人になる。その姿を詳細に書こうかと。この段階で、私とJ太郎がアキさんと袂を分かつまで、残り7日である。


最後に

私自身のハラスメント体験を、このように詳述しているのは、やはり映画業界にこの問題が色濃く残っているからだ。ハラスメント教育が始まっただとか、最近の現場ではマシになった、と昨今よく聞かれる。

しかし、例えばこの記事を書く発端になったアップリンクの問題は、完全解決とはいえず、その後の話はたんと消えている。また、つい最近では、遊山監督のセクハラ・パワハラ被害を訴える俳優部のTwitterも話題になった。

全く消えていない問題なのだ。

だからこそ、これを最後まで読んでほしい。特にこれから映画業界を目指す学生諸君には。私も、自分の胸に手を当て、こういうことをしていないか、と問えば、「あったかもしれない」と思うことがいくつも思い返される。みなさんも、この記事を読みながら、旧態依然の映画業界に染まっていないか、しっかりと確認して欲しい。

負の連鎖はここで止めよう。


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こちらの動画では、現在のJ太郎の姿がわかります。ぜひ、この動画を見て、J太郎は元気なんだと安心してください(笑)奴隷日記を少し振り返りながら、「これから映画を目指す学生」に向けてのメッセージを添えたりしています。また、この撮影を機に、会話形式でのインタビュー記事を書いています。
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