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読むこと、書くこと

おはようございます、こんにちは、こんばんは。
そしてはじめまして。
伊勢田亮と申します。
これまで細々と詩のような文章を書くばかりでしたが初めて自分自身のことについて書こうと思います。
稚拙ではありますがお付き合いいただけますと幸いです。

昔から本を読むことが好きでした。
歳をとるにつれて読書に割く時間は減ったものの、中学生までは休み時間だけでなく授業中にも隠れて本を読んでいるような子供でした。
読むものといえば専ら小説、たまに詩集。
ジャンルには特に拘りなく手当り次第読んでいたように思います。
どちらかといえば内向的で友人も少なく、外で遊ぶことなど滅多になかった自分にとって、自分ではない自分を想像出来る本の世界は自宅よりも安らげる場所でした。

一方書くことですが、こちらは正直なところ苦手でした。
文章を書くこと自体は好きなのですが、自分の考えたこと、感じたこと、それらの半分も書けていないようでどうにももどかしいような気持ちでいました。
その癖、本を読むことで得た語彙が文章を書く際に出てくるため学校で書かされた作文などは本当に自分で書いたのか疑われたり、気取っていると揶揄されたりする始末でした。
いつしか、自分が書いた文章を、自分を知っている人に読まれることに恐怖するようになりました。

どこかで聞いたような言葉。
どこかで読んだような文章。
自分の書くものがそれらの寄せ集めのように思えて仕方ないのです。

それでも書くことを辞められないのは、そうでもしなければ自分の感情に、思考に、苦悩に、飲み込まれて溺れてしまうような気がするからです。

子供の頃と比べて外向的になった自分は、明るい性格だと言われることも多くなりました。
悩みなど無いのだろうと言う人もいます。
しかし自分の本質は本の世界に逃げ込んでいたあの頃の自分のまま、人付き合いを円滑にする為に仮面を被ることを覚えただけに過ぎないのです。
いつだって、他人からしてみればくだらないようなこと、気にもとめないようなことで苦悩しているように思います。
そうして積もった澱でうまく息が出来なくなるような。

文章を書く時はいつだって、溺れかけた人間が空気を求めて足掻くような気持ちで作成画面を開きます。
澱を吐き出さなければ、息をしなければ、自分が消えてしまう。そんな焦りにも似た感情で文字を打つのです。
そのまま吐き出すには胸がつかえてしまうから、形を変えて。

書くことは難しく、苦しく、そして恐ろしい。
それでも自分が苦悩する限り、自分は書くことをやめないのだと思います。
自分が本当に死ぬその日まで。

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