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母の日のにんじん

「にんじん」
想定外の答えだった。
今まで私が母に贈ったプレゼントのなかで、一番嬉しかったものだという。

我が家の母の日は年2回。5月の第2日曜日と、私の誕生日だ。
「生まれた日のこと、自分では覚えてないやろうけど、私はハッキリ覚えてるんやで。めっちゃ頑張ったもん。お祝いされるべきなのは私や」
それらしくもある、無茶苦茶な母の思想のもと、私は育った。
でも、にんじんをあげた記憶はない。

当時、私は5歳だった。
母の日だからといって、家事育児を休めるわけではない。だからその日も、母はいつものように台所に立っていた。
「あ、にんじんがなかったんや。にんじん欲しいなぁ」
シチューを作る母の独り言を聞いた私は、
「横の公園に行ってくる」
と嘘をついて家を出た。お年玉にもらった500円玉を握りしめ、近所のスーパーへと、はじめてひとりで買い物に行った。
帰ってきた私は、にんじんを手にし、
「母の日のプレゼント」
といって渡したそうだ。

アクセサリーかな?洋服かな?手紙かな?
今まで自分が贈ったプレゼントを思い返していた私の予想は、いい意味でくつがえされた。
よく、子どもからの贈り物は、「なにをもらったかではなく、気持ちが嬉しい」というが、「子どもの誕生日は母がお祝いされるべき日やで」なんて口にしていた人だ。なにをもらったかは結構重要なんじゃないかなぁと思っていたのに、母も、おかあさんだった。

私の記憶にはない、その日。
私はどんな気持ちで買い物に出かけたのだろう。母はどんな表情でにんじんを受けとったのだろう。
その日のシチューのおいしさを、母は忘れることができないという。

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