見出し画像

「座高測定」のナゾを解く 目的は何だったのか

学校には「神話」がある

 教育界の常識は疑ってみるべきだ。
 なぜなら、学校には「神話」と呼ぶべき「常識」とされる指導がいくつもあるからだ。

 学校の「神話」の恐ろしさは、「怪談」の比ではない。
 その指導について反対することはもちろん、疑うことすら許されないのだ。
 指導の効果には目を向けずに、ただただ実行することが求められる。
 たまさか、その効果を問う者があれば、その問いに被せるように誰かが説明を加えてくる。
 そして、その説明内容は、多くの場合、「後付」である。

 この典型が、「ブラック校則」であろう。
 「ブラック校則」と呼ばれるもののほとんどが、なぜ守らなくてはならないのかを、どの教師も知らない。
 教師にとっては、校則の内容が問題なのではなく、守らせることが大切なのだ。
 だから、「ブラック校則」賛成派が使う常套句は、「きまりを守る経験をしておくことが、社会に出た時に役に立つ」である。もはや、校則の中身とは、まったく関係ない。
 指導が自己目的化するところが、学校の「神話」の特徴の一つであると言える。
 とにかく、何も考えずに、ひたすらそのことを指導していれば、それは必ず子供のためになっているという考え方である。
 「神話」たる所以だ。

 今回の記事では、そんな学校の「神話」の中から、「座高測定」を取り上げたい。
 私にとって、教師時代に心に引っ掛かっていたことの一つであるからだ。

目的を知らないまま測定し続けた座高

 自分が、「児童、生徒」と呼ばれていた頃はもちろん、「先生」になってからも、一年に一度、春の健康診断には、座高の測定があった。
 測定結果を見て、「あいつは足が長い」だの「短い」だのと、友人と話したり、子供同士が会話をしているのを見たりはしたが、それ以上、何のために座高を測定するのか、疑問だった。
 身長や体重を測定する意義は、分かる。特に、私が教師になってからしばらくは、毎月、身長と体重の測定が行われたので、子供たちの健康状態を把握する上で、その結果は貴重な数字となった(後日、この「ヒント帳」で身長と体重の測定結果の有効活用についてお伝えしたい)。
 しかし、座高測定の結果は、何の役にも立たなかった。
 だからある時、養護教諭を始め、周りの先輩教師に、座高測定の目的を尋ねてみた。けれども、ちゃんと答えられる人は、誰もいなかった。
「健康状態を知るためでしょう。」
という返事が返ってくるばかりだった。
 知りたいのは、座高測定値のどこから、どんな健康状態が分かるのかということだった。
 質問する度に、こういうことを聞いてはいけないのだという気まずい雰囲気だけが残った。

 それでも、ずっと心に引っ掛かっていたある日、「答え」が分かった。
 昔のことなので、新聞だったのか、何かの本だったのかは覚えていないが、「答え」を見つけた。まだインターネットの普及していなかった頃だ。
 そこには、「明治から昭和にかけて、座高が高い人は健康だと思われていたから」といったことが書かれていた。「座高が高いということは、内蔵が大きく、長いということであり、それは健康だということだ」というのである。確かそういう内容だったと記憶している。
 その時、何と非科学的だろうと思った。
 それ以来、「座高測定はやめるべきだ」と、校内で小さな声で言うようにした。
 当然、その声は黙殺された。
 「お上」にやれと言われたら、何も考えずにやるのが、公立小学校の責務である。

廃止された座高測定

 だが、ある頃から、座高測定が実施されなくなった。
 春の健康診断の項目に入らなくなったのである。
 廃止されたようだった
 やっと「お上」も分かってくれたのだと思った。そして、少し嬉しくなった。自分は間違っていなかったのだと。
 だから、今度も周りの人に聞いてみた。
「なぜ、座高を測定しなくなったのか」
と。
 しかし、今回も、答えられる人は誰もいなかった。
 中止になった理由は、私たちの耳には届いてこなかったのだ。

 このあたりの様子は、現在のコロナ政策の転換と全く同じである。
 「丁寧な説明」がまったく行われないまま、ただ、「学校でマスク着用を求めない」、「5類に移行する」という結果だけが通知される。

 そして、学校は粛々とそれに従う。疑問を挟む必要はない。
 もちろん、過去の座高測定のデータがどこへ行ったのかは、誰も知らない。
 ましてや、一人一人の子供にとって、どんな有益な結果をもたらしたのか、知る由もない。

 学校では、また次の「神話」が築かれることになる。

座高測定の歴史と意義

 今回、この記事を書くに当たり、改めて座高測定の意義や廃止の理由について調べてみた。
 日本学校保健会や文科省のサイト、また、その他のネット情報を検索した結果、次のことが分かった。

 文科省のHPで見ることができる「児童生徒の健康診断項目について」によると、健康診断で座高測定が実施されるようになったのは、昭和12(1937)年からであり、それが、廃止されたのが、平成28(2016)年である(「学校保健安全法施行規則の一部改正等について(通知)」(平成26年4月30日)。

 従って、約80年間、座高測定が続けられていたことになる。

 では、なぜ、それほどの長きにわたって座高測定が続けられたのだろうか。

 先の「児童生徒の健康診断項目について」には、座高測定の意義が次のように書かれている。

座高測定の意義は、
①個人及び集団の発育、並びに体型の変化を評価できる
②生命の維持のために重要な部分(脳や各種臓器)の発育を評価できる
③子どもの発育値について統計処理をすることによって、集団の発育の様子が分かる

 また、エデュケーショナルライターの日野京子氏によると、その理由は、次の通りであるという。

「改正学校身体検査規程解説」(1937年)によると、座高測定が追加された理由は
「人間の重要臓器は下肢を除く体幹に集中しているため、この部分の発育状態の良しあしは人間の生活機能に極めて重要な関係を持つ。座高が身長よりも重要であるという学問的結論に至った」
と、あります。

「昭和の小学校で当たり前だった「座高測定」が知らぬ間に姿を消したワケ」(https://urbanlife.tokyo/post/71450/)


 ということは、私がかつて読んだものに書かれていた「座高が高いということは、内蔵が大きく、長いということであり、それは健康だということだ」という旨の測定根拠はそれほど間違っていなかったようだ。

座高測定の根拠を検討する

 では、この測定根拠は、妥当なものなのだろうか。つまり、簡単にいうと、「胴長短足」体型の子供・人は、健康だということになるのだろうか。

 日野京子氏は、同記事で、次のように続けている。

 その後、医学は進歩したものの、座高の高さと人間の生活機能の因果関係が解明されることはないまま、戦後の学校でも測定が長年続けられました。

 また、文科省がこの座高測定の廃止等を検討した「今後の健康診断の在り方等に関する検討会」には、次の資料が提示されたことが文科省のHPから読み取れる。
「学校保健における身体計測 とくに座高測定の意義について」
 東京女子医科大学名誉教授の村田光範氏による参考人提出資料である。

 ここには、次のように書かれている(p.8)。

上節下節比成長曲線の意義
1. 低身長であり、上節下節比が正常に比べて次第に大きくなっているときは、病的原因による可能性が高い。
2. 高身長であり、上節下節比が正常に比べて次第に小さくなっているときは、病的原因による可能性が高い。
3. 身長・体重成長曲線を詳細に検討することを条件にすれば、上節下節比成長曲線の検討が必須であるとはいえない。

 「上節下節比」とは、聞き慣れない言葉だが、簡単にいえば、座高と脚の長さの割合である。
 この割合の大きさによっては病気が疑われるというわけだ。

 ただし、「低身長であり」「高身長であり」という但し書きがある点を見逃してはいけない。単純に、座高が高ければ健康ということではない。しかも、「成長曲線」を検討するのであるから、「上節下節比」を追い続けなくてはならない。学校の手に余る健康指導である。
 さらに、比較対象である「正常値」とは、どのようにして求められるのであろうか。
 そして何よりも、村田氏は、「身長・体重成長曲線を詳細に検討することを条件にすれば」、座高を測定する必要はないというのである。
 身長と体重を測定すれば十分だったのである。

 学校は、80年間、必要にないことをやり続けていたのだ。

 かくして、健康診断から、座高測定が消えた。

教師は座高測定の廃止を喜んだか

 しかし、もう一点、驚くべき事実がある。

 文科省は、この検討会において、学校現場の声を聞いている。
 その調査結果が、「児童生徒の健康診断項目について」にある。

 調査の結果、教師が、座高を「省略してもよい項目」と考える理由は、「『座高』については、検査の必要性を感じない、検査結果を活用できないという」であったというが、「省略してもよいと答えた割合」は、以下の通りだったという。

幼稚園 18.1%
小学校 28.3%
中学校 32.6%
高等学校 36.6%
特殊支援 26.2%

 何と、2割弱から3割強の教師しか、「省略してもよい」と答えていないではいか。
 半数を超える教師が、座高を測定し続けることを容認しているのである。

 繰り返す。かくして学校では、また次の「神話」が築かれることになる。