自由の反対は不自由ではなく、強制。

自由な人とは、衝動に流されて行動している人ではない。

「他人に迷惑をかけなければ何をしても良いと考え行動する人」も決して自由な人ではないと思います。

それは単なる理念も信念もない、利己的な人になってしまう…

自由な人は己の中に志という利他の精神を持つ判断基準を持ち、その判断基準に基づいて行動する人のことを言うのではないっでしょうか?


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 自由=自らに由る
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自由人とは、自らに由る人のことをいいうのではないでしょうか?

自らに由る、つまり自分の中に確固たる判断基準を持ち、己の判断の元に行動を続ける人間のことを自由人だと考えています。

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 「自由」の反対は「強制」
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自由とは、一人ひとりの人間が衝動に流されることなく、己の判断基準から自分の動機となる志(なりたい自分)を定めて、己の直感に基づいて思考を行動へと変換できる状態。

衝動が悪い物だという考えを捨て、衝動が志(なりたい自分)につながるかどうかを判断して行動すれば、爆発的なエネルギーを生み出せます。

この考えを使って、できそうにもないことを沢山実現してきました!

衝動的に感じられる行動のテーマがバラバラな人は、なりたい自分のイメージが無いのか弱いのかも知れません。

または、衝動的に感じられる行動が全くできない人も、なりたい自分のイメージが無いのか弱いのかも知れません。

衝動が悪いモノなのではなく、衝動となりたい自分の関係に問題があるのでは無いでしょうか?

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 行動理念を外から受け取る限り
 自由ではなく強制になる
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己の行動理念は価値観と言い換えても良いのではないかと考えています。そして、価値観を磨いていくために必要な要素が…

「経験」「創造性」「姿勢」

この三つではないでしょうか?

経験については、体験がベースとなるのではないでしょうか?そして、ベースとなる体験は強制された体験ではなく「純粋体験」が必要。

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 純粋体験とは?
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純粋体験とは、本人や周囲の人間の意図なく脈絡もなしに得ることができる体験。

と考えています。

つまり、イベントの内容を見て「楽しそう!」「これ良さげ!」「役に立ちそう!」と自分や周りの人間が判断して参加した時点で意図や脈絡が含まれることになり、純粋な体験にはならない…

楽笑塾という形で、継続した行われる出来事から意図も脈絡もない「純粋体験」と獲得していただき、自分の経験として自分の価値観を磨き、自分の価値観という行動理念を育て、自分の判断基準に基づき行動を続ける人間。

すなわち、自由人を目指してほしいと考えています。

楽笑塾や学習塾については、こちらよりご確認いただけます。

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