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文豪たちのツボ 第二号

春の日のさした往来をぶらぶらひとり歩いてゐる

 こんにちは、石井千湖です。BOOKSHOP TRAVELLERでひと箱書店を始めて一ヶ月半経ちました。本当に売れるのかな、と心配でしたが、在庫が減っていてうれしいです。できるかぎりマメに補充したいと思っています。ご来店の際はぜひ手にとってみてください。

 さて「文豪たちのツボ」第二号。今回は春にまつわる文章を紹介します。芥川龍之介の「春の日のさした往来をぶらぶらひとり歩いてゐる」。たった二ページの、散文詩のような随筆です。屋根屋の親かたの長靴、通りすがりの大学生の会話、上り坂にある家の椿……散歩している語り手の目に映る光景と意識の流れをスケッチしています。

 わたしが好きなのは、馴染みの道具屋を覗いて見る場面。

 正面の紅木の棚の上に虫明けらしい徳利が一本。あの徳利の口などは 妙に猥褻に出来上つてゐる。さうさう、いつか見た古備前の徳利の口もちよいと接吻位したかつたつけ。鼻の先に染めつけの皿が一枚。藍色の柳の枝垂れた下にやはり藍色の人が一人、莫迦に長い釣竿を伸ばしてゐる。誰かと思つて見たら、金沢にゐる室生犀星!
 ――「春の日のさした往来をぶらぶらひとり歩いてゐる」(出典『芥川龍之介全集第十一巻』一九九六年岩波書店刊)

 骨董趣味の芥川が徳利を見ながら艶っぽい妄想に耽るのもいいし、染めつけの皿に友人の犀星がいるというくだりに微笑んでしまう。この文章が書かれたのは大正十三年。関東大震災が起こって、芥川の近所に住んでいた犀星が郷里の金沢に帰ったあとの春なんですよね。さみしかったのかな。

 「春の日のさした往来をぶらぶらひとり歩いてゐる」は、家にある全集をなんとなく読んでいて引き込まれました。代表作ではないけれど面白い小品に出合えるのが個人全集のいいところ。散歩するようにめくってみたいです。

文豪たちの妙な話

 読売新聞で毎月文庫新書の短評を書いているのですが、三月に『文豪たちの妙な話』(山前譲編・河出文庫)というアンソロジーを紹介しました。夏目漱石、森鷗外、芥川龍之介、梶井基次郎、佐藤春夫、谷崎潤一郎、久米正雄、太宰治、横光利一、正宗白鳥の作品の中から「異色ミステリー」をテーマに選んだ十編を収録。中でも面白かったのが正宗白鳥の中編「人を殺したが…」でした。プライドばかり高くて主体性の全然ない男が、人を殺してちょっと気が大きくなるんだけれども壊れていく話。

 ドストエフスキー『罪と罰』を彷彿とさせる作品ですが、この話の主人公の保は、ラスコーリニコフほどややこしいことは考えていません。ただ、人にそそのかされ、夫を亡くした恋人のもとへ出かけていく。はずみで殺人を犯したものの、まるで実感がない。周囲の人々も保を疑わない。そんな大それたことをできる男だと思われていないわけです。保を追い詰めるのは、罪の意識ではなく、自分の力を誰も認めてくれないこと。二度目の殺人を実行しようとするまでの心の動きは、異常なのに説得力があっておそろしい。

 保を煽る森田という男も、何を考えているのかよくわからなくて不気味です。奇妙な味の小説が好きなかたにおすすめしたい一編。

BOOKSHOP TRAVELLERで配布しているフリーペーパーに掲載した文章です。


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