あの頃の僕たちは「エロ」のために旅をした
この令和。
いや、平成後期の頃にはすでに「エロ」を手に入れる難易度は格段に下がっていたわけだ。
今や「エロ」はスマホさえあれば数タップで手に入れることができる。
コンビニへ出かけて飲み物を買うよりも格段に手軽だ。
最早「エロ」は水道水と同レベルで容易に摂取できるものとなった。
昔、といっても自分の頃でいう平成前期(昭和60年生まれなので平成10年代の話)、「エロ」というものは存在は知っているが目にしたことがないもの…まるで戦国時代の将軍謁見のように、それは簾の向こう側であった。
あるはずなんだけど、よくわからない……けど見たい……見てみたい!
そんなモヤモヤな欲求は今の世には存在しなくなった。
昔を思い出す。あの頃。
「エロ」を求めた僕たちは誰しもが竹林、雑木林へ繰り出していた。
なんでそんなところへ行くかって?
なぜならそこには捨てられた……いや、次世代へ受け継がれた「エロ」があったからだ。
↑まさにこんな感じ。
これは非常によくできたシステムで
「エロ」を購入できる民(大人)、もしくはどうにか購入や譲渡されたが家には隠す場所が無い民がやむを得ずにひと目につかない竹林や雑木林、他にも山のなんか奥の方とか溝とかに破棄。
するとその波長(小〜中学生はエロの波動に敏感なので)を感じ取った我々がそれを回収し、リサイクルするわけだ。
これにより「エロ」は無駄にならない。
むしろサイクルが出来上がり、一つの社会システムが構築されるのだ。
ただの不法投棄なんだけど
あの頃の僕らにしてみれば
僕らには捨てた人はこう見えていた。
そういうわけで僕たちは友人同士、もしくは一人でそういうスポット(いい感じに捨てやすい場所というのが必ず生まれる)を巡回し、運が良ければ上質な「エロ」を手に入れることができたわけだ。
現代の若者からすれば「そんな面倒なことしても他人が使った(意味深)ものでしかも捨てられてたやつでしょ?」ってな感想なのだろうけど
どうしても一つだけは付け加えておきたい。
確かに他人が捨てた汚ねぇ(雨の後とかはもう悲惨)「エロ」を探してた愚かな子供だったけど
どうしてかそこには「ロマン」があったのだ。
「今日はあるのかな?」「今日はヤンジャンじゃなくてちゃんとしたエロ本が欲しい」「なんならVHSであってくれ」と、ワクワクしながら歩を進めたものだ。
あのワクワクはスマホじゃ得られない。
あのドキドキはPornhubじゃ得られないわけだ。
そう、あの頃の僕たちは旅人だったのだから。
まぁ、でも。今考えたら確かに汚かったな。
やっぱスマホが便利だよ。
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