ISHIYA私観「平成ハードコア史」第3章〜#7 FORWARD

 これまでは昭和から平成にかけての話や、全国ツアーでまわった各都市などについて触れてきたが、この第3章では平成中期以降についても触れていきたいと思う。私観であるので、第2章では自分のバンドであるDEATH SIDEについて触れてきたが、平成初期にはDEATH SIDEを解散し、FORWARDという新しいバンドを結成し現在に至っている。
 ちょうどこの時期になると、第三世代とも取れる世代のバンドの台頭も著しく、日本のハードコアも多様化していく時代になっている。海外との交流も盛んになっていき、同世代からそれ以降のバンドたちが次々に海外進出を果たしていくこととなる。
 自身も様々な海外をバンド活動で経験し始めたのもこの時期であるため、世界の中での日本のハードコアというものにも触れながら、平成に起きた様々なできごとなどを書き進めたいと思っている。
 売文稼業なので有料とさせていただくが、連載の励みにもなるので興味のある方は、この第3章も購入していただけると幸いだ。

 第1章、2章と同様、自分が体験したことでもないことで、馴れ馴れしくバンドに知ったかぶりをして話しかけても自己責任なので気をつけることを忠告しておく。
昭和のハードコア・パンクの先輩たちがそうであったように、一旦中に入れば信じられないほどの優しさを見せてくれる日本のハードコア・パンクの人間たちだが、その壁は厚く高い場合があることを認識してほしい。そうでなくては、このコラムを続けることができなくなるかもしれない。

「#7 FORWARD」

 BASTARD、DETATH SIDEの解散後、平成7年である1995年にBASTARDのZIGYAKU、IIZAWA、DEATH SIDEのMUKAI、CRUCKのNORIで結成されたJUDGEMENTに続き、DEATH SIDEの俺とYOUでバンドをやろうということになった。
 DATH SIDE解散後、1年弱ほどバンド活動をしていなかった俺だが、ライブには通っていた。ライブハウスに行ってライブを観るたびに焦燥感や鬱憤が溜まっていく一方で、バンドをやらずに生きていくことが限界にきていた。
 新しくバンドをやるためにはメンバーが必要なのだが、俺はどうせ新しいバンドをやるなら、今までのメンバーとは違う人間とやってみたいとも考えていた。
 その頃ライブで観た若手のバンドでかっこいいバンドがあったので、そのメンバーとスタジオにも入ってみたのだが、いまいち感覚が合わなかった。

 メンバーをどうしようかと悩んでいるときに、たまたま一緒に遊んでいたIIZAWAに「新しいバンドは、今までと違うメンバーとやろうかと思ってる」という意味のことを言った。するとJUDGEMENTを始めていたIIZAWAが「YOUは?あの人とやりゃあいいじゃん。新しい人間とか昔の人間とか、そんなもん関係ねぇよ。あの人はお前とやりたがってるぜ」というような内容のことを言われた。

ここから先は

2,818字
この記事のみ ¥ 300

30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!