ISHIYA私観「平成ハードコア史」第3章〜#18 ジャパコアの海外進出

 これまでは昭和から平成にかけての話や、全国ツアーでまわった各都市などについて触れてきたが、この第3章では平成中期以降についても触れていきたいと思う。私観であるので、第2章では自分のバンドであるDEATH SIDEについて触れてきたが、平成初期にはDEATH SIDEを解散し、FORWARDという新しいバンドを結成し現在に至っている。
 ちょうどこの時期になると、第三世代とも取れる世代のバンドの台頭も著しく、日本のハードコアも多様化していく時代になっている。海外との交流も盛んになっていき、同世代からそれ以降のバンドたちが次々に海外進出を果たしていくこととなる。
 自身も様々な海外をバンド活動で経験し始めたのもこの時期であるため、世界の中での日本のハードコアというものにも触れながら、平成に起きた様々なできごとなどを書き進めたいと思っている。
 売文稼業なので有料とさせていただくが、連載の励みにもなるので興味のある方は、この第3章も購入していただけると幸いだ。

 第1章、2章と同様、自分が体験したことでもないことで、馴れ馴れしくバンドに知ったかぶりをして話しかけても自己責任なので気をつけることを忠告しておく。
昭和のハードコア・パンクの先輩たちがそうであったように、一旦中に入れば信じられないほどの優しさを見せてくれる日本のハードコア・パンクの人間たちだが、その壁は厚く高い場合があることを認識してほしい。そうでなくては、このコラムを続けることができなくなるかもしれない。

「#18 ジャパコアの海外進出」

 日本のハードコアバンドで最初に海外ツアーを行ったのはROSE ROSEであるが、長期海外ツアーとなると第1章#6で書いたSxOxBになる。
 その後も原爆オナニーズのアメリカ、GAUZEのイギリス、GAUZE・ASSFORTのアメリカツアー、第3章#9に登場するSLIGHT SLAPPERSのアメリカツアーほかにも、SMASH YOUR FACEのアメリカツアーなどといった消毒GIGに出演していたバンドによる海外ツアーが1990年代に行われていた。
 GAUZEはイギリスとアメリカの他に韓国ツアーも行っており、日本のハードコアバンドとして最初とも言える、様々な国でのツアーを行ったバンドにもなるだろう。
 確かGAUZEはイギリスかアメリカツアーのときに、少ない曲数ではあるがレコーディングも行っており、聴かせてもらったことがあり素晴らしい作品だったのだが、メンバーが気に入らずにお蔵入りになっていると思われる、幻の作品もある。

 そして前回第3章#17 PAINTBOX Ⅱで書いたように、BURNING SPIRITS周辺のバンドも、2000年前後を皮切りに世界への進出が始まった。
 その一番手として海外ツアーを行ったのは、第3章#11でも触れたようにCHAOS U.Kに招聘され、イギリス・ブリストルへ行った鉄アレイだった。
 先日鉄アレイのRYOに会ったときに訊いたところ、2000年のAIR JAM前後と言っており、1998年にCHAOS U.Kを招聘しジャパンツアーを行った後に、俺が手紙を書いたので、おそらく1999年か2000年に鉄アレイのブリストルツアーが行われたはずである。
 この鉄アレイの海外進出を皮切りに、様々なバンドが海外ツアーを行うようになって行くのだが、BURNING SPIRITS周辺でアメリカツアーを初めて行ったのは2004年のPAINTBOXになる。
 しかし2002年には、函館のCRUDEがオランダ・ドイツツアーをやっているので、鉄アレイの次に海外進出したBURNING SPIRITS周辺バンドということであれば、CRUDEになるだろう。

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30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!