ISHIYA私観「平成ハードコア史」第3章〜#6 JUDGEMENT

 これまでは昭和から平成にかけての話や、全国ツアーでまわった各都市などについて触れてきたが、この第3章では平成中期以降についても触れていきたいと思う。私観であるので、第2章では自分のバンドであるDEATH SIDEについて触れてきたが、平成初期にはDEATH SIDEを解散し、FORWARDという新しいバンドを結成し現在に至っている。
 ちょうどこの時期になると、第三世代とも取れる世代のバンドの台頭も著しく、日本のハードコアも多様化していく時代になっている。海外との交流も盛んになっていき、同世代からそれ以降のバンドたちが次々に海外進出を果たしていくこととなる。
 自身も様々な海外をバンド活動で経験し始めたのもこの時期であるため、世界の中での日本のハードコアというものにも触れながら、平成に起きた様々なできごとなどを書き進めたいと思っている。
 売文稼業なので有料とさせていただくが、連載の励みにもなるので興味のある方は、この第3章も購入していただけると幸いだ。

 第1章、2章と同様、自分が体験したことでもないことで、馴れ馴れしくバンドに知ったかぶりをして話しかけても自己責任なので気をつけることを忠告しておく。
昭和のハードコア・パンクの先輩たちがそうであったように、一旦中に入れば信じられないほどの優しさを見せてくれる日本のハードコア・パンクの人間たちだが、その壁は厚く高い場合があることを認識してほしい。そうでなくては、このコラムを続けることができなくなるかもしれない。

「#6 JUDGEMENT」

 消毒GIGでは昔から若手バンドにチャンスが与えられ、それを機に飛躍していくバンドが数多くいる。DEATH SIDEも消毒GIGに出してもらって以降、様々なライブに誘ってもらっていった経緯もあった。BURNING SPIRITS周辺でも様々なバンドが出演したが、DEATH SIDE解散後に復活した鉄アレイを中心として、ようやくGESHPENSTやACCOMPLICEなどのバンドも出てきた。
 しかしBURNING SPIRITS周辺の人間は諦めが悪いというかしつこいというか、ひとつのバンドが終わったからといって、そう易々とバンドをやめて隠居するような人間はほぼ皆無に等しかった。
 鉄アレイは解散という道を選ばず、メンバーチェンジを繰り返しながら現在も活動を続けているが、BASTARDとDEATH SIDEの解散後、双方のバンドメンバーによってバンドができていったのも1995年から1997、8年頃のことである。
それではまず、その中でも一番最初に結成されたJUDGEMENTの話から書いていこう。
 JUDGEMNTというバンド名の由来は、ZIGYAKUの頭に浮かんだバンド名をメンバーに選んでもらったようであるが、このJUDGEMENTも平成ハードコア史を語る上で絶対に外せないバンドであることは間違いのない事実である。

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30年以上に渡るバンド活動とモヒカンの髪型も今年で35年目。音楽での表現以外に、日本や海外、様々な場所での演奏経験や、10代から社会をドロップアウトした視点の文章を雑誌やWEBで執筆中。興味があれば是非サポートを!