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『子どもを迎えるまでの物語 生殖、不妊治療、親になる選択』 訳者あとがき全文

さらに多くの方に届けたいと思いますので、訳者あとがき部分をnoteに公開することにしました。

訳者あとがき


 本書は、著者ベル・ボグスが体外受精治療を経て子どもを迎える体験が中心として描かれています。そして、養子縁組で家族を迎えた人、代理母出産を検討するゲイのカップル、子どもを迎えないことを選んだ人など、著者が治療に踏み切る決断をするなかで出会った、さまざまな人物の声が取り上げられています。こうした沢山の人のまっすぐなナラティブに、翻訳中は何度も励まされました。ブロガーであるレジーナの言葉にあるように、まさに「わかるよ、あなたの存在に気づいているよ、一人じゃないよ」と言われているようでした。ボグス自身も、おそらく取材を重ねて、いろいろな人の勇気に触発され、自分の体験を綴ったのではないでしょうか。私は、個人が体験を物語ること、ナラティブの力を信じています。誰も、誰かの痛みや苦しみを代わりに背負うことはできないし、最後には自分で下さなければいけないものかもしれない。けれど、誰かと同じような体験を分かち合えることは、幾度となく私に勇気を与えてきました。

 私のPCの中に、The Art of Waitingというフォルダがあります。そこには、翻訳原稿のワード文書から、クラウドファンディングの活動報告として投稿した文章、そして最初に出版社に企画を持ち込むときに作ったシノプシスまで入っています。シノプシスには、原著のあらすじや作者の紹介、なぜこの本を売りたいか、なぜ売れると思うかなどが書かれているのですが、そのシノプシスの作成日は二〇一八年となっています。そこからちょうど三年経ち、この本が出版されることになったのです。元々作者ベル・ボグスの小説のファンであった私は、二〇一六年に原著が出版されるとすぐに読んでいました。それなのに、なぜ二〇一八年から動き始めたのでしょうか。
 二〇一八年当時、私は三十四歳でした。結婚二年目で、フリーランスとしてもまだ駆け出し、そのうえ当時の元夫も個人事業主だったため、夫婦二人だけの生活も安定しないなか、子どもを産むことは怖すぎてまだ考えられませんでした。それでも事情を知らない人たちに「子どもはまだ?」「産んじゃえば何とかなるって」など、悪気はなくとも傷つく言葉をかけられることがありました。そんな中、LGBTQ+の人々と、子どもを産めないことを「生産性」という言葉で結びつけた議員の発言が報じられました。それを目にしたとき、本当に涙が出るくらい怒りを覚えました。私のように、ヘテロセクシュアルであり肉体的には子どもを産めるかもしれないけれど経済的な理由で産めない人もいれば、性的志向や出生時の性と自認する性が異なることが理由でパートナーと自分の両方と血の繋がった子どもを迎えられない人もいる。それに対してまっとうな政策を提供しないどころか、その存在をないことにするなんて、おかしくない? そう感じたのです。この本の社会的意義は、初めて読んだときから頭では理解していたものの、この出来事までは、ボグスの不妊治療の体験は私にとってはどこか「他人ごと」でした。でも、このときに初めて「自分ごと」になったのです。そして、高額な不妊治療への保険適用や、LGBTQ+の人たちが、生殖補助医療や特別養子縁組などを利用するために必要な第一歩である同性婚に向けての法改正、経済的な理由などを含む社会的不妊への認知などを進めるには、まず第一歩として、まだ語りづらいリプロダクティブヘルス/ライツ(性と生殖に関する健康と権利)についてオープンに議論しやすい環境づくりが必要だと考えました。そしてそれには、個人の体験談、ナラティブを広く共有していくことが大切であり、私は翻訳者としてボグスの体験を広く伝えたいと強く思ったのです。そして、この本は二〇二〇年にクラウドファンディングを実施し、皆さんのおかげで出版が叶いましたが、ここに至るまでの三年間、いろんな形で勇気を奮い立たせることの連続でした。シノプシスを苦戦して書いたり、それを出版社に持ち込んだり断られたり、サウザンブックスの古賀さんに初対面で体当たり相談をしたり、「うまくいけば著者に会えるかも」と、二〇一九年には出版見本市の時期にあわせてNYに行って、まぐれで本当に著者に会うことを果たしたり、クラウドファンディング中は自分でもびっくりするくらい発信を続けて、この情報を知らない人に届ける活動をしたり。この三年でこの十年分くらいの勇気を使い果たしたように思いましたが、もしかしたら勇気は使うともっと育っていくものなのかもしれません。新型コロナウィルスが感染拡大する中、宣伝はほぼオンラインの活動のみに限られましたが、発信を通して、不妊治療当事者である方々、子どもを迎えない人生を選んだ方々、特別養子縁組の当事者、同性婚訴訟の原告、ゲイカップルなど様々な方とSNSを通して知り合うことができました。皆さんがそれぞれ自分らしく幸せになれる道を求め生きている姿を拝見し、この本を読むことで勇気が出る人がいるはずだという思いを、ますます強くしました。そして、その思いがここまでずっと私を動かし続けています。
 あらためて、この本の出版を可能にしてくださった皆さん、クラウドファンディングをご支援くださった皆様に心から感謝いたします。期間中、不妊治療やLGBTQ+家族についてなどの取材や、ご支援の形でご協力くださった、一般社団法人fairの松岡宗嗣さん、オンラインメディア『UMU』の西部沙緒里さん、一般社団法人こどまっぷの皆様、株式会社ジネコの皆様、NPO法人Fineならびに理事長の松本亜樹子さん、日本財団子どもたちに家庭をプロジェクトの皆様に心から感謝いたします。また、この本の製作に惜しみなく力を注いでくださった編集の大塚玲子さん、デザインのatelier yamaguchiのお二人、医学用語監修を快く引き受けってくださった胚培養士の川口優太郞さんに心から感謝します。また、表紙に使われているクローバーのイラストをお送りくださった皆様もありがとうございます。そしてシノプシスを作っていた頃から励まし、惜しみないアドバイスをくれた友人たちと家族も本当にどうもありがとう。

 そしてまた、原著には米国内の支援団体リストや膨大な参考文献も記載されています。これら付属資料は、日本の読者向けにウェブページ*で公開しています。さらに他の資料も読み込みたい、米国内の支援団体の取り組みをもっと知りたいと思った方は是非ご活用ください。また、本書では、LGBTというQ+のない表記が使われていますが、原著が出版された時期も考慮し、原文通りの表記を採用しています。

 こうして、あとがきを書いてる今日、札幌地方裁判所が日本で初めて同性婚を認めないことを違憲とする判決を下しました。不妊治療への保険適用を検討する動きもますます大きくなっています。これも、権利のために最前線で運動をしている皆さんが自分のナラティブを公に共有してくださった賜物だと思います。この本がきっかけで、産むこと、産まないこと、産めないこと、子どもを迎えることなどのリプロダクティブヘルス/ライツについて、皆さんが身近な誰かと自分のナラティブを共有するきっかけになれば、翻訳者としてこれ以上嬉しい事はありません。


*電子書籍、紙の書籍では実際のリンクが記載されています。


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