見出し画像

「いいからやれ!」 前書き スイッチ

スイッチ

 もうすぐ50歳、中年サラリーマンのオレが、今やりたいこと、なりたいもの、欲しいもの。
 
 ピアノを上手く弾けるようになって、都庁のピアノを弾いてみたい。 
 ランニングを習慣にして、東京マラソンを走ってみたい。
 ぶよぶよのお腹をなんとかして、腹筋の割れたカッコいいオヤジになりたい。
 書きかけの小説を最後まで書いて、本屋大賞と直木賞をとって、映画化されたい。
 合気道で黒帯になりたい。
 好きな本をたくさん読みたい。
 昔やったドラクエをもう一回やりたい。
 いつも面白い仕事をしていたい。
 二人の息子が私立大学に行っても大丈夫なくらいの経済的余裕が欲しい。
 健康な身体で、美味いものを食べて、楽し
い酒を飲んでいたい。

 改めて列挙してみて思う。
 やればいいじゃんねえ。

 出来ること、出来ないことはあるかもしれないけど、走りたいなら走ればいいし、本を読みたかったら読めばいい。ドラクエ? やればいいじゃん。ただそれだけのこと。そんなに難しくないだろう?

 でも、やらないのな。

 「やれば出来る」という言葉がある。
 今までやらなかったことを、一生懸命頑張って、やってみたら出来た。という前向きな意味であればいい。
 部活ばかりで今まで勉強しなかったけど、一念発起して一生懸命勉強して、目標の学校に合格する「やれば出来る子」は素晴らしいけれど、「やれば出来る、やれば出来る」と言いながら、あるいは言われながら、一度もやらない「やれば出来るが、やらない子」もいる。
 やらないではなく、やれないだよね。
 やれば出来るなら、とっととやれよ。
 やれば出来る以前に、やれないじゃん。

 楽譜の読めないピアノマン。
 最近とんと走っていないランニングマン。
 筋トレの本は読むが、筋トレはしない筋肉マン。

 この後に続くエッセイに登場する中途半端なナントカマン。それはつまりオレのこと。

 言う前にやれ!
 このエッセイの結論は、つまりこうだ。
 いいからやれ!

 その言葉をスイッチにする。
 自分で自分のスイッチをいれる。

 筋トレの本をいくら読んだって、読むだけじゃ筋肉はつかない。
 そんな時間あったら、スクワット一回でも、腕立て伏せ一回でも、いいからやれ!
 たった一回じゃ筋肉はつかないことは百も承知だけど、その一回は、スイッチだ。
 たとえ十回出来なくても、今の腕立て一回は、二回になり、三回になり、やがて十回になる。

 ランニングマンになりたいのなら、何はさておき、外に出て、一歩踏み出す。今日は10㎞とか、まずは5㎞とか、そんなことは決めなくていい。1㎞だって十分だ。ゆっくりでいい。歩いてもいい。一歩でいいんだ。その一歩がスイッチとなり、怠けていた体に刺激が入る。

 ビアノマンになりたいのなら、まずはピアノのふたをあけて、ド、ミ、ソと弾いてみる。そしたらもう少し弾きたくなる。一曲とおして弾く技量はないけれど、好きなフレーズだけでも弾いてみる。

 筋肉マンになりたかったら、筋トレをする。
 ランニングマンになりたかったら、とにかく走る。
 ピアノマンになりたかったら、ピアノを弾く。
 小説家になりたかったら小説を書く。

 一歩踏み出してみてはじめてわかる。
 いかに自分が走れないか。
 いかに自分に力がないか。
 いかに自分の指が動かないか。

 だけど、そこから始めればいい。

 いいからやれ!

 このエッセイはゆでたまご先生の「キン肉マン」、ビリージョエルの「ピアノ・マン」、EXILEの「ランニングマン」とは、まったく関係ありません。要は、筋肉をつけたい、ピアノが上手くなりたい、走りたい中年男、オレの話しです。

 前置きが長くなりました。
 だから、こういうこと。
 グダグダ言ってないで、

 いいからやれ! 

 さあ、スイッチオン!

ほんの少しでも笑顔になっていただけたら幸いです。