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みんなで一人で

二回とも見た。見られた。
一回目は偶然に、そして二回目は半ば計画して見た。三日前のことだ。

予定時刻はちょうど職場からの移動時間にかかる。地下に潜ってしまっては見られないから、二駅ほどの乗換駅まで歩くことにした。
ビルの林立する街中だが、中央通りは広い。分けても銀座はルールがあって、ある一定以上の高層は建てられないから、そこそこ空が見える。その銀座から少しだけ離れ、さらに視界のひらけた交差点に立ってその時を待つ。

前回は、一人で自宅から、ふと見た窓の外に展示飛行を発見した。五つの機体は水平に走り、五輪の楕円もかなり平たかった。期せずして見られたこと、いま、を感じさせてくれること、さまざまな理由でうれしかった。ああ、今日は特別な日なのかも知れないと思った。


今回は少し違って、わらわらと集まってくる見知らぬ人々と路上にいる。お買い物途中のマダムも、スマホを手に同僚たちとビルから出てきたサラリーマンも、若い人も年配の人も、私みたいな中途半端な人も同等に空を見上げる。青い制服のヤクルトレディは例の大きな台車を交差点に停めた。用ありげに横断歩道を渡る白いワイシャツも何となく上空に目をやっている。交差点の対岸にある美術館前にも人が溜まってきた。まだかな、どっちから来るのかな。

日々流れるニュースは、耳を疑うようなものだ。東京で、隣県で悲しくやりきれないことが起きている。いまこの状況を、平和と呼んで良いのかはわからない。それでも、例えばここがミャンマーだったら、アフガニスタンだったら。皆が足を止め何かをともに待ち、心をときめかせることは、きっとできない。

あっ
と誰かが言ったかどうか、空を五本の煙が行く。速いなあ!
新しい美術館のビルをかすめるようにして、空に長い帯をくっきりと描き、機体はまっすぐに飛び去った。
いやーはやかったなー
その場を離れ日常に戻る人々の声。白い曇り空を名残の煙が彩る。ふわふわと徐々に淡くなり消えていくそれを見ながら、私はとても暖かい心持ちでいた。一回目に観た時とは違う気持ちだ。
一人で生きたいと痛切に願った時もあった。その逆もあったように思う。今は、そのどちらでもない。みんなの中の一人として、時にはともに何かを待ち、喜び、悲しみ憤って生きる。そんな生き方もあるはずだ。
地下鉄の駅の方へ。再び歩き始める。



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