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10月7日

これはビーグルか?いやダルメシアン。
101匹ワンちゃんのあの犬の置き物、それもかなり精悍な風貌のそれ二頭が、仮面をつけてポーズを決めている。例の黒く先端の尖った帽子を被って、念入りなことにはオレンジ色のマントを着せられている。
ここは父のいる老人保健施設だ。今わたしは父の出迎えにここにやってきた。母が退院してきて24日目の今日、父も家に戻る。

初めてここにきた時には、夏祭りの飾り付けがしてあった。それがお月見の設えに変わり、今はハロウィン。
仮装した犬をぼんやりと眺めながら、わたしは鼠色のシートに頭の先まで包まれている。シートの名は不安という。コスチュームは纏っていなくても、おそらくおばけのような面持ちをしている。

突然の母の入院を受けて仕事を2週間休んだあと、父を施設に送り出すことになった。わたし一人で在宅で父を看ることは困難で、他に方法がなかった。
ケアマネさんも驚く異例のスピードで施設は父の受け入れを決めてくれた。母は依然入院したままで、わたしは10何年ぶりかで一人暮らしとなった。母の面会には足繁く通っていたけれど、誰のお世話もしなくてよい暮らしというのを、ずいぶん久しぶりに経験した。父の方は、面会は週に一度、それも20分間しか許されていなかった。まだまだコロナがその長い尾を引いている。

母は曲折を経て、それでも想定していたより早期に退院した。短い一人暮らし期間は終わり、母との暮らしが再開する。

大きな麻痺は残らなかったものの、果たしてどの程度までこれまでの暮らしぶりに戻れるのか、様子を見ながらの日々が始まった。
一見すると変わりないようでいて、あらゆる動作に怖さや不安があるようだった。
お風呂の椅子に座ると立ち上がれなさそうだから座らない。湯舟から出られなさそうだから入らずシャワーにしておく。両手でお盆を持つのはこわいから一皿ずつ料理を運ぶ。明確で自信のある話しぶりは徐々に弱まり、あれができないこれもできそうにない、こわい、と揺らぐ声で否定形を連ねることが多くなった。
それでも母がいる暮らし、その母に優しく接する余裕のある暮らしは、私の心をも和らげた。
玄関先や庭の植木に手をやる時間のゆとりがあること、何より二人でともに食卓に就くことがうれしかった。母はひとり病室で過ごし、いかばかり寂しかったろうと思い至る。入院しているさなかには、なぜかそうは思わなかった。母の痛みに目を向ける余裕がなかった。

一方で、父を預けてすぐに抱いていた気持ちは変化していった。週に一度しか会えないことがあんなに辛く心配であったのに、常に携帯電話への着信に気をつけてはいたけれど、「もう委ねたのだから」と距離を置くことに慣れていった。
本当に幾年ぶりかで、私は心の穏やかさを取り戻した。常に荒波の中に身を置き、さらに走り続けるような日々が、にわかに凪いだ。悲しみも、苛立つ理由も、焦る原因も、どこにもなかった。

しかしながら、
母は父と再び一緒に暮らすために退院した。勧められた転院を断って。父を呼び戻さなくてはならない。
週に一度の面会が3回目になる頃、父の退所を施設に依頼した。而してわたしは今おばけの顔となり、施設の整ったロビーで父を待っている。




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