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庭のこと

庭師さんが来てくれた。
今年はもう決まっちゃってて無理ですね、来年、と言っていたのに、キャンセルでも入ったのものか、2023年もあと3日という日に来てくれた。
庭の手入れに来ていただくのは3度目だ。この方にお願いしてから、庭が広くなった。家の歴史とともに半世紀近くを経た、小さな庭。
なにしろきれいになる。木々は姿を整えて、落ち葉や雑草の降り積もった地面は履き清められ、どちらも嬉しそうに見える。その状態をキープできれば、いいなあ。そのままとはいかなくとも、まだ草の生えぬこの時季なのだから、少しでも長くこの様子を保ちたい。

祖父母の頃には気がつかなかったが、この庭は秋冬がよい。柿の葉、満天星がそれは美しく色づき、それが散り敷く頃には、黄色い千両と白い万両が実をつける。やがて水仙がつぼみを伸ばし、蝋梅が馥郁と香り、紅梅が出番を待つ。その背後では紅白の椿が咲く。小さな侘助も咲く。
春夏はただそっけなくしている庭。秋に動き始めて、この年末年始の頃、いちばんに華やぐ。

去年からあまり実をつけなくなった千両は、春先に大きく切り戻すと良いらしい。
「三月朔ころ」
よく言われてきたのは三月十五日頃だけれど、昨今の気候を思うと朔で充分でしょう、遅霜のなくなる時季に。と庭師さんは教えてくれた。
「ばらは、どうでした?」
夏に来ていただいた時に、あまりの暑さに弱るばらが心配で、相談したことを覚えていてくれたらしい。自宅のばらの一鉢は、今夏の熱射で半身を枯らしてしまった。それでも完全には枯れずに生き残ってくれたのは、教えてもらった通りに葦簀で日除けをしたり、葉水をしたのがよかったのかも知れない。

大きな梯子を白樫に立てかけて、
「うちも、妻の父親が入院先から戻って、この年末は在宅看護です」
と庭師さんは突然言った。
朝、デイサービスに行く父とヘルパーさんを見送るわたしの姿を見てのことらしい。
「でも今は、訪問診療とかいろいろありますから。
自分の親の頃はそういうのなかったですから」

親のお世話というものを始めてもうずいぶんになる。であるのに、それを特別なこととして捉えなくなったのは最近のことだ。どこかでほかの人はしていないこと、と思う自分がいた。浅はかであったと思う。友人たちよりそれが早く始まり、長く続いているということはある。
介護、ということ。
世代を問わずわかる人にはわかり、わからないまま一生を終える人もいる。人はそれぞれ人生が違い、担うものが違うのだから当然のことだ。言ってみても仕方ない。ようやくそれがわかってきた。

週末は親元で過ごす時間が増えた。手の空いた時には庭に出る。きれいになった庭をさらに整える。とてもたのしい。




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