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りんごと修道士

自分は今、人生のどのあたりにいるのだろうと考える。こんな考え自体が、今はまだ中間地点だという前提に基づくもので、そもそも無意味であるかも知れない。今はまだ給水ポイント手前の上り坂に差し掛かったところで、まだまだ先がある。だから今はこんなスピードでしか走れなくても大丈夫。そう自分に思わせるためにそんなことを考える。
本当にそう?と問いかける声も、窓の向こうから聞こえてくる。

昨年末、りんごを沢山送っていただいた。部屋に飾るように置く。
北から到来した実の赤さは、冷え切った心に灯をともすみたいだ。年を重ねるごとに、不思議とこころ惹かれるものは増えていく。以前はあたりまえで平板に感じられていたあれこれが、それが大切な約束ででもあったかのように胸に訴えかけてくる。まだ涙もろくなってはいないけれど、これはその前兆かも知れないなどと思う。

行ってくるねと声をかけると、暖房の効いた部屋で膝掛けをかけた父が、
ああ、気をつけてな
と優しいおじいさんの姿で言う。さっきまで母とやりあっていたのに。座りきりの父に、こぼさないで、と朝食の皿に手を添えたり、男前になる、とか言いながら髪をとかしたり、盛んに世話を焼く母。煩わしいのか嫌がる父と揉めたりして。夫婦の最終形はこんなふうなんだろうか、とわたしは少し退きでそのアングルをとらえる。冬の寒さが永遠には続かないように、この日々もまた移ろっていく。

母は昔の写真を取り出してきては、父に見せる。懸命に説明する。これはうちの庭よ、灯籠があるでしょう?これがさやちゃんで、おじいちゃんの膝にいる。こんなに小さなさやちゃんが大きくなって今、、と。若い父と母の写真もある。これは霞ヶ関ビル。あの頃建ったばかりだった。これは石廊崎。
恋人同士であった頃の二人が、ビルの椅子や岬を背景に笑顔でこちらを見ている。

父は極めて手先の器用な人だったが、今はお箸がうまく使えない。エプロンでは追いつかなくなって、フードつきのポンチョを着て食事する。母は、「百人一首のお坊さんみたいね、蝉丸とか、西行法師とか」。しかしどちらかというとトラピスト会の修道士に似ている。フードの襟元から十字架を下げれば、ほとんど修道士そのものだ。膨らんだ袖から、器用そうな、指の長い大きな手がのぞく。

季節は少しずつ進み、りんごから苺の頃になる。
登りがあり下りがあり、幾つものエイドステーションを過ぎた。ゴールはどこだろう。そんなものはないかも知れない。走って、時には歩いて。
いま、これはこれで精一杯の、このスピードで。



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