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【レビュー】『よふかしのうた』~アンチ「日常系」としての日常系~

 「日常系」と言われるジャンルがあります。

 特にバトルがあるわけではない。血沸き肉躍る冒険があるわけではない。私たちの現実世界と同じような世界を舞台に、平和な日常生活を描いた作品たちのことです。ラノベだと『涼宮ハルヒの憂鬱』、マンガだと『あずまんが大王』『のんのんびより』、あるいは『ひだまりスケッチ』に代表されるきらら系・・・と大ヒット作だけでも枚挙に暇がありません。

 あるいは、この日常系にラブコメを合流させることで、男女1対1のほほえましい日常を描く『からかい上手の高木さん』のような作品が登場します。ラブコメはヒロインを複数登場させるハーレム型が王道です。しかしこれを、複雑な人間関係や人間ドラマを極力排する「日常系」に適用しようとすると、登場人物を男女一人ずつという最小単位に絞り、その平和な関係性を見守るような形態になる。こうした日常系の新たな形(「高木さん系」とでも呼びましょうか)も、近年ますます人気を博すようになっています。最近では『僕の心のヤバいやつ』が覇権ですね。

1. 「日常系」としての『よふかしのうた』

 そんな「日常系」という文脈で、ある特異な性質を持った作品が、マンガ界に登場しています。それは『よふかしのうた』です。

 あの『だがしかし』コトヤマ先生が2019年に「週刊少年サンデー」で連載開始し、2021年2月時点で既刊は6巻。毎日真夜中に外出しては散歩している不登校の中学生コウ君と、謎の女性ナズナの日常を描く物語です。夜の町に出歩いたコウ君が出会ったこのナズナという女性の正体は、まさかの吸血鬼。コウ君の血の味が特別気に入った彼女とコウ君は、夜な夜な逢瀬し、昼間にはできない自由な日常を満喫するようになるのです。

 このとおり、『よふかしのうた』はまさに「日常系」の作品です。主人公であるコウ君と、ヒロインのナズナが楽しい日常を送り、そしてナズナがコウ君の首筋を噛んで血を吸う、という少しドキドキした関係にもなる。そんなお話が描かれていきます

 日常系をあまり読まない方は「ああそういう感じか、じゃあ読まなくていいかな・・・」と思われるかもしれません。ところがどっこい、この『よふかしのうた』はそれだけでは終わりません。この作品には実は、本来「日常系」から抜かれているはずの、ある強力な「毒」が含まれています。言い方を変えるならば、「日常系」の皮をかぶっておきながら、その欺瞞を暴露してしまうような仕掛けが、この作品には施されている。これが、日常系であるはずの『よふかしのうた』の、大きな魅力になっているのです。

 このレビューは、そんな「毒」への誘いです。

2. あらすじ

 中学生の夜守コウは、人間関係や優等生としてのふるまいに疲れ、不登校になっていました。ある日、退屈を紛らわすために真夜中に一人散歩に出かけると、謎の女性、七草ナズナと出会います。彼女と歩く真夜中の町は楽しくて、あれよあれよと彼女の家へ。そこで、彼女が吸血鬼であることを告白されるのです。

 昼の世界に嫌気がさしていた彼は、自分を吸血鬼にしてくれと頼みます。しかし、人間が吸血鬼になるには、ナズナに血を吸われるだけでなく、彼がナズナに恋をしなければないというのです。彼はナズナに恋をして吸血鬼になるため、毎夜彼女と夜更かしをするようになります。

3. 日常系が服用してしまった「非日常」という毒

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 『よふかしのうた』1巻 P. 34

 本作序盤は、まさに「日常系」として物語が進みます。

 夜の町を歩いたり、夜更かししてゲームをしたり、酔っ払いのおっさんに話しかけたり、トランシーバーで遊んでみたり。昼の世界の嫌気がさしていた彼は、夜の解放的な雰囲気、そして自由に魅了され、日々を楽しく過ごせるようになります。そして最後はいつも、ナズナが抱き着くように寄り添ってきて首筋を噛み、血を吸ってくる・・・ どんどん豊かになっていくコウ君の感情を、その自由なふるまいを、「血がおいしくなるから」といって彼女は肯定してくれるのです。

 こんなユートピアがあるでしょうか。ここでは優等生のようにふるまわなくてもいい。変な人間関係やルール、不都合な事実に縛られることなく、好きなことができる平和な日々がずっと続いていく。そして、横には自分を肯定してくれる、ドキドキした関係を感じるステキな女の子がいる。「日常系」(あるいは「高木さん系」)のエッセンスをふんだんに詰め込んだ完全な世界が、そこには広がっているのです。

 しかし、ここには実は大きな仕掛けがあります。『よふかしのうた』が描くこの完全なる「日常」には、初めからある構造的矛盾が隠れているのです。

 それは、この夜という完全な「日常」が、コウ君にとっては煩わしい日常から逃避するための「非日常」として成立しているということです。

 日常系、すなわち『のんのんびより』や『からかい上手の高木さん』では、それが「日常系」であるがゆえに、そこからは複雑な人間関係やストレスの原因が極力排除されています。日常系にとっての「日常」とは、楽しくて、まったりした、ストレスレスなものであるべきなのです。(これを以下「日常系的日常」と呼称しましょう。)

 一方、本作はそうではありません。コウ君がこの夜に生きているのは、昼の世界という、複雑な人間関係やルールに縛られた「日常」があったからなんです。告白してきたクラスメイトをフッたらその友達に嫌がらせをされたり、優等生としてのふるまいに疲れたり・・・そんな「日常」から逃避した結果として、夜の世界という「非日常」を得ている。そしてその非日常が、上記のとおり「日常系的日常」として描かれている。これが、『よふかしのうた』の「日常系」としての構造です。

 ここに、『よふかしのうた』の「日常系」としての大きな捻れがあることがおわかりでしょうか。上記のとおり、日常系であるのであれば、日常をストレスレスなものとして、「日常系的日常」として描ききらなければなりません。しかしながら、本作はその物語の出発点で、「ストレスのある日常」を描いてしまっているんです。だからその代わりに、ストレスなき「日常系的日常」を、本来「非日常」であるはずの夜の世界のほうに見出している。「日常系的日常」を、「日常」ではなく「非日常」に見出す転倒が、この『よふかしのうた』には起きているんです。

 するとどうなるか。この転倒はまるで遅効性の毒のように、『よふかしのうた』の「日常系的日常」を蝕んでいきます。というのは、「非日常」であるはずの夜の世界は、コウ君がその世界に入り浸るほど、コウ君にとって新しい「日常」になってしまうからです。コウ君が夜の世界で生きるほど、彼は夜の世界におけるお客様ではなく、夜の世界を「日常」として過ごす住人になっていくんです。そしてこの作品において、「日常」とは何か。そう、それは「日常系的日常」などではありません。コウ君がかつて逃げた、「ストレスのある日常」なのです。

 実際、物語が進むと、コウ君はより深く、夜の世界に関わっていくようになります。吸血鬼とは一体何なのか。人間が吸血鬼に関わることは、人間にとっていかなる意味を持つのか。ナズナは、一体何を考えているのか。そうした秘密にコウ君が触れることで、この夜の世界は、その姿の詳細が明らかになっていきます。物語が大きく広がっていくのです。そしてその世界の姿とは、もはや「辛い現実から逃避できる幻想的なユートピア」ではない。人間関係や吸血鬼のルールに縛られた、もう一つの「乗り越えるべき現実」なのです。

 これは、「日常系的日常」という欺瞞の暴露です。『よふかしのうた』は、一見「日常系」を装いつつも、刹那的な「非日常」のほうに「日常系的日常」を見出すことで、「日常系的日常」が、実は儚い夢でしかないことを暴露してしまうのです。「ストレスのない日常」など実は存在せず、そこから逃げても、その先には結局、新たな「日常」が待っている。「日常」とは逃避不可能な、乗り越えるべき現実であるということを、「日常系」フォーマットを使うことで、逆説的に明らかにしてしまう作品なのです。

4. 『よふかしのうた』が持つもうひとつの毒

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『よふかしのうた』1巻 P.53

 一見メジャーなフォーマットを装っておきながら、そのフォーマットの欺瞞を暴く。この『よふかしのうた』が隠し持つ毒性は、実は「日常系」だけではなく、もう一つのメジャージャンルにも向けられています。それは、「高木さん系」です。

 「高木さん系」とは上記のとおり、特定の男女2人のほほえましい関係性を描く系です。この系が多数のフォロワーを生み、強い人気を獲得しているのは先述のとおりですが、なぜこのフォーマットは多くの人の心を掴むに至ったのでしょうか。

 理由は様々にあるかと思いますが、そのうち大きな理由の一つは、多くの人が感じている「恋愛不可能性」にあるのではないか、と考えています。多くの人(というかオタク)にとって、異性と一から関係を築き、ぶつかり合い、絆を深め、結ばれるという営為に、困難性を感じている。その過程に辛さを感じ、共感もできない。しかし、恋愛の結果(大切な人と結ばれる安心感、いちゃいちゃ)は欲しい。これが、恋愛不可能性のジレンマです。

 そのジレンマを超える方法として今、物語において二つの回答が示されている。そのうちの一つが、「高木さん系」なのだと思います。恋愛の過程のほとんどをすっ飛ばし、既に特別な関係が(メタ的に)約束されている男女を提示する。そうすることで、恋愛の過程の苦しみを認めず、順調に育まれていく愛という結果を楽しむことができるのです。(ちなみにもう一つの回答は、本質的には同じですが、いきなり結果から入る「いきなり結婚系」です。『逃げるは恥だが役に立つ』、『ながたんと青と』、『結婚するって、本当ですか』、『いとなみいとなめず』、『焼いてるふたり』などなど・・・)

 そして『よふかしのうた』も、外形だけを見ると、この「高木さん系」に入っています。夜に会うなり突然主人公を家に連れこみ、添い寝しながら血を吸ってくる女性。そして血が特別おいしいからとずっとコウ君についてくる女性。それがナズナです。もういろいろ過程をすっ飛ばして、いきなりナズナとコウ君は特別な関係になっている。まさに、「高木さん系」のフォーマットだと思います。

 一方で興味深いのは、あらすじのとおりこの物語では、コウ君は吸血鬼になるため、ナズナに恋を「しなければならない」ようになっていることです。この作品では、恋愛は「しなければならない」ことなのです。「高木さん系」のフォーマットは、上記のとおり恋愛が「したい」という気持ちから成っているというのに。

 もっと言うと、コウ君が夜に生きるようになった一つの原因は、クラスメイトをフッたことによるクラスでのいざこざです。彼は相当このことに参っており、恋愛自体、ひどく面倒くさいことだと認識しているんです。彼にとって、恋愛は「しなければならない」だけじゃない。「したくない」ことですらあるのです。

 そう、この作品は、恋愛「したい」がゆえの「高木さん」フォーマットをわざわざ適用した上で、恋愛「したくない」「しなければならない」物語を進めようとしているのです。これは非常に反抗的な、反恋愛至上主義ではないですか。「高木さん」フォーマットでどれだけお膳立てされようとも、簡単には恋愛してやらねーからな!という執念、あるいは、そもそも恋愛って必ずしなければならないものなの?という疑念、そんなメッセージが、そこからは感じ取れないでしょうか。

 この姿勢が、徹底的な反恋愛に行き着くのか、それとも「高木さん」の恋愛への引力から一旦脱した上で、やはり恋愛の素晴らしさに回帰するのか、連載中の現段階ではまだわかりません。しかしいずれにしろ、「高木さん」フォーマットを一旦引き入れつつ、その趣旨を否定していくかのような寝技。ここにはやはり、「日常系的日常」を非日常の世界の適用させたのと同じ、「毒性」と感じずにはいられないのです。


 本作は「日常系」、「高木さん系」のフォーマットを一旦は引き受けており、その点で非常に読みやすくて、楽しい作品です。基本的に1話完結で進む軽妙なコメディ、下ネタ大好きだけど恋愛の話になると突然赤くなるナズナちゃんの愛らしさ、ぞくぞく出てくるかわいい吸血鬼たち、どれをとっても、私たちがマンガに求めているものが凝縮されている素晴らしいエンタメです。その意味だけででも、強くおすすめしたい作品です。

 しかし、美しいバラには棘がある。甘い雰囲気で読者を誘い、その心にぴりりと効かせる毒針がある。その甘美な毒に、どうかあなたも身をゆだねてみませんか?

(終わり)


P.S.  こうした「甘い」フォーマットと「毒」が共存した名作として、他に『雪女と蟹を食う』という作品があります。かなりアダルトな作品ですが、こちらも傑作です。ご興味がございましたら是非に。






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