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テレパシーまでいくかな?!

今、気になるトピックは何でしょう?

いろいろありますね・・・いろいろありすぎて、もう数えられなくなってきました。いちいち論じることすらバカバカしくなるほどです。

この記事を書いている時点で、既に社会で論じられている問題が、もうツッコミどころだらけで、やってられないと思っていました。

しかし、それから約一年が経って、最近ではさらに昆虫食のゴリ押しやら、LGBTの法整備やら、テーマは増えるばかりです。とてもではないですが、それらをひとつひとつ追って、問題点を整理するだなんてやってられません

また、仮に問題を整理するにしても、論じる際の前提条件について、どこまで遡るかというのも難しいポイントです。

マスコミを通じてしか情報を得てこなかった人に対しては、まずマスコミの問題点から整理してあげないといけません。そうでないと論理が飛躍していると見做され、ただの妄想の類としか伝わらないからです。

最近、個人的には、この記事をみて、またガッカリしました。

また扇動」って・・・2021年1月6日に起こったアメリカ国会議事堂襲撃事件のことがあるから、この表現になっているのでしょう。しかし、その事件については、今まさに大きな問題提起がされています。

公開された別のビデオには、「QAnonシャーマン」ことジェイコブ・チャンスリーが警察の護衛を受けながら平和的に議事堂内を歩いている様子が映っていた。
1月6日委員会のメンバーであるリズ・チェイニー、アダム・カイジンガー、ナンシー・ペロシとメディアは、1月6日に実際に起こったことについて嘘をついた

トータルニュースワールド
「トランプ大統領「ペロシと1・6議会調査委員会の詐欺がばれたのだ!彼らは訴追されるべきだ」/民主党の大嘘が暴かれたことに」
2023年3月7日より引用

この問題、発生当時からトランプ氏の扇動というのは、相当、疑わしかったです。さらにここにきて、「やっぱり」という物証が出てきているわけです。

にもかかわらず、そんなことには一切触れず、「また扇動」などという印象操作をするあたりが、今のマスコミです。

しかし、そんなことをマスコミ漬けの人に話をしても、「トランプ?あの下品で横暴なヤツだろ?」という反応が返ってくるだけです。前提条件が違いすぎて、話になりません

そうなってくると、話が合わない人とはどんなに時間をかけたところで、ちっとも話が伝わらないということになります。まったく困ったものです。

私は全てにうんざりしている」って、まさにその通りです。

いや・・・ところで、このことを逆に考えてみると、ちょっと面白いことに気付きます。

たしかに話が合わない人とは、いくら時間をかけて話しても、まるで噛み合いません。やるだけ時間の無駄になります。

けれども一方で、話が合う人とは、ものすごい短時間でも、きっちり伝わるようになってきているとも感じるのです。多くの言葉を交わさずとも、安心感をもって話ができる感覚です。

いうなれば、阿吽の呼吸というやつでしょうか。

阿吽の呼吸とは、二人以上の人が何かをするときの、微妙な気持ちや調子。また、それがぴたりと合うこと

故事ことわざ辞典
「阿吽の呼吸」より引用

問題が多くなればなるほど、それらの問題を共有することは大変です。さらに、その先に目指すものを共にしようなどと思ったら、一筋縄ではいかないであろうことは想像に難しくなりません。

でも今、富士河口湖農園で農業をしていると、それはそんなに難しくないかもしれないと思わせてくれます。

一緒に農業をさせていただいている軍曹殿とは、表面上の言葉のやり取りだけでなく、そうでないところで繋がってる感じがするのです。軍曹殿は、言外の無意識で、いろんなことを受信しているように思えてなりません。

上の記事では、その軍曹殿の感覚を「天才」と表現しました。もう少し違う表現をすると「神様」くらいな感じです。

多くの言葉を必要とせず、阿吽の呼吸で、すべての物事が回っていく感覚です。

大変な世界に直面して、私たちの感性が磨かれていくなかで、多くの人とは話が通じなくなった一方で、通じる人とは少ない言葉でも通じ合えるようになるという能力が開花してきたとも解しえます。

「このまま感性が磨かれていくと、いずれ言葉すら要らなくなるのか?」

そう思ったら、それもそれでワクワクします。もしかして、テレパシーでも使えるようになるのかな?

さぁ、どうでしょうね。でも、そう思った方が楽しいです。ものは考えようで、今、私たちは、そういう訓練をしている可能性だってあります。

話が通じない人といつまでも言葉で話しても無駄で、少ない言葉で通じる人たちと、どこまで言葉を減らしても、お互い通じ合うことができるのか・・・そんなことを探ってみるのも面白いと思うのです。

世界の問題が、数えきれないほど多くなってきているとき、それらをひとつひとつ数えるのではなく、そんなふうに問題の根っこに目を向けて、本質的な部分だけを眺めるようにしてみたら、まったく別の世界が開けてくるのではないかと思うのでした。


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