見出し画像

思 ひ 出 (四)

    第 六 章

 石川啄木の墓のある立待岬へは

よく行つたものだ。山蔭の草むら

のなかに古びた木の墓標がかたむ

いて、それは木の葉の雫をうけて

苔にまみれてゐた。石川一族の墓と

書かれた墨は消江うすれて、裏に

は―東海の小島の磯の白砂にわれ

泣きぬれて蟹とたはむる―といふ

懐しい歌がかすかに讀まれるほど

であつた。啄木の歌はどれひとつ

私の心にしみないものはなかつた

私は暇を盗んではその岬へ行つて

啄木の墓前にぬかづいたものだ。

そのみじめなほど淋しい墓前に座

つて私は、啄木の生存は跡かたも

なく亡びてもその藝術はとこしへ

につたへのこされ、今もなほかは

らずに生いきと私達の心をうつで

はないか。藝術のちからといふも

のは、そのありがたい境地をいふ

のだ。たとへ啄木の墓は荒れくち

て貧しくとも、それはかへつてこ

のすぐれた藝術家の風格を偲ぶお

く床しいよすがとはなれ、決して

不名誉なことではないのだ。―さ

ういふことをいくたび心にくりか

へしたことであらう。

 或る雨の降る夕暮、傘をさして

私はそこへ行つたことがあつた。

するとその墓の前にひとりの若い

女が傘もさゝずに、ざんざんと降

り注ぐ雨に濡れそぼつてひざまづ

いてゐたのだ。それをみた私は敬

虔な氣持を覺江た。この雨の日に

啄木の墓を訪れるほどあらたかな

心を持つた女―さういふひとと一

しょになつてこの人生をおくるな

らばー當時十七歳の私はあらぬこ

とに心をときめかし乍ら、そんな

ことをゆめみたのを忘れ得ないの

である。

 秋のその岬の思ひ出はことに懐

しいものなのだ。秋晴れの日は每

日のやうにその岬のけはしい岩角

に上つて、浪の荒い津輕海峽の海

鳴をきゝ乍ら、ふしづけて啄木の

歌をうたつたり、涯しない太平洋

を遠く眺めたりしてゐると、山の

樹で百舌鳥がないたものだ。さう

いふ淋しい、森閑とした秋の岬は

私の心にながくしみついてのこつ

た。なにゆ江となくふと淋しさに

おそはれることが、その頃の私に

はよくあつた。さういふ時は夜で

もひとり家をぬけだして私はその

岬へ行つたものだ。岬と逢びきを

する―さういふ氣持であつたのだ

 それが月の良い秋の晩であつた

りすると、もの凄いほど靜かな美

しさであつた。幽玄落莫の人生と

いふものがあるならば、恐らくそ

の岬の月明の良夜にひとりたゞず

むときの氣持をいふのであらうか

 秋の満月の夜はこの街の歌人達

が集つて、この岬で啄木を偲び乍

ら、歌をつくつて朗讀する會をひ

らくならはしであつた。天空にみ

ちこぼれる月映をいちめんにあび

て、草の上に圓形をかたちづくつ

た街の若き藝術家の群れ―それは

田舎の盆踊をもつと靜かに、もつ

と神秘に、さうして深刻に静神的

にした情景であつた、その美しい

氣品高き會合―それは今思ひ出し

てもなつかしいものである。

 又その岬ではよく情死があつた

その頃の私は、情死をする人々の

せつぱつまつた心持を哀しむより

は、さういふ美しい自然につゝま

れて死んでゆく、繪畫的な、詩的

な人生を、或る憧れに近い心持で

賛美したものであつた。

 或る時は足のむくまゝに田舎の

村へ行つた。馬鈴薯じゃがたらいもが熟れるころ

で、畑からぬいたばかりの土のつ

いたものをゆでゝもらつたものだ

白いつやのある粉がふきでて舌の

上でとろけるほど美味であつた。

盆祭の頃はことにさういふ山村に

私はひきつけられたものだ、その

夜は街から忍んで行つた未知の私

だちにさへ、村の娘は戀をしたか

らである。草深い山蔭のくらやみ

でさういふ娘の囁きをきいたこと

は、今でも私に恰も初戀の甘さと

懐しさとを思ひ出させてくれるの

だ、「あれが銀河だ」と言ひ乍ら、

高だかと手をその方へかざして娘

と抱き合つてゐると、ふと山蔭が

ぼーッとあかるむのだ、その燈火

のかげはゆらゆらとゆれて、だん

だんとその明かりの大きさをひろ

げてくるのだ、やがて山蔭を出は

ずれて田圃路にかゝると、それは

幾人もの子供だちの手にかざされ

た松火のほのほであつた。「夜堀の

火!」と娘は私のかげに身をひそ

めるやうのするのだ。「何も恐いこ

とはない」私は大人らしくさう言

つて娘をいたはつたが、やはりく

らやみに身をすぼめるやうにした

松火の明かりで川魚をおびきよせ

て、もりでつく田舎の子供だちの

遊びにさへおび江る―さういふ戀

であつたのだ。やがて又その明か

りは川つたひに遠くすぎ去つて行

つた。さういふ昔の田舎の夜を思

ひ出すたびに、私は「あれが銀河

だ」と一夜の戀びとにたゞそれだ

けを語つた私の言葉に、何ゆ江か

或るなつかしさを覺えるのだ。

「盆踊を見に」といふ美しい散文

を書き綴つて友達が新聞にのせた

のはその頃であつた。私もよく短

歌や散文をつくつて街の新聞にの

せてゐた。草川義英―それがその

頃の私のペンネームであつた。私

の文學の上の或る友達が、津輕海

峽をわたる汽船から身ををどらせ

て自殺したのもその頃であつた。

その友達は失戀をしたのであつた

がー失戀の果て自殺をする厭生家

の心持を思ふと、今の私・・・三人の

美しいひとに戀して三人ともにこ

とはられた私は、うそ寒く寂しい

氣持にひきこまれるのである。

    第 七 章

 私にもこのとほり、數かずの桃

いろの思ひ出はつきないのだ、書

きつゞけてゆくと、後からあとか

らはてしなく心の眼にうかみ上つ

てくる思ひ出―恐らく私の一生涯

そのものが、ひとひらの淡い思ひ

出であるともいふことのできる長い

ながい思ひ出―私はその桃いろの

思ひ出のうちから生れかはらうと

して、今この散文を書いたのであ

る。生れかはつてさて君は何にな

らうといふのだ―それは暫らくた

づねずにおいて頂きたい。どうな

るものやら、この私にさへさつぱ

り分つてはゐないのだから。私は

もう思ひ出に疲れはてたのだ。

 私はこのつまらない私の影繪を

うつしとつた二十枚の散文の原稿

を筐底におさめて、さてそれから

メリメエの「ゑとるりのあの花瓶」を

讀んでみたのだ。「ゑとるりのあの花

瓶」それは何といふおくゆかしい

氣品をもつた作品であらう。佛蘭

西の名畫―或は伊太利の映畫をみ

るやうな、うつとりするほど素敵

な感觸―私はメリメエを一生忘れ

ないであらう。


 かくして今は私の誕生日である

二月十一日の午前三時である。私

はこの明けがたちかい夜更けの室

にひとりこもつて、藝術家の空想

にふけつてゐたが、やがて卓燈の

ともしびを消すために、その銀い

ろのくさりをひつぱつたのだ。

     (終)ー十四・二作ー

(越後タイムス 大正十四年四月十二日 
     第六百九十七號 二面より)


※↑思ひ出(四)の記事がきっかけになって草川義英名義での函館毎日新聞への投稿が見つかった。


#散文 #エッセイ #越後タイムス #大正時代 #函館 #散文 #エッセイ #石川啄木 #立待岬 #津軽海峡 #メリメ #ゑとるりあの花瓶
#一度は行きたいあの場所 #夜光詩社 #函館商業高校


写真は「函データ」さんの素材を使わせていただきました。
https://note.com/hakodata




       ソフィアセンター 柏崎市立図書館 所蔵

※関連記事


この記事が参加している募集

一度は行きたいあの場所

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?