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紹介二篇 ー品川力氏の新生活瞥見

    ◇   野 瀬 市 郎
 何にでも樂しんで仕事を轉々す
ることの出來る人間は可なり羨ま
しい人間だ。僕の死んだ父の友人
にさういふ人があつて、この人は
生涯のうちに殆んどあらゆること
を職業としたものだつた。ならな
かつたのは、新聞記者と大臣ぐら
ゐなもんだつた。
 僕は今までに三つか四つ職業を
變へたことになるが、わがチェス
タートン・ツトム君も、今度はい
よ/\富士アイスクリームへもぐ
り込んでしまつた。冬空に向つて
さぞかしアイスクリームは冷たい
だらうと同情してゐるが、なに働
く人間は熱いもんだよ、と彼はチ
ェスタートン張りに云ふかも知れ
ない。
 富士アイスクリームといふのは
銀座の天金の近くだ。暇があつた
ら行つて見給へ眞白な服をつけた
男がスタンドに立つてゐる。其の
うちで一番若くて背の高いのがツ
トム君さ。
 なに、冬なかアイスクリームば
かり、舐めさせやうつて譯ぢやな
い。温かい飲みものは幾らもある
んだ。バラックでも感じのいゝ店
ですよ。資生堂よりは腰が落つく
だけでも我々には氣持がいゝ。
 今度は和製チェスタートンも、
生涯の仕事をきめたらしいから、
駄文を書いて菊池に送る譯だ。―
こんなものでもお役に立つのかな
――――――――――――――――



     ◇  菊 池 與 志 夫


今春エドガア・アラン・ポオ氏の

-THE RAVEN-の燦譯さんやくによつて

僕を驚嘆させた品川力君が、銀座

の TEA ROOMー富士アイスクリ

ームのスタンドに立つて、爽快な

るソーダ パイプを握つてゐること

は、上掲の野瀬市郎の一文にある

とほりである。

 僕の友人なる鈴村廣太郎氏は並

なみならぬ味覺神徑の發達した男

ですが、この男の申しますにはー

あの店は食べものが美味いのだー

といふことで、この男が賞賛する

ほどなら、よほど評判のいい店に

ちがひないのである。

 そこであの店には、西洋人や日

本人でも、多く藝術家などが行く

さうで、主人が長く米國に行つて

ゐただけに店の感觸も仲なかいい

のである。ところで、わが品川力しながわつとむ

君は、生意潑溂たる憂鬱家とでも

名づくべき靑年で、こんどその店

へはいつたのは、決して彼の道樂

氣からではないのである。彼はそ

の店ですつかり仕事を覺江こんだ

ら、それをもつて、彼の生涯の仕

事にするつもりなのである。だか

ら彼は希望ある未來のために、今

は心身ともに愉悦を覺江て、その

仕事に沒頭してゐる。

 僕は只一杯の珈琲を嗅ぐために

數度その店へ行つてみたが、彼が

そこへはいつてからまだ日も淺い

のに、彼の動作は全く板について

ゐる。美しい彫刻的な風貌に、一

味の商賣的微笑を漂はせて、給仕

女諸君の注文に、或は珈琲茶碗を

もつて、或は菓子皿をもつて、或

はまたソーダカップをもつて、手

際よく答へてゐるのを瞥見して、

僕は彼の器用さに魅惑されたほど

である。いつたい力君は、僕など

からみたら決して不快でない吃音

を氣にし過ぎて憂鬱家になつた男

で、僕のやうなぜに苔的憂鬱家と

ちがつて彼は甚だ樂天的憂鬱家で

ある。現に、彼がその店へはいつ

てからといふものは、自分でもび

つくりするほどよく言葉がでるさ

うで、僕などにもいろいろとむづ

かしい名のついたお菓子を敎へて

これがうまい、あれがうまいとす

すめるので、ついうつかりと彼の

商賣的愛嬌にひきこまれて、この

あひだなどは、エスキモオ・パイと

いふ氷菓子を處女賞味してゐると

彼は―どうです。おいしいでせう。

―と言ひ乍ら、愉快さうに、まさ

に、チェスタアトンの哄笑を偲ば

せるほどの笑ひごゑをあげてゐる

のである。なんと諸君―愛すべき

商賣人ではないか。

 力君はプロファイルの大へんい

い男で、僕のみるところでは、モ

スクワ藝術座のグリゴリ・クマラ

氏とそつくりである。又わが佐藤

捷平君に據ると、彼は岡田三郎氏

とそつくりださうである。或は又、

富士アイスクリームの給仕女諸君

の噂さによると、彼は鈴木傳明に

そつくりださうである。見るひと

によつて、夫ぞれ見解のちがふこ

とは尤もであるが、いかに鈴木傳

明が、日本映畫界の人氣者である

からとは言へ、又は富士アイスク

リームの貴重なる常連であるから

とは言へ、力君の風貌をもつてか

の鈴木傳明に比するとは、なんと

諸君―なさけない話ではないか。

かの給仕女諸君の眼は、小川水明

氏の言葉を借りれば、まさにやぶ

にらみではないか。

 へんなところへ話がそれたが、

とに角、僕は力君の新生活を甚だ

歡ぶものである。何によらず、自

分の仕事を完全に享樂することの

できる生活は即ち藝術的生活であ

る。わが力君は今まさにその藝術

的生活を享樂して甚だ幸福である

若老人の僕の羨望に堪江ないとこ

ろである。

 さて、東京在住の越後タイムス

讀者諸君―諸君のうちでこの愛す

べき品川君に好意をもつてるひと

は、銀座散歩のついでに是非―富

士アイスクリーム―の椅子に休息

して、彼の新生活をみてやつて呉

れ給へ。又、本紙讀者のうちに、

若し未婚の美しき娘さんたちがあ

つて、力君のやうな氣質のいい、

末たのもしい靑年と生涯を共にし

たいと思ふひとは、今から心がけ

てせいぜい力君の知己になつて置

き給へ。わが力君は、今噂さの高

い、八千圓とかの金を持つてゐる

列車給仕君ほどの金持ではないが

風貌がよくて、才能が豊かで、女

性を崇拝する點に於て決して諸君

を失望させる男でないことは、僕

がかたく保證してもいいのだ。

 數年後―力君が獨立して、瀟洒

なる喫茶店をひらく頃には、野瀬

市郎や佐藤捷平の諸君は、立派な

作家となつてゐるだらうし、さう

なれば、彼らの著書出版記念會も

是非力君の店でやりたいものだと

僕は今からそれを樂しみにしてゐ

るものである。

 品川力君―僕は君から、君の新

生活紹介文を書くことをたのまれ

て長いあひだ、その責を果さない

でゐた。今夜は雨夜で、それに佐

藤春夫先生は近くに住んでゐられ

るし、谷崎潤一郎氏の鮫人が本に

なるといふし、芥川龍之介氏の支

那遊記も出るさうだし、そのほか

なにかと嬉しさを覺江て以上の一

文を草した次第である。力君―は

げみ給へ。
    (十四・十一・十三夜更)

(越後タイムス 大正十四年十一月廿二日 
                  第七百二十九號 二面より)


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#越後タイムス #銀座 #吃音


        ソフィアセンター 柏崎市立図書館 所蔵








※↓富士アイスクリーム時代の品川力さん


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