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街 上 小 景 (下)

(わが東京回想スケッチの一節)

   そ の ニ

  靑年が立上がらうとしてゐるところ

へ、先刻から、ぐる/″\と棚のそばをめ

ぐつてゐた、若き男、A、Bと、若き女

が、づか/″\とやつてくる。

A。「ね江君。花の名は知らないが

  こうチューリップに似てゐて、

  赤黒い花の咲く、葉の大きな草

  花はないかね」

靑年。「江ゝと、お話だけでよく解

  りませんが、グロキシニアでは

  ありませんか」

A。「名は覺江てゐないが、そんな

  名でもなかつたやうだ。何んで

  チューリップに・・・・」

靑年。「さあ解りませんなあ」

A。「ぢや、見れば解るんだがね。

  今、そのグロキシニアつて云ふ

  のはあるの」

靑年。「いや、それは初夏の花です

  から、今ありません」

A。「温室ものか何か」

靑年。「温室では駄目なんですし、

  私どもではグロキシニアの温室

  はやりませんから」

A。「さうか、仕方がない。若子さ

  ん、ないんですつて。それらし

  い、グロキシニアつてのは初夏

  の花ですとさ」

女。「さう。ないもんは仕方がない

  わ。わたしの家の客間用の飾りが今

  きれてゐるんですけれど、あの

  菊なんかどうでせうね?」

B。「菊なんか陳腐ですよ第一あな

  たにふさはしくありませんよ」

A。「それに菊は手入れが六づかし

  いんだらうね江君」

靑年。「(うるささうに)いやさうで

  もありませんよ」

A。「何かかう、家の中へ入れたら

  入れたきりで、外へ出したら出

  し放したきりで、放たらかして

  置いても、一年中色も褪せず、

  枯れもしないやうな、調法な花

  はないかね」

靑年。「アハヽ、それぢや、造花が

  いゝでせうよ」

A。「造花かい。死にものは駄目さ。

  若子さん、B君、さあ、行かう」

   そ の 三

 草園のうす暗い灯が、ゆかしい光を

草花に投げかけてゐる。みづ/″\しい

秋の宵がこの小さな農園におとづれる

街通りの舗道には、もう、夜店がでて、

いろ/\なかたちを氣取つた散歩者の

郡が、ぞろ/″\と足音をたてゝゐる。

 人影のまばらな農園の東屋の片隅に

一人の洋服を着た、若い男が、眠つてゐ

る。おほかた、晝の散歩に疲れてしまつ

たのだらう。

 農園の靑年、若い女と肩を竝べて通

りかゝる。

 眠つてゐる男をみつけて、靜かに肩

をゆすぶつてやる。

靑年。「もし、もし、こんなところで

  おやすみになるとお風邪を召しま

  すよ」

眠れる男。「あつ、とう/\眠つて

  しまつたんですね。失禮しまし

  た。御親切にありがたう」

女。(おどろいて)「あら雄三さんで

  ゐらつしやるわ、どうしてこん

  なところで眠つてゐらつしやる

  の?」

雄三「あ、嘉代子さんですね。今

  日はあんまりお天氣が、いゝも

  んですから、ついうか/\と歩

  るきすぎて、こゝに腰かけると

  すぐ眠つてしまつたらしいんで

  す。變なところを見られてしま

  ひましたね」

靑年。「この方、あなたのお知合ひ

  ですか?」

女。「江ゝ、私のお友達のお兄さま

  なのよ」

雄三。「さうです。私の妹のお友

  達なんです。そして嘉代子さん

  この方は・・・あゝ分つた。この

  人ですね、ほらこの間ちょつと

  私達におもらしになつたあなた

  のス井ートハートさんは」

女。「まあ、雄三さんつたら、ずゐ

  ぶんね。だけど仕方がないわ。

  さうなのよ。

雄三。「これは大變だ。今夜はどう

  した晩だらう。手ばなしで、し

  かも眼の前で嘉代子さんにして

  やられるなんて」

女。「この間のかたきうちよ。この

  間のあなたつたらなかつたわ。

  あの眞砂子さんと、ずゐぶんひ

  どいところを見せつけたぢやな

  くつて。若しお望みなら、私、

  今こゝでこの方と接吻してお見

  せしませうか」

雄三。「あゝかんべん/\、それだ

  けはゆるして下さい」

女。「弱い方ね。泣きさうぢやない

  の。克己さん。何とか云つてお

  あげなさいな」

靑年。(まご/\し乍ら)「雄三さん

  とおつしやる方、僕は、もう半

  年も前から嘉代子さんと戀をし

  てゐたのです」

女。「あら、いけなくつてよ。そんな

  告白なんかして。もつと、雄三さ

  んを慰めてあげて下さいな」

靑年。「ぢやどうすればいゝのです

  僕には分りません」

女。「仕方がないわ」

靑年。「默つてしまふのですか」

女。「あゝいゝことがあるわ。二人

  で列んで、一二の三で雄三さん

  に最敬禮をしなくつて?」

靑年。「なるほど、それがいゝです

  ね」

 そこで二人の男女は雄三君の前に列

 んで立つ。

女。靑年。「一、二、三」

 頭をさげる。

雄三。「ハヽヽヽよろしい。御二人

 のながき幸福を祈ります」

女。「よろしいですつて、ゐばつて

  ゐるのね」

靑年。「非はこつちにあるのですか

  ら仕方がありません」

女。「あゝいゝ晩になつたのね。今

  夜あたり、さぞかし眞砂子さん

  が、あなたを戀しがつて、もぢ

  /″\してゐることでせうにね。

  ほんたうに今夜あたりうんとこ

  さ散歩しておかなくては、今年

  中に又とこんないゝ晩はないか

  も知れないわ」

雄三。「いくら逢ひたくつても、あ

  の人は土曜日のほか、夜は外へ

  出れないんだから困つちまいま

  すよ」

女。「ほんとうに、自由のきかない

  戀人をもつくらゐぢれつたいも

  のはないわ」

雄三。「私は私の不幸福な境遇から

  あなた方お二人の自由を羨まし

  く思ひます」

女。「ありがたうございます」

雄三。そして今夜がどこへお出で

  になるんです?」

女。そんなことは全く機微に属す

  ることよ。そればかりは御免下

  さいな」

靑年。「いや、銀座をぶらつくだけ

  ですよ」

雄三。「いゝですね」

靑年。「そこまで御一所に参りませ

  うか」

女。「ほんのそこまでよ。ね、よくつ

  て」

雄三。「どうぞ」

 三人は、つれだつて銀座の明るい舗

 道へ出る。

 月が輝いてゐる。

      ――十二年十二月稿――


(越後タイムス 大正十三年一月二十日 
        第六百三十四號 三面より)



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