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から揚げの走馬灯

埼玉県の郊外に住んでいる。先日、通勤電車が人身事故のせいで運転を見合わせてしまったので、やむを得ず自転車で家と職場を往復した。
行きはなんとかなっても、問題は帰りだ。冬の夜道は都会のそれとは比べものにならないほどに暗い。畑と工場の間を縫う県道を自転車で走っていると、まばらな街灯の心許なさが冬の寒さを増幅させる。向かい風を受けて耳がちぎれるように冷たくなり、はたして本当に家にたどりつくのだろうかという不安が押し寄せてきた。しかしその不安にはどこか懐かしさがあって、とある少年時代の思い出が走馬灯のように蘇ってきた。



僕が小学生の頃、ある冬の日曜日に父が「草津に行こう」と言った。いつものように遅く起きた休日の朝に、父は突発的に遠出の提案をすることがよくあった。そういう突発的な提案に対して、母は「家事が終わってないんだから急に言わないでよ」と言って、往々にして午前中は洗濯をしたり掃除機をかけたりするのだった。気付けば昼になって昼飯を食べ終わり、ようやく家を出るのは午後になってからだった。
うちの家には車が無かったから、祖父が配達で使っている軽自動車を借りて、家族4人でぎゅうぎゅう詰めになって乗り込んだ。父はよく「休日に外出しないと気持ちの切り替えが出来ない」と言った。
まだ子どもだった僕や妹が草津温泉など行きたい筈もない。つまり家族サービスなどではなく、単に父親が行きたい場所に行っただけなのだと思う。

午後に都内の家を出発したから、群馬県の草津に着く頃には夕方を過ぎていた。車を降りるなり、嗅いだことのない臭いが鼻をついた。これは温泉の硫黄の臭いだと父親が言った。
街のあちこちから立ち昇る湯けむりの向こう側に日が沈もうとしていた。街の中心部にある湯畑はライトアップされて、硫黄のせいで緑色に変色した岩が怪しげに照らされている。

親は少しでも子どもが楽しめる場所をと思ったのだろうか、観光客向けの施設の中で湯もみ体験なるものをやらされた。卒塔婆のような長い板を持たされて、浴衣を着たおばちゃん達に混ざって風呂のお湯をかき混ぜるのだ。妹はそれなりにはしゃいでいたが、僕には何が楽しいのかわからなかった。
それから日帰り温泉に連れていかれて、僕は父親が飽きるまで草津の熱い湯の中に入り続けた。
草津の街を出る頃には硫黄のにおいには慣れてしまった。嬉しかったことといえば、温泉まんじゅうを試食させてもらったことくらいだろうか。「これが草津か、変なところだな」と僕は思った。


帰る頃には、あたりはすっかり暗くなっていた。
僕たちは温泉でほてった身体でもう一度軽自動車に乗り込み、東京へ向けて走り出した。時間は夕食時を過ぎようとしていて、みんなお腹が減っていた。あれこれしているうちに温泉街で夕食をとる機会を逃してしまったのだ。

父親は「車で走っていればレストランの一つもあるだろう」と楽観的なことを言っていた。しかし帰り道を走るほどに道路は山の中に入っていき、レストランはおろかコンビニの一つも見当たらなくなってきた。たまに見かける商店は閉店時間を過ぎて電気が消えている。
僕は助手席から車のヘッドライトが照らす狭い景色を眺めていた。車は大きく左右に揺れて、山間のヘアピンカーブを抜けていく。

とにかくお腹が空いた。試食させてもらった温泉まんじゅうはとっくに腹の中で消化されている。
「とりあえずこれでも食べてな」と後部座席の母親が家から持ってきたせんべいの袋を取り出して、僕に1枚渡してくれた。
軽自動車の暖房はあまり効かない。熱い湯に浸かったはずの身体が、いつの間にか寒さを覚えるようになっていた。道路の脇には積もった雪が溶けずに固まっている。
世界まる見えとかアンビリバボーでやっていた雪山の遭難ドキュメントを思い出した。もしかしたらこのせんべいが最期の食糧になるかもしれないーー。僕はせんべいをゆっくり、少しずつ噛み締めた。

そのうち空腹と寒さで、後部座席の妹がグズりはじめた。「おなか減ったあああ」と涙声で訴える。

父親は暗闇に向かってアクセルを踏み込み、淡々とハンドルを切っていた。僕たちの思いとは裏腹に山道はどんどん奥深くなっていき、人里からも離れていっている気がする。そもそも辺りが暗過ぎてどこを走っているのかもわからない。その頃はまだ車にカーナビも付いていなかった。

山の中で夜が更けようかという頃、ついに妹が泣き出した。それを隣でなだめる母親。つられて泣きそうになるのを必死でこらえる僕。そして、何も動じない父親。


その時である。
不意に飛び込んできた景色に、僕は目を疑った。





遠くで明かりが灯っている。店だ。店がある。

暗闇の中で白く光る看板が、徐々に近づいてきた。

なんとその看板は、僕の家の近所でも見慣れたものと同じだった。でもまさか。なぜこんな場所に……。



なぜこんな場所にほっかほか亭があるんだ??





それは夢ではなかった。まさしくほっかほか亭だった。

「ほっかほか亭がある!!ここにしよう!!お弁当買おうよ!!」

母親が真っ先に叫んだ。


父親は車を駐車場に停めた。それは僕の近所にある店舗とも相違の無い、紛れもないほっかほか亭だった。店の壁には東京のほっかほか亭と同じポスターが貼ってあって、同じ弁当が売られている。僕は心の底から安堵した。
これは夢ではない。こんな山の中で夜中まで営業しているほっかほか亭があったのだ。

母親が店から戻ってきて、ビニール袋から弁当を取り出した。
僕は大好きなから揚げ弁当を受け取った。弁当の容器が温かい。僕は震える手でスパイスをから揚げにふりかけて、無心でかぶりついた。

うまい、うますぎる。なんだこれは、本当にほっかほかじゃないか。


駐車場に車を停めたまま、車内灯のわずかな明かりの下で、家族4人は無心で弁当を噛み締めた。


あの軽自動車の中で食べたから揚げ弁当の美味しさは、大人になった今でも忘れられない。そしてほっかほか亭が社名を変えて「ほっともっと」になった今でも、僕はから揚げ弁当を愛し続けている。




ーー口の中にスパイスの効いたから揚げの味が蘇るような錯覚がして、はっと我に帰った。
僕は仕事帰り、まだ寒空の下で自転車のペダルを漕いでいた。見覚えのない夜道から一向に抜け出せない。そういえば今日は冬至だったな。寒い、早く家に帰りたい。

耳が冷たくなりすぎて頭痛がしてきた。それにしてもこの帰り道、コンビニや商店らしきものはほとんど見かけないじゃないか。ここはもしかして群馬の山奥なのだろうか。

いっその事その辺の民家に逃げ込んで暖を取らせてもらおうか、と10%くらい本気で考え始めた。寒すぎる。不安だ。そろそろ限界だーー。

そう思った瞬間、突然目の前に見慣れた景色が現れた。

どうやら僕はこれまでほとんど通ったことのない細い道を走り続けていたらしい。その道は、僕の家のすぐ裏の交差点に繋がっていた。



僕は気が付くと家の扉を開けていた。
「た、ただいま」
震える声で玄関を駆け上がった。

「おかえり」
驚いた顔で妻が迎えた。
そして僕の必死な表情がツボに入ったのか、妻はげらげらと笑い始めた。

「これ、夢じゃないよな。俺の家だ。」


「何言ってんの。お風呂入れば??」




その日の夕食はから揚げではなく、シチューだった。

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