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1991年生まれの僕と同い年のアルバムの話③Loveless/My Bloody Valentine

大学受験よりも高校受験のほうが何倍もしんどかった。

都立の志望校を目指すには内申点が足りないと言われた。内申点の1点は500点満点の筆記試験の6点分に相当するらしい。中学の授業科目は9科目あるから、例えば内申点がオール4の人とオール5の人では試験を受ける前からすでに50点ほどの差が開いていることになる。
だから不器用ながらに少しでも内申点を稼ごうと勉強を頑張った。しかしテストの点数が必ずしも内申点には直結しない。特にどの科目も「関心・意欲・態度」という項目の評価が悪かった。忘れ物の有無だとか、ノートを綺麗に取っているかとか、授業中に発言をしているかとか、そんなことで内申点は大きく左右されてしまうのだ。

例えばある学期の社会科では中間テストも期末テストも90点くらい取ったのに、内申点は5段階中の「3」だった。「関心・意欲・態度」で最低評価を付けられたのだ。
社会科の教師は毎週のように生徒にノートを提出させた。教師の年齢は30代後半くらいだっただろうか、頭のてっぺんが禿げていたので「ザビエル」というベタなあだ名が付いていた。ザビエルは地理の東京の河川についての授業中に、誰も頼んでないのにフォークギターを持参して『神田川』を弾き語りするような寒い男だった。

僕はザビエルの書いた黒板の内容はひと通り書き写し、何なら自分なりに話の内容を噛み砕いた注釈なんかも書き足してみたが、提出したノートには赤ペンで「C」だの「C マイナス」だのと評価が書かれて返ってきた。確かに僕の字が汚いのは自覚している。それでもその汚いノートを元に試験勉強をしてそこそこの点数を取れているのなら、ノートを取る本分は果たしているというものではないか。

3学期の最後に提出したノートにザビエルが赤ペンで書いた言葉を一生忘れない。
「来年度からノートは綺麗に書きましょう。いつも積極的な発言をありがとう。(あれ?って思うような発言も多かったけどね笑)」

ザビエルの脳天をめがけてノートを叩き付けてやろうかと思った。
僕は教師が挙手を求めて誰も反応せず、クラスが沈黙したときの空気が苦手だった。だからあの空気を味わうくらいなら頭を捻らせて何か発言してみよう、と積極的に手を挙げることにしていたのだ。
しかしその行動が多少は「関心・意欲・態度」の評価に繋がっていると思ったのが馬鹿だった。

生徒の精一杯の発言を嫌味で返すような教師の授業を受けるくらいなら、家で動画配信で勉強した方が何倍もよかったと思う。リモートという概念が無かった時代が悔やまれる。


また保健の授業で、自分で調べた内容を厚紙にまとめて「新聞」を作るというものがあった。僕は文章をまとめるのは比較的得意だったので、記事の内容には自信があった。
しかしいかんせん字が汚い。案の定僕の「新聞」に保健体育の教師は「C」の評価を付けた。
その体育教師は某体育大学を卒業したことを自慢げに語り、やはり誰も頼んでいないのに母校の「集団行動」のビデオを生徒に見せるような中年男だった。無駄に日焼けした肌と、筋骨隆々の下品なジャージ姿が生理的に気持ち悪かった。

その後、保健体育の授業で環境問題について調べて「新聞」を作るという課題が出された時、試しに妹(当時小学校4年生くらい)の力を借りてみることにした。妹は習字をならっていて字が上手く、絵を描くのも得意だった。
そこで僕が鉛筆で下書きした文字を妹にボールペンでなぞってもらい(なぞるというより、書き直すと言ったほうが正しいか)、好きなように色を塗ったり絵を描いたりしてよ、と頼んだ。
妹は楽しそうに僕の「新聞」の清書に取り掛かり、色鉛筆でカラフルに装飾した。「大気汚染について」という見出しのところには、調子に乗ってドクロの絵を描いたりもした。

そしてこれまでの僕の無骨な作風とは一変した華やかな「新聞」を提出してみたところ、なんと「A◎」という最高評価が返ってきた。
どちらの「新聞」も内容を書いたのは僕だ。ところが色を塗ってドクロの絵を描いただけで評価が爆上がりしたのだ。

やってられねえな、と思った。

このような教師の按配が貴重な内申点を左右し、一般入試のスタートラインに立つ前から差を付けるやり方には納得がいかなかった。教師たちは「今はゼッタイ評価だから、みんなが頑張れば必ず内申点は上がるんだよ」と説明した。授業の内容を理解し、自分なりの考えを発表しテストの点数を取っても、ノートの字が汚く絵心が無いと評価されないゼッタイ評価とは、一体なにがゼッタイなのだろうか。
このような経験も20年近く前の話になってしまうが、今の子どもたちは少しは真っ当なゼッタイ評価を受けているのだろうか?

今になって、高校受験などに何故そんなに必死になっていたのかと15歳の自分を冷笑的に見てしまうこともある。
しかし当時の自分は、志望校に入れば人生の「何か」が拓けるだろう、という根拠のない期待に突き動かされていた。毎日焦燥感に怯えながら、信じられるものが受験しか無かったのだ。良くも悪くも無垢だったということなのだろう。



しかし中学3年生のある夜、塾で苦手な数学の授業を受けていた時に自分の中で張り詰めていた糸が切れてしまった。方程式か何かを解いていて、頭が沸騰するように熱くなり、先生の話が何も入ってこなくなった。もう全部投げ出して、何も考えたくなかった。

僕は消しかすまみれになったテキストを閉じて、授業が終わるなり塾から逃げ出すように外に飛び出すと、ぼーっとしたまま自転車にまたがり、512MBしか容量がないMP3プレーヤーのイヤホンを付けた。


そしてこのアルバムを再生した。

My Bloody ValentineのLoveless。
僕が生まれた1991年に発売されたアルバムだ。



1曲目の『only shallow』から溢れ出す轟音に一瞬で飲み込まれた。放心状態で自転車のペダルを漕ぐ。
『loomer』『touched』と、轟音のギターノイズの中でシンセサイザーとも声ともつかない不思議な音がメロディを奏でている。

夜はほとんど人の通らない緑道で、僕はどんどんペダルを踏み込んでスピードを上げた。冬の冷たい風を切って、『when you sleep』の揺らぐ音に身を任せた。


ボリュームを上げた。『come in alone』の音の渦の中でケヴィン・シールズの優しい歌声が響いている。

そのうち音楽以外は何も聞こえなくなって、いよいよ僕は暗闇と同化しているような気持ちになった。
熱くなった頭は少しは冷えてきたけれど、それと同時にやり場のない虚しい気持ちがむらむらと湧いてきた。

『sometimes』が流れてボリュームを最大にした。僕がこのアルバムで一番好きな曲だ。轟音の中のアコースティックギターのリズムが心地よい。
そういえば『ロスト・イン・トランスレーション』という映画でこの曲に載せて東京の夜景を映していくカットが最高に美しかった。主人公が異国の街で退屈を持て余し、孤独と僅かな好奇心が交錯する瞬間。

一方の僕は真っ直ぐ家に帰りたくなくて、『sometimes』を聴きながら急な坂を立ち漕ぎで登って駅の方向へ向かった。



時刻は夜の9時を過ぎていた。僕は気づくと駅前の古びたゲームセンターにいた。親からの電話が鳴ったけど無視をした。
イヤホンから流れる轟音とゲームのやかましい音が混ざり合う。タバコの煙が立ち込める薄暗い店内で、長い髪を後ろで束ねた髭面の店長がカウンターの中でパソコンを睨んでいる。

中学生の僕は店長に気付かれないように店の奥へと進んだ。スーツ姿の人が昔のキングオブファイターズをやっていたり、大学生くらいの若者が集まって音ゲーをやっていたり、板橋の場末のゲーセンは意外と賑わっていた。

僕は当時稼働したばかりのバーチャファイター5の筐体に座った。隣で刺青みたいな柄のロンTを着たおじさんがタバコをふかしながらプレイしていたが、乱入する勇気は無かったのでコンピュータと対戦することにした。

無気力なコンピュータを相手にボタンを叩いてコンボを繋げていく。音楽はそれまでの夢想的なギターサウンドから一転し、アルバム終盤の『what you want』の金属的なギターサウンドと疾走感のあるビートが耳に刺さった。

結局僕は店長に見つかって怒られないかビクビクしながら、1クレジットだけバーチャ5をプレイした。


アルバム最後の曲の『soon』を聴きながらゲームセンターを出た。その轟音はアルバムの途中で何度も表情を変え、最後は多幸感あふれる曲で締めくくられた。

イヤホンから音が途切れ、はっと我に帰る。
何をやってるんだ僕は。
受験が嫌になって投げ出したくなったはずなのに、塾の授業は最後まで受けた。自暴自棄になって何かをやらかしてみたいと思っても、夜のゲーセンで格闘ゲームを1回やるのが精一杯の「やらかし」なのだ。小心者の自分が情けなくなった。


それから家に帰った。
「電話くらい出なさい。とっくに塾は終わってるでしょ。」と母親に怒られた。
僕は「友達としゃべくってた。」と適当な嘘をついた。


布団に潜ってから、もう一度イヤホンを着けて『sometimes』を流した。ふたたびの轟音と、心地良いアコースティックギターの音。

ほんとに僕は何がしたいのだろう。スポーツがダメなら勉強するしかないと思っているはずなのに、大嫌いな教師の顔色をうかがって内申点とやらに振り回され、大嫌いな数学にはすっかり辟易している。ちっぽけなプライドは今にも砕け散りそうで、意思があっちこっちに揺らぐ毎日。やること全てが中途半端でいやになる。

耳の中でケヴィン・シールズが囁くような声で歌っているが、何を歌っているかはわからない。CDには歌詞カードが付いていなくて、「アーティストの意向で歌詞は掲載しておりません」という表記がしてあった。

だけどケヴィンはきっととても優しいーーこの曲を聴いている人を思いきり肯定して、慰めてくれるような言葉を投げかけている気がした。

その日はマイブラの音楽を聴きながら眠った。



『Loveless』は言わずと知れたシューゲイザーの名盤だけど、その制作にまつわる逸話はめちゃくちゃで面白い。
マイブラとプロデューサーのアラン・マッギーは19箇所のスタジオを転々として何百本というギターの音を多重録音し、結果的に1枚のアルバム制作に2年半という年月と約25万ポンドの大金を費やしてクリエイションレコードを倒産に追い込んでしまったという。
それでいて発売当初は大したセールスにならなかったというのだから、ずいぶん要領の悪い人たちが作ったのかとさえ思えてしまう。(あとケヴィンシールズはエフェクターを100個くらい繋いでいるらしいけど、大学のサークルでマイブラのコピーをやってた人はディストーションを2個かませば再現できると言っていた。)

少なくとも言えるのは、このアルバムにはバンドの2年半分の紆余曲折が詰まっていて、重積された音の一つひとつは彼らの失敗の歴史そのものだということだろう。
だからきっと僕は、その歌詞の無い歌に不思議な優しさを感じてしまうのだと思う。



『Loveless』と同じ1991年に生まれた僕はといえば、未だ行先に定まりがなく、まさに失敗の歴史を積み重ねている。

だから今でもモヤモヤした気持ちのときは、夜道を通りながらこの『Loveless』を聴いてしまう。
暗闇でマイブラの轟音はどこまでも優しく、どこまでも寛容だ。

僕の失敗の重積もいつか実を結びますように、と願い、一人ではにかんだ。

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