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「組織開発」と私

私は「組織開発」と言葉があまり好きではありませんし、自分自身ではなるべく使わないようにしています。
一体何をするのか分からない漠然としたところや、人の集団としての組織を「開発」しようなどという烏滸がましさ、怪しさに嫌悪感があるのだと思います。

組織開発、英語ではOrganization Development(略してOD)は米国で1940年代から始まったグループ・ダイナミックスの研究から端を発し、言葉としての組織開発が使われるようになったのは1957年〜58年ぐらいなのだそうです。(「組織開発の探究」より)今から60年以上前であり、当時の考え方と今の間には微妙な違いがあります。
すなわち、小グループにおける人間関係とその影響の研究から始まった組織開発は、20世紀の拡大してゆく組織の中に展開してゆく中で様々な手法を吸収していったため、領域として非常に大きくその一方で漠然とした概念になってしまったということなのだと思います。
組織開発については「風呂敷のような概念」であるという言い方をする学者もいます。なんでも包み込んでしまう概念だということですね。

このように、はっきりと明確な概念として語れず、なんでもありみたいになっているところも私としてはスッキリしない部分があり、組織開発というのは実のところ一体何をするものであるのかについては未だにモヤモヤしています。

ですが、このnoteでは私のこれまでの経験を振り返りつつ、あえて自分なりの定義のようなものを提示してみようと思います。

組織への関わりはじめ

私が事業部門でマーケティングをしてたところから人事に移ったのは今から約20年前の2002年です。人事での私の役割は「社員の能力開発」であり、外資ではLearning and Development(L&D)と呼ばれる仕事でした。
平たくいえば研修担当なのですが、研修だけでなく社員の能力開発の仕組み全般に取り組んでましたので、コンピテンシー・モデル作りやコーチングも仕事の中には含まれていました。具体的にはビジネスの現場を知ってる強みを活かして、セールスの人とマーケティングの人の能力強化の仕組みづくりをしていました。

この仕組みづくりの途中で私は仕事ごと経営企画に移ったので、一時的に人事から2年半ほど遠ざかって仕事をしていました。そこでは研修だけでなく会社の中長期計画策定の取りまとめのような仕事もしてましたが、私が人事から離れているその間に人事の中で大きな組織変更があり、私が人事に戻った時には「能力開発を行う部門」は無くなっていて、私の仕事自体も人事企画(当時「人事戦略部」と呼ばれてました)に変わりました。

この頃が私の組織への関わりはじめになりました。
能力開発部門は無くなっていましたけれど社員の研修は必要でしたので、そこは私のメインの業務になっていたのですが、同時に4つ走っていた「企業文化の変革」プロジェクトの殆どに関わることになりました。というのも、どれもが社員への教育がある程度必要になってくるからでした。
その中には、成果主義への移行やダイバーシティ推進、キャリア意識の醸成などがあったのを憶えています。

この頃の経験で二つ学んだことがあります。
それは共通言語化のパワーと、上司側だけのトレーニングでは不十分であり上司と部下の両方をトレーニングしないと変化は起きないということでした。
前者は相互理解の上で必要となってきますし、後者両方にトレーニングを行うことで改善された行動のループが回り新しい行動が継続するということです。

手応え

企業文化変革のプロジェクトに関わりながら、個人の能力開発とは違った面白さを感じ始めていた私でしたが、今ひとつ自分がやっていることが役に立っている感じが持てずにいました。
というのも、プロジェクトに関わっていても結局私がやっていたことは人を集めての研修や説明会であり、目の前でメキメキと変わってゆくのを体感できるものではなかったからです。まぁ文化が変わるというのは瞬間には起こらないので当たり前なのですが、手応えがない活動に物足りなさを感じていました。

そんな時、米国で行われるリーダー開発プログラムにコーチという役割で参加することになりました。2007年のことです。 
そのプログラムはVP(Vice President=事業部長)以上のポジションになれると思われるポテンシャルの高いエリート人材を2週間研修所に缶詰にして行うGE式のワークアウトでした。
この体験は当時の私にとって非常にハードルが高いものでしたが、それだけに学ぶものが凄まじくおそらく一生の記憶に残る体験でした。

12人ぐらいの見ず知らずのメンバー(みんな優秀なエリートです)が集められ、一つの結果を出すためにプロジェクトに取り組みます。制限時間は2週間。2週間後にはCEOに対してプレゼンテーションをすることになり、そこで承認されれば全世界的にその提案が実行されることになります。
チームのメンバーそれぞれが優秀なだけにメンバー間で衝突があったり、せめぎ合いがあったりするのですが、徐々に協力し合ってチームとして素晴らしい成果を出すようになります。優秀な人たちは違うなと思えました。

この体験の中で私が学んだのは、組織開発のそもそものオリジンであるグループ・ダイナミクスでした。私の役割はグループのプロセスにコーチとして関わることでしたが、当時はそういった知識を持ち合わせていなかったので、一緒に組んだ先輩コーチから教わりながらグループへのフィードバックをしていました。
2週間の凝縮された期間の中でBruce Tuckmanのタックマンモデルが展開してゆく様子を目の当たりしていたのでした。

自分が行うフィードバックによって、グループ間のコンフリクトが解消されたり、自分の立ち位置に悩んでいたメンバーが活発に動き出したりするのを見ているうちに手応えを強く感じ、組織に関わっている感覚を強く実感できました。

苦難

その後も私は、組織的な課題に対してワークショップという打ち手で対応を試みてゆく機会が何回もやってきました。
当時の人事の同僚たちは、どちらかというと労務管理事務や社員への個別対応が中心でありグループを扱うワークショップのようなものは研修をたくさんやっていた私でないと設計したり実行ができない状態であったというのもありました。

新しくリーダーに着任した人に対するチーム・ビルディングや、ストレス・チェックで点数が高かった職場へのインタビュー、エクゼクティブ・コーチング、ビジョン・ミッション策定のワークショップ…
などなど、思い出せるだけでもこれだけあり、同じものを10数回ずつぐらいやっていたと記憶しています。

初めのうちは外部のコンサルタントと一緒にやっていました。しかし外部に頼んだからうまくいくかというと必ずしもそうではありませんでした。
おそらくそれは、コンサルタント側が組織の課題をどこまで理解できるのかにもよるのでしょうし、こちらがそれをどれだけ適切に伝えられるのかにも寄るのでしょうけれど、クライアントとしてコンサルタントがやっていることが効果的に思えないことや結果的に逆効果になることが何回か続きました。
お金がかなりかかってることもあり、「なんであんなコンサルタントを呼んだんだ」と言われるとかなり辛いものがありましたし、何よりもワークショップなんてやっても意味がないと思われてしまったことが痛かったですね。

こうなってしまうと、外には頼れません。まずは社内の信頼を再構築して、信頼を勝ち得た自分自身でなんとかするしかない、と。
こうして私はいわゆる「内部実践者」となりました。
でも、この時点で自分がやっていることが「組織開発」であるという認識はなく、ただのチームビルティングぐらいに思っていました。

一方で個人の能力開発、マネジャーの教育、リーダーシップ開発もやっていた私は、次第に個人の能力開発の限界を感じるようになっていました。個に対してトレーニングをしても職場に帰ると元に戻ってしまったり、波及効果が小さかったりで組織が良いものになってゆく実感が得られていませんでした。ずっとこの分野をやってきていたので飽きてきたというのもあったかもしれません。

そんな時に、EQのトレーニングを組織レベルですることになりました。
人事が声をかけて色々な部門がバラバラに人が集まっているようなトレーニングではなく、一つの部門を全員集めて終日かけてEQのトレーニングをするというものです。
トレーニングを行ったのは私ではなく当時新しく入社した同僚でしたが、ファシリテーションが上手だというわけでもないのに、一日終わった時の組織の雰囲気が明らかに変化しているのを目の当たりにすると共に、その後もその状態が継続しているのがわかったので、この方法ならば組織は変わることができるのではないかと考えはじめました。

そして、個を育成する「人材開発」に対して、組織を育成する「組織開発」という言葉が自分の中で初めて浮かんだのでした。
その後で実は組織開発という言葉と領域が既にあることを知り、今まで我流でやってきたものから組織開発について勉強をしてみようとその世界に入れ込んでいきました。
2010年のことでした。

そして、今。組織開発とは何なのか?

2010年ぐらいから組織開発を学習するコミュニティにいくつか入ったり、AI(Appreciative Inquiry)やOST(Open Space Technology)といった手法を学んだりしてゆくうちに、実は自分がやってきたグループへの関わりは組織開発と呼べるものであったということが分かってきました。
組織開発の原点とも言えるT Groupに遅ればせながら参加してみたり、T Groupのイメージが地に落ちてしまった黒歴史についても知ることになりました。

組織開発について学び始める前の私は、NLPやコーチングを学ぶことで心理学や個人に深く関わることを学んでいたので、その延長にある遥かに複雑である組織開発についてはどうしても慎重かつ緻密に考える傾向があります。

会社組織を動かしているのは飽くまでも人です。
仕組み化することで個人によって左右されてしまう状態をある程度コントロールをすることはできますが、人と人との関係性や分かり合えなさは仕組みではどうにもできないものです。それぞれ違うので。
だからこそ、組織の風土や文化を変えるのはエネルギーと継続が必要となります。組織開発のプロジェクトは120時間かかるつもりで取り掛かる必要があるという実践家も居ます。

私が外部コンサルタントを頼って失敗したように、組織の中に入ってゆくにはドロドロしている組織内政治を理解したり、その中でどう動くか、取り持つかが必要になってくる場合もかなりあります。というか、そこをきちんとしてないと何をやっても意味がないかもしれません。
AIのような定番的なワークショップをカタチだけやっても、それは言わばままごとのようなものであり、ひとときの祭りの盛り上がりで終わってしまい後に何も残らなかったりします。
「あー、そういえばなんかやったよねぇ」
で終わってしまい、組織に対してなんのインパクトもありません。言わば単なる一時的な気休めでありお金と時間の無駄です。

では、結局組織開発、とはいったい何なのか? 私の考えを述べますね。

私は人事の仕事そのものの目的が組織開発にあると考えています。組織が求める姿や成果があって、そこに向かってゆくための戦略があります。それを実行できる組織にしてゆくことが組織開発の超広義の意味だと思っています。

その考え方の中で、組織に対する働きかけは、外科的・西洋医学的な短期でインパクトの出るものと、体質改善・東洋医学的な長期に亘って徐々に改善してゆくものがあると考えています。
前者は、組織構造を変更、人事異動、採用、解雇などです。
後者は、教育、研修、トレーニング、コーチング、ワークショップなどになります。

よって、私の言葉で整理すると、
組織開発とは、戦略を遂行する組織を機能させるための継続的な取り組みである
となります。
キャッチフレーズ的には「組織の体質改善のための漢方薬」とでも言いましょうか。

壊滅的な危機でもない限り人や組織がガラッと変わるということはありません。仮に、そんな危機を煽ると却って組織の機能不全が起こり、場合によってはショック死状態になりかねません。そして生兵法や一時的な気休めはもっと悪い結果を引き起こし、組織開発に対する信頼すら失わせてしまいます。

そうではなく、小さくポジティブな変化を起こしてゆくこと、それを習慣化して地道に積み重ねてゆく事で、やがて組織は大きく変化を遂げることができます。

20年近く組織に関わってきて思うのは、そうなるまで徹底的に関わる覚悟と関わり続けることができるよう相手からの絶対的な信頼を作ることが何よりも実践者には求められるなということです。

自戒も込めて、ですけれどね。

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