わわーっと前に進んでいく感じ
読めない。まったく先が読めない。
ここのところずっと計画性を捨ててみたので、ひたすら今日を生きていて、ふと降ってきたものに反射神経で対応するような生き方をしているだけなのだが、進んでいってるようなものがチラホラとあって、手応えがあるけど形が見えてはいない、そんな感じがする。そわそわもする。
まあなにが起こっても、それはそのときにそう起こるべくして起こるので、それをどうこうするっていうことよりも、その時その場所でその出会いの中で最善であり最良の選択と感じる判断をしていくだけだ。
なにがそわそわするのかというと、動き出す手応えが感じられていることがとてもそわそわしているのだ。
なにも動かないことを選んできたわけではないけれど、なんか確かにこれが動いていくなぁと思えるものに出会い、後先も考えずに気楽にどんどんボタンを押しているような感覚で、まあ早晩パンクするのかなとも思うけれど、その時にはきっとまたその時で必要な出会いも経験もするのだろう。
よくわからんけれども、ああ、久々に先が読めないくらいの可能性の広がりを感じているってことなのだろう。それはよく考えればすごいことだ。
小さな可能性を見つけては、ひょいっとつなぐようなことをいつもしているつもりで、小さなこと小さなことをただ楽しくなんとなく続けている。
大きなことが苦手だからだろうと思うのは、僕の中にはおそらく周りが自分に対して思うよりも臆病で、怖がりな、不安を感じやすいものがあるから。
失敗しても痛くないことばかりやっているのは、大きな失敗でひどくなる前に体験できれば、すぐに回復できる程度の怪我で大きな経験を得るからだ。
ひとつのことだけをやらないのは、好奇心というのがひとつのパワーとなっているけれど、もうひとつはいろんなものに可能性を見つけておきたいという、今への不安があるからなんだなということを感じる。
今日は珍しく不安な気持ちがつらつらとぷくぷくと出てくるものだ。なんかおもしろい。おそらくどこかでそんな気持ちの花粉のようなものが付着して心で芽吹いたに違いない。
安心しないとも解釈できるが、きっと安定しない未来、つまり変化が、これから起こりそうなことを肌で感じているような気がしているんだ。
不安の種もまた味わい深いものだ。
急に読者の方からサポートもらえてマジで感動しました。競馬で買った時とか、人にやさしくしたいときやされたいとき、自暴自棄な時とか、ときどきサポートください。古民家の企画費用にするか、ぼくがノートで応援する人に支援するようにします。