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腹鳴恐怖症だった私と吃音症の娘NO.155 親の気持ちは届かず。

12歳で、もうすぐ小学校卒業の娘は、今日は学校を休んだ。

まあ、私も子供の頃、確かに学校、休みたかったし、確かに毎日そんなに行きたいわけでもなく、たまには休みたいと思っていた。
だけど、爺ちゃんが特に厳しく、それよりも学校に行く方がマシだった、だから、病気の時以外は休まなかった。

気持ちがとてもわかるだけに、なんだかとても辛い気持ちになる。

まあ、それが、本当の今日の気持ち。

月曜に、休みたいと言われると、というか、その前から、行きたくないオーラは全開だったかもしれないが、ほとんど、聞かぬふりをしていた。

しかし、昨日の夜からもう、娘の中では行かないと決まっていた。
まあ、私の中でも。

吃音症の子供にとって、学校での日直は、とても、やりたくないのである。

担任の先生とやりとりする中で、配慮はちゃんと、卒業まですると言ってくださっているのだけど、娘が言うに、一番最近の日直で、先生が遅かった時があり、朝の会をやる羽目になったようである。

それもあってというのはわかるが、日直の相手により、行く行かないも決まるのだろう。

いくら自分の子供のことを理解しているとはいえ、子供が、休みたいと言って、『はい、そ〜ですか、休んでいいよ〜』とは、ならないだろう。

親である以上は、一度は、学校に行くように促す流れになるのだ。

それを一度、二度言うと、涙を流していた。

その姿を見て、本気だ、と思い、いくら周りができる限り配慮をすると言っても、その、できる限りが、できない時もあると言うのだ。

自分の娘が涙を流してまで行きたくないと言うものを、『行きなさいよー!』とは、絶対に言えない。

それほど、吃音は、皆さんが思うよりも、とても深刻で、深いものだと思う。

私が腹鳴恐怖症をどうにもできなかったように、娘も、吃音症は、どうにもできないのだと悟った。

現に、大人になっても、苦しんでいる方のTwitterをたくさん見かけるし、とても辛い。

どうにか楽にならないものかと思う。

私が朝から学校に電話をかける。
またか、と思われる、思われないは別にして、電話を学校にかける、その辛さの何十倍も辛い娘の気持ちは、娘にしかわからない。
というか、学校に電話をかけるのももう、慣れてしまい、さほど何も思わなくなった。
良いのか悪いのかは別として。

おそらく、明日は、ケロッとして、もしかしたらスキップするくらいの勢いで行くのかもしれない。
それくらい、日直は嫌いなのである。

中学になり、日直があるのかないのか、確認はしていない。

吃音のある娘は、おそらく、放送もできないし、日直もできない、そういうところを、本人だけの配慮を考えると、日直や、放送の免除ではないだろうかと、真剣に考えた。

もしかしたら、途中、気持ちが変わり、やってみようと、前向きに考えられるような時が来たとしたら、その時は、させてもらうという手も考えたりする。

今日は自分まで少しやる気がなくなった。

でも、さっきまで。

そんな時は、ダラダラする。

メリハリで動く。

前はそこで、今日は何もできなかったと、落ち込む自分だったけど、落ち込むことは無くなった。

自分を肯定してきたから。

こんな日もある、と肯定する、今の現状を受け容れる。

休んだものをとやかく言っても仕方ない。

不思議と落ち込んでいた、過去の自分はどこにもいない。

明日からまた、新しい1日が始まる。


今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました^ ^





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