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愛すべき毒母への手紙を綴ってみようじゃないか。

こういうことは恐らく
誰にも読まれないように
noteはnoteでも
紙製のノートブックだったり
またはnoteでも
下書きに留めておくのかも
しれないのだけど

わたしは敢えて赤裸々に
公開したいと思う

そんな
母への手紙を
勢い任せで
ここに綴ってみよう

母さんへ

わたしは
あなたに「愛された」という記憶が
あまりないことに気づきました

元々そんなに
愛情表現するタイプでもないし
どちらかと言えば放任主義で

小学の途中から
ほぼ母子家庭だったし
中学時代は兄が出戻るまで
2人暮らしだったし

母さんは
ずっと仕事ばかりしてて
わたしが夜まで家に一人きりなのは
よくあることだったよね

わたしは夜ひとりで
テレビを見てご飯を食べてゲームしてた
それが日常生活だった

学校の成績が良くても悪くても
褒められも怒られもしなかった
友達の家に急に泊まることになっても
心配されることもなかった

小学時代にイジメに遭ったことが
母さんにバレたとき
今度は学校を休むのが怖くなった
頭が痛くてもお腹が痛くても
イジメのせいにされるのが嫌だった

母さんはいつも
上の兄ちゃんのことが最優先だった
いや、今もそうだよね

そして
兄ちゃんに子どもができたら
今度はますます
孫にお金を使うようになって

わたしを遊びに連れて行ったことは
ほとんど記憶にないのに
姪っ子に会うために連れて行かれる
そんな中学時代だった

わたしの成人式は
孫の七五三にお金がかかるから
お前には出せないって言われてさ
わたし自身は七五三すら
やってもらえてないのに
成人式の晴れ舞台すら拒まれた

母さん
あなたはどれほどまでに
お兄ちゃんだけが大事なの?

母さんが倒れたとき
レンタカーを借りてまで
車で3時間かけて迎えに行って
病院に運んだのはわたしなのに

そのとき、お兄ちゃんは
二階の部屋で寝ていたというのに

それでもなお
母さんはわたしを見てくれないね

まだ小さい頃
父さんと母さんが喧嘩をしてるのを
見てしまったことがあったよね

父さんが手元にあった
缶ジュースを投げつけたら
母さんの頭に当たって血が流れたの
今でも鮮明に覚えてる

あのとき
何となく言われた気がするんだ

あんたなんか
産まなきゃ良かった

ずっとさぁ
愛されたかったんだよね
それも一番に

産まれてきて嬉しい
世界一可愛い娘だよって
抱きしめてほしかった

父さんには
そうしてもらえたって思う

でも母さんには
そんな思い出がひとつもなかった

思えばずーっと
居場所がなかった

振り返れば
わたしにだけ厳しかった

それでもさぁ
わたしは
母さんのことが大好きなんだ

だからさぁ
成績良いときくらい褒めてよ
迷子になったらちゃんと心配してよ
たまには帰って来いって言えない?

小さなわたしは

もっと母さんに抱きしめられたかった
大丈夫だよって寄り添ってほしかった
弱音を吐きたかった
話を聞いてほしかった
今日は特別だよって優先してほしかった

気づけばわたしは
ひとりでも大丈夫な人間を演じてた
高校時代はホームシックなんてなかった
帰って来なくていいなんて言われてたけど
それすらも別に気にしなくなってた

どうせわたしは
心配されるに及ばない人間だからと
親の目につかないところで遊んで
でもちゃんと真面目な顔をしてきた

母さんはきっと
そんなわたしを知らないだろうし
別に知らなくても構わないと思うから

わたしはさぁ
生きてて良かったのかな?
わたしは邪魔だったのかな?
ほんとは生まれる筈じゃなかったのかな?
いないほうがしあわせだったのかな?

そんなに
お兄ちゃんが大事なら
ふたりで一生仲良くやってろ

このクソババァ

お前が死んでも葬式なんか
してやんねーぞ

そのまま兄ちゃんの
食い扶持になってればいいよ
一生スネでもなんでもかじらせてれば?

わたしって
普通の親のもとに
生まれてきたとばかり思ってたけど
案外、毒親ってヤツだったのかもね

そのことに気づけただけでも
わたしは今から人生をやり直せる

あなたたちは一生そのまま
どうぞ楽しくお過ごしくださいませ

それでは、ごきげんよう

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