見出し画像

【和訳/解説】 The 1975 - I Always Wanna Die (Sometimes)


The 1975
の3rdアルバム『ネット上の人間関係についての簡単な調査』(原題: A Brief Inquiry Into Online Relationships)より、I Always Wanna Die (Sometimes) の和訳です。

The 1975
マンチェスター出身の4人組ロックバンド
作品ごとに顔色を変える多彩な音楽性や歌詞などを武器に世界中に強固なファンベースを築く、現代を代表するロックバンドの一つ。
現在、フロントマンであるMatty Healyの度重なる問題行動によって世界中から批判が集まっていますが「デビュー作から5作連続でUKチャート1位を獲得する」という偉業を成し遂げるなど、その音楽性は高く評価されています。

そんな彼らの輝かしいバイオグラフィーの中で"最高傑作"の名を恣にしているのが、3rdアルバム『ネット上の人間関係についての簡単な調査』であり、今回紹介する I Always Wanna Die (Sometimes) はそんな"最高傑作"の最後を飾るナンバーです。
タイトルでありコーラス部分で何度も繰り返される「いつも死にたいんだ、ときどきね」というフレーズからも分かる通り、この楽曲内では主に死について語られています。
しかし、決して暗い曲ではありません。
死にたいという感情を肯定し、生きたいという願いへと導く
そんな、強くて美しい、そして何度も私を救ってくれた大切な曲です。

後方に解説・注釈Spotify/Apple Musicのリンク等も用意していますので、ぜひご覧ください。

※堅苦しい訳やコーラス部分の和訳を繰り返し使うなどの形式が私自身あまり好きではないため、一部噛み砕いた表現や意訳を含んでいます。
予めご了承ください。

歌詞

I bet you thought your life would change
But you're sat on a train again
Your memories are sceneries for things you said
But never really meant
You build it to a high to say goodbye
Because you're not the same as them
But your death it won't happen to you
It happens to your family and your friends
I pretend

And I always wanna die, sometimes
I always wanna die, sometimes

You win, you lose, you sing the blues
There's no point in buying concrete shoes
I'll refuse

And I always wanna die, sometimes
I always wanna die, sometimes
I always wanna die

Am I me through geography?
A face collapsed through entropy
I can hardly speak
And when I try it's nothing but a squeak
On the video
Living room for small
If you can't survive; just try

And I always wanna die, sometimes
I always wanna die
Always wanna die
And I always wanna die
Always wanna die
Always wanna die
Always wanna die, sometimes
Sometimes
Sometimes
I always wanna die
Always wanna die
Always wanna die

Always wanna die, sometimes...

和訳

「いつかは私の人生も好転するはず」
そう思ってたんだよね
だけど君は変わらずいつもの電車に揺られてる
思い出、それは君の言葉が紡いだ架空の風景
そんなつもりじゃなかった、と後悔した言葉達のね
さよならを伝える為に高くそれを築いていく ※1
だって君は"みんなとは違う"から
「君の死」は君のもとではなく
君の家族や友達のもとに降り注ぐんだ ※2
そう思うことにするよ

そうやっていつも死にたくなるんだよ、時々ね
いつだってたまに死にたいと思ってる

誰かと競おうが、何を歌おうが、全ては君の自由
でも自分から死ぬ必要だけはないんだ
そんな最期は嫌だよ

それでも時々、いつも死にたくなるんだ
いつもたまに消えたくなるんだよ
そう思わない時なんてないんだ

死んだら僕は僕じゃなくなるのかな ※3
壊れた世の中が僕の顔を崩れさせていく
言葉を発するだけで精一杯で
話そうとしても出るのは小さな叫びだけ
ビデオの中でさえ
僕の居場所は狭くて小さい
消えてしまいそうならやってみるだけでいいんだ

それでもやっぱり死にたくなるんだよ、たまにね
ずっと死にたいと願ってる
終わらせたいと願ってる
死にたいんだ
終わりにしたい
消えてなくなりたい
でもその死にたいって気持ちは永遠じゃない
ずっとは続かない
たまに思うだけなんだ
それでもやっぱり死にたくなるし
居なくなってしまいたい
いつも死にたくなるんだ

そう、いつも死にたいんだよ、時々ね

解説・注釈

※1 「さよならを伝える為に高くそれを築いていく」

ここで「何を」築くのか明確にしなかったのは、ここに二つの意味が込められていると推測した為です。
一つ目は「」です。
死による別れを覚悟し、大切な人達との間に壁を築く。死を覚悟するとは言ってもまだ決めかねている状態です。しかし、人という生き物は助けが欲しい時や追い込まれている時ほど、無意識のうちに周りを避け、孤立し、更に追い込まれていくものです。意図せず築かれた壁が、更なる孤独へと導いていく。そういう比喩だと推測しました。
二つ目は「土台」です。
「君」は首にロープを巻き、最期の準備をしています。その最後に必要になるのが土台です。
全てにさよならを伝えるため、高く高く土台を積み上げていく
一つ目よりも直接的で生々しい解釈ですが、Matty Healyの作詞者としての信念-自身の経験や弱さを包み隠さず歌詞に反映させる-を鑑みると、私はこちらが有力なのかなと思います。

※2 「君の死」は君のもとではなく
君の家族や友達のもとに降り注ぐんだ

あなたが死んでも、あなたには何の影響もない。それどころかあなたには「終わり」が訪れる。これ以上辛い思いをすることも、孤独に怯え一人で泣く必要もなくなる。
しかし、遺された者達は違う。
「何もしてあげられなかった」という後悔に苛まれ、失ったものの大きさに苦しみ続けるのです。

あまりに重くて冷酷な、紛れもない事実。
これは数多くの映画や小説などでも表現されてきた事実であり、多くの人が他人の自殺を止める際に使用する表現の一つでもあります。
しかし-あくまで私の経験上の話ですが、この事実は多くの場合、自殺志願者にとって何の救いにもなりません。なぜなら彼らは知っているから。「自分の死が誰かを傷つけてしまうこと」など理解し切った上で、なお消えたいと願っているのです。
それでもMattyはこの残酷な事実をこちら側に突きつけてきます。心の救いにはならずとも、少しの間だけでも自殺を思い止まるきっかけになることを願い、ただただ事実だけを突きつけるのです。

※3 「死んだら僕は僕じゃなくなるのかな」

原文は”Am I me through geography?”であり、直訳するなら「地理によって私は私たり得ているのか」といった文になります。
この曲の訳をいくつも未漁りましたが、geography の部分の訳は本当に人それぞれで「この場所」や「生まれた土地」など様々な訳が見受けられた印象です。
そんな中で私はgeographyを今生きているこの世界だと解釈しました。
「この世を通じて私は私たり得ている」のならば「この世から消えた私は一体何者になるのだろう
みな一度は考えたことのある疑問かと思います。
死んだらいつかは忘れ去られ、私が歩んだ時間も少しずつ無かったことになり、最終的には私が生きていたという「事実」自体がこの世から消滅してしまう。
そんな普遍的な恐怖。
死を覚悟した者なら尚更強く感じるこの恐怖を、敢えてブリッジの最初に持ってくることによって「死にたい」という想いへの理解を示す。
たった一言、ただそれだけのこと。
ですがそれによって、最後に待つ「消えてしまいそうならやってみるだけでいいんだ」という希望のメッセージが現実味を帯びるのです。

最後に

いかがでしたでしょうか。
明確に否定することも肯定することもなく、ただ「死にたい」という気持ちの側に居てくれる。
そんな美しくて優しい『自殺についての曲です。
私がそうだった様に、一人でも多くの人がこの曲に救われることを祈っています。
では。

リンク

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?