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【小説】ピエロなシエロのおかしなおはなし Part.14

〜忘れていた罪の味〜

 閑散としたバーで、ルーフェは一人なんだか落ち着かない様子で佇んでいました。

 平日のど真ん中ということもあり、普段は賑わっているそのバーも今日は閑古鳥が好みそうな空気を漂わせています。

 よくよく考えたらあの子未成年よね、わざわざバーを指定してくるなんて。

 チラチラとこちらを伺う様子の他のお客さんの視線に、ルーフェはソワソワと髪をいじります。

 それにしても、なんで・・・

「お待たせ」

 ハッとして目を挙げると、そこには昼間に出会ったあの不可思議な女の子が美しい笑みを浮かべて立っていました。

 ルーフェはまたもや突然に現れたその女の子に驚き、口を開くことができませんでした。

 バーの店員もその場にふさわしくない女の子の登場に眉をひそめています。

「ちょっと道に迷っちゃった」

 ペロリといたずらっ子のように舌を出したその女の子は、尊大に店員を呼びつけると「ブランデーにキャラメル落として。あ、あとシナモンも」と言い放ちました。

 店員は呆れた様子でため息をつくと「子供には出せない」と言いました。

 当然のことです。

 ですが、目の前にいるこの不可思議な女の子には通用しないようでした。

「失礼ね、子供扱いしないでくれる?」とその店員の目と鼻の先で指を突き立てるとボッと火を放ちました。

「うわっ」

 その店員は驚いて危うく尻餅をついてしまうところでした。

 何やらぐちぐちと言いながらも大人しく引き下がった店員を満足げに見送ると、その女の子はルーフェの方へと向き直り姿勢を正しました。

「私はシニコローレ。お気づきの通り、魔女よ。あ、シニーでいいわ。みんなそう呼ぶから。よろしく。ルーフェ・オーレンワッフさん」

 可愛らしい顔とは似ても似つかないほどに妖艶な空気を漂わせたその声は、確かに魔女の声そのものでした。

 ルーフェは初めてお目にかかる魔女という存在になんだかドキドキワクワクとし、思わず見惚れてしまいました。

「よ、よろしくね。私魔女に会うの初めてだわ。なんだかドキドキしちゃう」

 ルーフェは自身の中で好奇心がむくむくと立ち上がるのを感じました。が、あんまりジロジロと見るのは忍びないと思い、せめて大人としての振る舞いはきちんとしようと姿勢を正しました。

「お、お待たせしました」

 先ほどの店員が魔女のお酒を恐る恐るといった様子で運んできました。

「どうも」とまるで貴族のように高く鼻を上げ傲慢にそう言った魔女は、またもやふふっといたずらっ子のような顔で笑いました。

「どうかしたの?」

 何がそんなにおかしいのでしょうか。

 ルーフェは彼女の笑顔につられて思わず口元を緩めています。

「ビビりすぎでしょ。いっぱしの男のくせに、情けない」

 あどけなさの残る少女のその物言いにルーフェは思わず吹き出してしまいました。

「乾杯」

 二人はなんだか気が合うのかもしれません。

 ルーフェの抱えていた不安はもうどこにもありません。

 今はただ、目の前にいる不思議で魅力的な女の子との時間にワクワクと心を躍らせています。

「あー甘い。美味しい」

 ふぁーっと豪快な飲みっぷりを披露したその魔女は満足げに息を吐き出します。

 そんな様子を微笑ましく見守るルーフェはまるで母親にでもなった気分です。それとも歳の離れたお姉さん、といったところでしょうか。

 とにかくルーフェはすでに目の前の幼い魔女に魅了され、美味しい林檎のカクテルと共に心地の良い時間を過ごしていました。

「早速だけど」と魔女が姿勢を正します。

 カランコロン。

 男性の方が一人、慣れた様子でバーカウンターへと腰を下ろしました。

 すると続いてその後ろから、今度はカップルがやってきました。

 目の前の魔女はどうやら幸運の招き猫のようです。

 周りに聞かれるのを嫌ったのか、その魔女は少しだけ身を乗り出して、また少しだけ小声で話し始めました。

「昼間にも言ったけど、シエロのこと。彼が今どんな状況かって知ってる?」

 幼い魔女の真剣な眼差しにルーフェは多少気圧されながらも、首を振りました。

「全然。幼い頃は近所だったしよく遊んでたけど、気がついたら関わりもなくなってたわ」

 まぁ子供の頃のことだしそんなもんか。とまるで自分が子供ではないかのように呟く魔女に思わず笑い出しそうになりますが、ここで笑うと怒られてしまいそうなので我慢です。

 少しだけ何かを考えた様子の魔女ではありましたが、意を決したように口を開きます。

「単刀直入に言うけど、彼いまピエロなの」

 魔女の唐突の話にルーフェは思わず耳を疑いました。

 シエロが、ピエロ?

 これまた突拍子もない話です。

「ほんとよ」

 まるでルーフェの心の中を覗き込んだかのような目をした魔女が言いました。

「覚えてないかしら?幼い頃にシエロに意地悪されて、それでルーフェさんが怒った。その時なんだかしちめんどくさい魔法が発生して、彼ピエロになっちゃったのよ」

 面白がるようにクスクスと笑いを噛み殺しながら話すその内容に、ルーフェは耳を疑いました。

 魔法?私が?

 確かになんだかシエロと喧嘩をしたような気がしますが、なんだかよく覚えていません。

 ルーフェはあまりにも突拍子のない魔女の話に首を捻りました。

「なんとなくだけど、シエロと喧嘩したことは覚えてるわ。けど私が魔法を使ったってこと?その魔法のせいでシエロはピエロになっちゃったの?」

 現実味のない話にルーフェはなんだかぼんやりとしてきました。

 ただ単にお酒が回ってきただけかもしれませんが。

 ちびちびとブランデーをすすっていた魔女はまん丸の眼鏡をキラリと光らせて笑います。

「そういうこと。まぁ魔法を使ったって言っても事故みたいなものね。問題は、シエロはやりたくもないピエロになってしまったってこと。それと、罰として甘いお菓子を食べられなくなっちゃったってこと」

 ふふっとまるで目の前でピエロが面白おかしく道化を演じているのを見ているかのように笑う魔女は星形のウィンクを飛ばしてきました。

 カツンっと星の当たった額を撫でたルーフェには、まだまだわからないことだらけです。

「ピエロを演じ続けなきゃいけないってこと?罰って?」

 まるでどっちが子供かわかったものじゃありません。

 幼い子供特有の「なんでなんで期」に戻ってしまったかのようです。

 魔女はことの成り行きをまるで子供に言い聞かせるかのように、優しくゆっくりと話してくれました。

 それは、まだ幼い二人の間に起こったいざこざが原因によるものでした。

 純真無垢なゆえに起こったいわば事故的な魔法だったとのこと。

 残念ながらルーフェに魔力がある、といった類の話ではないようで少しだけ落胆したのはここだけの秘密です。

 そして、きっとその時、たまたまルーフェはピエロに関心があり、また相手の一番大切なものを奪ってやりたい、もしくはその時の喧嘩の原因となったものが憎い、と思ったため、結果的に魔法をかけられたシエロはピエロを演じざる追えなくなり、また大好きだった甘い焼き菓子を食べることを魔法によって禁じられた、というのです。

 それはその喧嘩の時以来、今に至るまでずっと続いているとのことで、シエロはもうかれこれ二十年近くもピエロとして放浪をしているらしいのです。

 しかもかの有名な『幸運のピエロ』デシデリオだと言うではありませんか。

 なんて奇天烈な話なんでしょう。

「ざっとまぁこういう話なわけ。どう?思い出した?」

 ルーフェは酔いの回ったぼんやりとする頭を微かに捻りました。

 喧嘩をしたところまではまだわかりますが、それ以降の話はとても現実の話だとは思えません。

 それでも、きっとこの幼い魔女の言う話は本当なのでしょう。

 根拠などありませんが、この子が嘘を言っているようには思えませんし、嘘をつく必要も思い付きません。

「えっと、それでどうして私のところに?魔女ならその魔法も解いてあげられるんじゃないの?」

 目の前の幼い魔女の元に店員がお酒を持ってきていました。

 いつの間に注文したのでしょうか。

 魔女というのはやはり不思議なものです。

「ありがと」

 幼い魔女は嬉しそうにグラスを手にするとクンクンと匂いを嗅いで満足げです。

 ゆっくりと少しだけ口に含むとうっとりとした表情を浮かべます。

 こちらまで香ってくる匂いからして焼き栗のお酒でしょうか。

「甘いものが好きなのね」

 ルーフェのその言葉に、幼い魔女は声を上げて笑いました。その笑い声は年相応の可愛らしい声でなんだかぽっと心が温かくなる響きでした。

「ふふ、違うの。ここんとこずっとシエロと一緒だったから甘いものを摂取する機会がなくて。ほら、なんだか忍びないじゃない?彼の前で甘いものを摂るのは」

 またもやペロリといたずらっ子のように舌を出して肩をすくめた魔女は、咳払いを一つさっきのルーフェの質問に答えました。

「えっと、ここに来たのはもちろん、ルーフェさんに会うためよ。その魔法ってやつが随分と厄介なもので、どうやらその魔法をかけた本人しか解けないってことがわかったの」

 ほんの少しだけ自慢げな様子でそう言った魔女は「でね」と話を続けます。

「シエロは本当に反省してるみたいで、ルーフェさんに謝罪したいんだって。だから、もしルーフェさんがよかったら彼の謝罪を受け入れてあげて欲しいの。そうしたら彼にかかった魔法を解くことができる。・・・どうかしら?」

 最後は子供のように伺うような上目遣いでそう尋ねた魔女は、真剣な表情をしていました。

 ルーフェは正直、もうあまりにも昔のことすぎて覚えていませんでしたし、気にしたこともありませんでした。

 が、自分が起こしてしまった魔法が原因でずっとシエロがピエロになっていたことを申し訳なく思い、静かに頷きました。

「もちろんよ。むしろそんなに長い間、彼を苦しめていたなんて、なんだか申し訳ないわ」

 ルーフェのその言葉に、幼い魔女は安堵のため息をつきます。

「よかったー。ルーフェさんが意地の悪い人だったら、どんな魔法をかけてやろうかと思った」

 そう無邪気に笑った幼い魔女に一瞬ドキリとしたルーフェでしたが、きっと自分がシエロに魔法をかけた時もこんな調子だったのだろう、となんだかおかしくなってきました。

「それで、シエロはどこにいるの?この街に来てるのかしら」

 ルーフェは酔い覚ましにお水を頼み、ふんわりとする頭をなんとか平行に保とうと努めていました。

 魔女はほろ酔い気味なのか頬をほんのりと赤らめ、上機嫌におかわりを注文しています。

「それがね、魔法のせいなのかこの辺りに近づけないようになってるみたいなの。だから彼は今、自分の家でお留守番。ルーフェさんの合意が取れたら連れてく、って話になってるわ」

 黙々と煙の揺れるお酒が運ばれてくると、幼い魔女はこれまた嬉しそうに匂いをたっぷりと吸い込んでいます。

 強烈なシナモンの香りがルーフェの鼻を突いてきます。

 なんだかクラクラとする匂いです。酔っ払いには少しだけ刺激が強いのかもしれません。

「なので、もしご都合よろしかったら彼の家まで・・・」

 ふと何か思い当たったかのように遠くを見つめる魔女の瞳が次第に大きく見開いていきました。

 何を見たのでしょうか。その瞳はルーフェを通り過ぎどうやらカウンターの方を見ているようです。

 ルーフェも気になって振り返りますが、そこには特に変わった様子もなく数名のお客さんたちが思い思いにお酒を楽しんでいるだけでした。

「どうか、したの?」

 ルーフェの問いかけにハッとした魔女はルーフェに手招きをし耳元に小ぶりで綺麗な唇を寄せました。

「ルーフェさん、最近なんか異様にモテてる?」

 突然のその問いかけにルーフェは思わず笑い出しました。

 が、そんなルーフェの口元を抑え、真剣な表情で問い詰めます。

「真剣なの、私。どう?『異様に』よ」

 わかったから、と魔女の手を退けさせたルーフェはふぅっと深呼吸をし、考えを巡らせてみました。

 酔いのせいもあってか、思わず笑い出してしまいましたが、冷静になってみると嫌に心当たりがありました。

そう、まさに『異様』なモテ方をここ最近、経験しているのです。

「ええ、確かに。『異様に』モテてるわね」

 ルーフェはここ最近、立て続けにあったお客様やエイマの恋人からの求愛のことについて、包み隠さずに幼い魔女に吐露しました。

 なんだかこんな幼子にそんな話をするのは少しばかり気が引けましたが、相手の真剣な表情にそう臆してはいられませんでした。

「なるほど」

 幼い魔女はそう呟くとどこからかタバコを取り出し、さっと手をかざして吸い始めました。

 今のも魔法だ。

 今更、喫煙を咎めるなんていう野暮なことはしません。

 だって相手は魔女なのですから。

 なんだか手品を見せてもらった気分で、まだ幼い女の子とお酒とタバコ、というアンバランスな光景に、ルーフェは目を奪われていました。

 タバコを吸っている間、目の前の魔女は何か思案しているようで、じっと動かずに眉間に皺を寄せています。

「ごめん、また近いうちに改めて会いにくるわ。その時、シエロのとこまで案内させてもらうわ」

 タバコを吸い終わった魔女は、そう言うと机の上にお金を置き、さっと立ち上がりました。

「え、ちょっと待って。もう行くの?」

 幼い魔女との時間を楽しんでいたルーフェは突然の別れの言葉に呆気に取られました。

 それはまるでお姉さんに遊んでもらっていた子供が、もっと遊んで欲しいと懇願するような顔でした。

 幼い魔女はまるで本当のお姉さんのように優しく微笑むと、「あぁ、そうだ」と腰に下げた巾着袋から一冊の本を取り出してルーフェに手渡しました。

「面白いからぜひ読んでみて。いい?毎日1ページでもいいから必ず読んでね」

 手渡された本は何やら随分と年季の入ったものでした。

 どんな内容なのでしょうか。

 ルーフェは思ったままにそう尋ねると、幼い魔女は「つまらない男が書いたつまらない話」とだけ言い、ニヤッと子供らしい笑顔を見せました。

「あぁ、あと、卵の黄身と自分にとって都合のいい人には気をつけて」

 幼い魔女は最後にそう言い残し、バーを後にしました。

 一人残されたルーフェは古臭い本を抱え、呆然と魔女の消えた扉の方をぼんやりと見つめていました。

 彼女の吸っていたタバコの灰が残る灰皿を見て、たった今、確かに魔女と一緒にお酒を飲んでいたことを確認したルーフェでしたが、ふと何か違和感を覚えました。

 その脇を一人の男性がため息をついて帰っていきます。

 恋人が待ち合わせに来なかったのでしょうか。

 再び灰皿に視線を戻すと、ルーフェはあることに気がつきました。

「あれ、吸い殻は?」

 まるで、またもや狐につままれた気分のルーフェは、仕方なく一人で帰路につきました。

 外に出ると大きなまん丸のお月様が煌々と輝いています。

 そんな夜空を無数のコウモリたちが楽しげに羽ばたいていました。

続く。

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