【エッセイ】気がつけば、必需品が増えてった
子供の頃は、手放せないものってありましたか?
僕は喘息だったので緊急時の吸引機が手放せず
体育の授業などで突発的な発作に見舞われた際、その吸引機をぶち込んでもらう
といった具合でした。
中学生になると勉強のしすぎでメガネが手放せなくなり
高校生になるとトレーニングのしすぎでプロテインが手放せなくなった。笑
大学生の時は、アメリカに住んでいたためどこに行くのも車が必須だったので
93年製のオンボロのロードスターが手放せなかった。
また、この頃からスマホというものを得て、今では依存症のような気さえしてくる。
社会人になると、身だしなみを整えるため
髭剃りが手放せなくなったり、愛想笑いというものが必須なものとなっていった。
また、ストレス社会のためかタバコも吸うようになり
今では立派なタバコ中毒者である。
その後、独立をして30を過ぎると
今度は体調不良のためにマスクや加湿器、空気清浄機といったものが手放せなくなってきた。
今では化粧水とか乳液も必須だし、日焼け止めはなくてはならないものになっている。
頭痛薬や扁桃炎の薬、そのほか細かい薬なども今ではしょっちゅうお世話になってしまっている。
歳を重ねるにつれ、日常生活を送る上で欠かせないもの、というのがどんどんと増えてきているように思う。
どれも当たり前のものではあると思うのですが
小学生の頃なんて、そのどれもがほとんどと言っていいほど
必要なものではなかった。
なんだかどんどんとつまらないものを背負うようになってしまったように思う。
そして、これからも恐らくまだまだそういったものが必要になってくるんだと思うとなんだかどっと心が疲れてくる。
本当なら綺麗に整理整頓をして、無駄だと思われるものは全て脱ぎ去りたいと思う。
が、残念ながら僕がしゃらくさいと思うもののほとんどが、なくてはならないものになってしまっている。
それらがないと穏便に日常生活が送れないようになってしまっていた。
そんなものたちに頼らなくとも、健全に生きていけるようになる。
とは、到底思えない。
僕の体はどんどんと劣化していっているのだから。
金もかかるしなんだか面倒もかかる。
これからもたくさんのものを拾い上げ背負っていくのだろう。
僕の親たちはどうやってその辺り、生きてきたのだろうか。
不思議でならない。
モノや情報に溢れているこの世界で
自由なようでとんでもないしがらみに絡め取られている僕は
このまま行くとどうなってしまうのだろうか。
叶うならこの身一つで旅にでも出たい。
けど、きっとすぐに体調を崩し蜻蛉返りとなってしまうのだろう。
なんとも悲しい話だ。
一つずつ、少しずつ成長をなんとか積み重ね、減らしていけたら嬉しいと思う。
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