見出し画像

行水の温度、記憶の不思議 | 日日雑録 / Aug.14

今日もまた凄まじい暑さの一日。
過去の気温を見ることができるサイトで、自分が中学生だったときの夏休みの気温を調べてみたのだが、ときおり最高気温35度なんて日があって、そんなに暑い日があったかなあと首をひねる。
記録なのだから、間違いなく35度まで上がった日はあったのだろう。
やはり記憶はあてにならない。

7月生まれの僕は「夏生まれだから、暑さには強いでしょう」とよく言われる。夏生まれだと暑さに強くて、冬生まれだと寒さに強いのだとしたら、春と秋に生まれた人はどっちにも弱いことになる。本当にそんなことあるんだろうかとこれまた首をひねることになる。
だいたい生まれたばかりの赤ん坊なんて、一生のうちでいちばん手厚く育てられるのが普通なのだから、暑ければ暑いなりに、寒ければ寒いなりに、赤ん坊の体を守るために気を使うはずで、夏生まれ=暑さに強いと数学の公式めいたことにはならないような気がする。
統計を取ったわけでもなく、ただなんとなく言ってるだけなんだろう。

実際のところ僕は夏の暑さにはめっぽう弱い。
小学生に入ってすぐの頃からスイミングクラブに通い始め、高学年になった頃には駆け出しの競泳選手になっていたから、夏といえば1日の大半を水の中で過ごすのが当たり前。
外気がどれだけ暑くても、プールの水がお湯になることはない。
朝っぱらから日が暮れるまで、毎日水の中にいるおかげで、僕は夏の暑さに直面することもなく育ってしまった。
今もまだその影響はしっかり残っていて、夏は苦手中の苦手なのである。

子供の頃の習慣はなかなか消えないもので、唐突に記憶が蘇ることがある。
今日のように暑い日には、僕は好んで行水をするのだけれど、水道管の中で温まった水が出てきたとき、「あ、これはどこそこのプールの水温と一緒だ」と40年も前の記憶と結びついたりする。
その記憶は実に鮮明で、どこのプールで、どんなレースで、その時のコンディションはどうで、結果はどうなったかまで、頭から温くなった水をかぶるやいなや、瞬時にすべてがフラッシュバックするのだ。

人間の記憶の仕組みがどうなっているのか、僕は浅学にして詳しくは知らないのだが、仮に記憶の小部屋みたいなものが脳のどこかに用意されていて、その一つ一つに丁寧に折りたたまれた記憶が、ある瞬間に一気に広がるような感覚がある。
もしそんな仕組みで記憶されているのだとしたら、一度、収納されている記憶をすべて見てみたいものだ。
きっと呆れるほどくだらないことを覚えているくせに、肝心なことを記憶している紙はしまわれていなかったりするんだろう。
自分の性格を顧みると、そうとしか思えない。
でも僕にとっては、その程度の取捨選択がちょうどいい。

ぜひサポートにご協力ください。 サポートは評価の一つですので多寡に関わらず本当に嬉しいです。サポートは創作のアイデア探しの際の交通費に充てさせていただきます。