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"修業” って、なんですか 1. 

※ こちらの内容は、ウェブサイト(現在は閉鎖)にて2016年~2019年に掲載したものを再投稿しています。内容等、現在とは異なる部分があります。ご了承ください。

業態は何であれ、昔は「美味しいものさえ作っていれば」というだけで、お店が成立する時代が恐らくあった。

“それだけで足りた時代” は、美味しいお店もいまほど多くはなかっただろうし、競合するお店も少なかった。だから美味しければ、そこまで足を運んでもらえたという時代の追い風があっただろうし、またそれは労働力の確保という面でも同様だったに違いない。

良いお店が少ないというのは、働く側にとってそれだけ選択肢が少ないということであり、そのお店でしか望む技術の習得機会がないのであれば少々のことは我慢をするしかなかった。そう思うと「修業だから」という言葉もそんな時代だから通用したと思えてくる。

また、この修業という建前があるからこれまで労働時間や労働環境といったものを特に問題視することなく長年やってこれたと考えれば、それなりに歴史があるはずの業界なのに、いろんなことが改善される様子もなく今日まで来ていることにも頷ける。つまり、長時間労働や公休日が少なかったり、最低賃金さえ怪しいといった条件が精神論などの暗黙の了解によってまかり通っている限り、それらが改善されることも恐らくない。

業種問わず喧伝される人手不足の課題にしても、もちろん少子化や労働人口の問題はあるけれど、それ以前に「職人仕事だから」という自尊心や自負心といったものが免罪符となっていたように思えてならない。職人さんだって、面倒なことを考えるよりも得意なことである良いものを作ることだけを考え、精神論を語っていた方が楽なんだから。

職人さんにとって長時間労働や休みも取らずに働くことが美徳であるかのような風潮が昔は確かにあった。冷静に考えれば明らかに悪弊だけれど、それに対しみんなが無頓着なおかげで必要悪としてまかり通る時代だった。
ところがこの数年の間にも時代の空気は完全に様変わりをし、それが職人世界であっても休みをきっちり取るのはもちろんのこと、いまや長時間労働は絶対悪となった。
もともと一般的な仕事と比較しても労働条件などで乖離のある業界なのに、時代の急激な変化によってその開きが益々大きくなったものの適応できず旧態依然としたままなのが業界の現状に見える。

こんな時代であってもパンやお菓子、料理をやりたいと思う人は潜在的に結構いるとぼくは思っていて、「やりたいけれど、その条件では」「その環境では」というのが実際のところなのでは、と思う。
労働環境や条件といったものを考える際、「職人仕事だから」「○○だから」「そういう業界だから」と言っている時点で時代とズレている気がするし、それを言い続けるのはもちろん自由だけれど、その会社やお店を選ぶかどうかは、結局働く側の人たちの見方、捉え方次第になる。

つづく


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