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せっかちな大阪人

多分、一般的に「関西人は、せっかち」というイメージがある。

人だかりの横断歩道で信号待ちの最前列にいる人や、信号が変わると同時にフライング気味にスタートを切る人を見かけると、あぁ関西人なんだろうなぁと思ったりする。
昨日述べた店員さんを呼ぶボタンを忙しなく押すおじさんがまさにそうだし、エレベーターの「閉」ボタンをカチカチと連打するのもおそらく関西人である可能性が高い。「ぼくもカチカチ押すけど、関西人じゃないですよ」という人が仮にいたとしたら、家系のどこかに関西人がいるはず、とまでぼくは思っている(無論すべて偏見である)。

ところが、こういったステレオタイプな関西人とされるものの多くは、実は関西人というよりも大阪人のことなのではないか。関西以外の多くの人が思い浮かべる関西人とは、大阪人のことなんじゃないかと思えてならない。
それほど大阪人の個性、インパクトは確かに強い。
だから「せっかち=大阪人」であり、「せっかち=関西人」というのは少し違う気もする。

関西弁に「いらち」という、せっかちや気が短いことを意味する方言がある。
耳にすることはあっても自分では使った覚えがないほどで、それを言っているのもぼくの知る限りほぼ大阪人だ。だから「いらち」も関西弁というより、どちらかといえば大阪弁なんだろうと思っている。

そこで、なぜ大阪人はいらちで、せっかちなのかを考えてみた。

結論からいえば、これはもう理屈でなく歴史や文化、環境がそうさせているのではないかと思う。
大阪は「儲かりまっか?」「ぼちぼちでんな」が挨拶のデフォルトかのように言われ、なにわ商人あきんどという言葉があるほど商人の街として繁栄した歴史がある。
江戸時代は天下の台所と呼ばれ、諸説あるけれど現代の証券取引所のルーツとされる世界初の先物取引市場が大阪の堂島米市場であったことは有名な話。
そんな時間やお金にシビアだった商人たちは、やはりせっかちだったであろうと想像するし、おしゃべりなのもその気質に由来している気がする。

また、大阪から連想するものの一つに粉もんと呼ばれるB級グルメがある。
これもさっさと食べてしまえる手軽さが、せっかちな大阪人の気質に合ったのではないか、そんなことをふと思った。そういえば、これはぼくも同じだけれど大阪人は東京の人のように食べもの屋さんの行列に並んだり、何時間も待つということをほとんどしない気がする。
他にも「動く歩道」が日本で最初に作られたのも確か阪急梅田駅だった。だとすれば、こんなものを作ろうと考えること自体、せっかちということではないか。
昔から大阪人がせっかちだったのは、間違いなさそうだ。

よく話題になる東京と大阪の見栄の張り方の違いに、「東京の人は高価な買い物を自慢し、大阪の人はいかに安く買ったか(値切ったか)を自慢する」というのがある。言い得て妙だなぁと感心するばかりだけれど、この表現の出どころはおそらく大阪で、東京の人を揶揄したものだろう。そして当の大阪人はこれを卑下や自嘲でなく、きっと本気でそう思い自慢しているに違いない。
こういったことは、もう大阪人にとってのアイデンティティであり矜持だとさえ感じる。
また誤解してはいけないのは、それが単にケチというわけでなく、良いものを安く手に入れる能力があるという審美眼や自尊心からの自慢だということ。
こういったことからも、やはり大阪という土地や人には、商人としての血が受け継がれているのだろうと思う。きっと、それゆえにせっかちなんだろうな。

知らんけど。

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