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ぼくとフランソワ・シモンさんの15年。 4.

※ こちらの内容は、ウェブサイト(現在は閉鎖)にて2016年~2019年に掲載したものを再投稿しています。内容等、現在とは異なる部分があります。ご了承ください。

BRUTUS冒頭には、こうも書いてあった。

『その過激さたるや、上司のお気に入りのレストランをこてんぱんにやっつけて大目玉を食らうなんてのは序の口で、批判されたレストランからの圧力でクビになりそうになったり、誰もが認めるシェフの中のシェフ、ジョエル・ロブションのレストランをこっぴどく批判して裁判沙汰になったり、と次々と問題を起こす。』

当時、ロブションさんのレストランといえば、ミシュランに限らずありとあらゆるガイドブックが最高点を付け、ロブションさん自身も ”20世紀最高の料理人” “フランス料理界の帝王” と形容される偉大なシェフだった。
「さぁ、これからフランスに料理を勉強しに行こう」としていた小僧のぼくからすれば、ロブションさんは料理界の生き神様といっても過言ではない。
そんなロブションさんを相手に裁判沙汰になることさえ顧みず批評をしてしまうシモンさんに驚くと同時に、惹かれる自分がいた。

ロブションさんはもちろん、日本人シェフに対するシモンさんの評価がどうであれ、彼らに対するぼくの憧れや尊敬の念は些かも変わらないし、無論書かれていることを鵜呑みにすることもない。そもそもシモンさんの文章はとても難解で、ぼくが正確に読み解けているという自信だってない。
それではシモンさんのどこに惹かれたのかを考えてみると、やはりミシュランなどその絶対的、不可侵的なものに対するアンチテーゼとしてのアイコン、フランソワ・シモンさんに惹かれたのだと思う。
圧倒的過ぎる強さや人気のヒーローを見ているうちにヒール(悪役)に肩入れや応援をしたくなる心理に近い。

多大な影響力を持つミシュランや万人が認めるような偉大なシェフの周囲には、取り入ろうとする人たちが大勢いることも容易に想像がつくし、またそれを否定したり批判することのできる人が少数派であるのも間違いない。
シモンさん風に書けば「付和雷同といったものが日本人の国技」のようにイメージされることが多いけれど、パリでもシモンさんが問題児扱いされていることを思うと、多少なりともフランス人にだってそれは当てはまる気がする。

ぼくの主観はどうであれ、このBRUTUSは反響が大きかったと思われる。
その証拠に、この特集から約半年後、1年も空けずしてBRUTUSは『フランソワ・シモン再び! 東京・関西7000円以下のフレンチを判定する。』という、これまた刺激的で心中穏やかではいられない特集を刊行された。

つづく

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