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ぼくとフランソワ・シモンさんの15年。 3.

※ こちらの内容は、ウェブサイト(現在は閉鎖)にて2016年~2019年に掲載したものを再投稿しています。内容等、現在とは異なる部分があります。ご了承ください。

テレビ朝日によるブラックタイガーの喧伝に勝るとも劣らないシモンさんの煽りページに気持ちを昂ぶらせながら、ぼくはゴングを・・・でなく、ページをめくった。
もちろんぼくの胸中は “タイガーマスク(日本のシェフ)、負けないでくれ” である。

結論から書くと大方の予想どおり、タイガーマスクvsブラックタイガーのような結末にはならなかった。ちなみに初代タイガーマスクは、引き分けることはあってもブラックタイガーに一度も負けていない。
じゃあシェフたちが負けたのか?といえば、それも違う。
そもそもプロレスとレストラン批評を並べ語ることに無理があるわけで、ぼくが比喩に使ったのは、観客側としてのぼくの胸中に過ぎない。それでは観客側であるぼくは、どういった感想を持ったのか。
正直に書けば、よくわからないけれど、めちゃくちゃ面白かった。

その内容は予想通りの辛辣さであったけれど(もちろん褒めているお店もある)、めちゃくちゃ面白かったというのも大前提としてエンタメとしての面白さであるし、何よりもまだ自分自身は看板を背負っていないお気楽な観客の立場であり、その矛先が自分に向いていないこともある。
それでも一方では、ぼくにとってのスターやアイドルとも言えるシェフへの辛辣なコメントに対する悔しさもそこには当然内包されていて、読み終えると高揚しながらも複雑で忙しない気持ちになった。
実はシモンさんの記事を読み終えたぼくは、すぐに再読している。
理由は感想に書いた “よくわからないけれど” 。

ぼくが目にするものは、もちろん原文でなく日本語に翻訳されたものだけれど、なんせシモンさんの文章、表現は難解を極める。
それはまるで観客(読者)の「あ~極められた・・・負けた」という心配をよそに、それまでに見たこともなかった関節技を極め、気づけば逆転勝ちしているアントニオ・ホドリゴ・ノゲイラやヴォルク・ハンの関節技並みの難解さでもある。
ノゲイラやヴォルク・ハンのことはわからなくてもシモンさんの文章を読まれたことのある方なら、きっとわかっていただけると思う。

それは相当な読解力を要するし、正しく読み解くためには知識だけでなく浮世離れした比喩に対する想像力さえも必要に思える。
批判されているなぁと思いながら読み進めていくと、あれ、これは褒められているのか?と思ったりその逆もまた然り。
こういった表現がフランス人(というよりもパリジャンのような気もするけれど)特有の言い回しや表現の仕方のためなのか、シモンさん個人の資質によるものなのかはわからないけれど、誌面の中でシェフからの反論として同様のことを指摘されている方がおられることを思うと、日本人にとって難解な表現であることには違いないと思う。

この文章の難解さや批評という ”いけずさ“ については、シモンさんが登場された次号のBRUTUSでご自身がいみじくもおっしゃっていた「皮肉を言ったり批判をすることがフランス人の国技」ということなのだと思う。
とはいえ、個人でリスクを取ってまで人生をかけ築いて来られたお店に勝手にやって来て、不特定多数に向けた媒体で勝手に批判される当事者が憤懣遣る方無い気持ちになるのは至極当然のこと。
評論、評論家というものに対する是非については、ぼく個人の持論や見解もあるけれど、ここでは書きたいことから逸れるので割愛させてもらう。

何はともあれ、二度に渡り一語一句見落とさないように読み終えたぼくは、フランソワ・シモンさんのファンになっていた。

つづく


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