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打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか? 後編

「今度会えるの、2学期だね。楽しみだね」

やはり何度も観てしまう。そして、切ない余韻を残す。きっと、これからも見続けるに違いない。

「小学生」「夏休み」「プール」「夏祭り」「花火」「美少女」と、これだけでも名作になりそうな予感がするワードなのに、これを映像美の技巧に定評のある岩井俊二監督が演出をされたとなれば、当時から否が応でも期待は高まり、そしてその作品は、それを軽く凌駕するものになった。

最初にテレビドラマとして放送されたのが、31年も前なので当然古くはあるけれど、いまもまったくというほど色褪せない。
作品自体は何年経とうが当然変わらないけれど、こちらはそれだけの歳を重ねているため受け止め方の印象がその時々によって変わってくる。そういった意味では、古い作品のはずなのに新鮮さすら感じることができる。
またそう感じるのは、映画や音楽といった創作作品において普遍的なテーマである「夏」という季節を扱われたことも大きな要因だったに違いない。

ちょうど子どもと少年の狭間くらいの感性豊かで好奇心旺盛な小学生たち。
そんな少年時代にしか経験できない夏休みの1日を、岩井監督の叙情的な映像美によって巧みに描かれる。それは遠い昔、誰もがかつて過ごした夏の想い出の情景を鮮やかに蘇らせ、もう二度と戻らない少年時代に思いを馳せ、郷愁に駆られる。
 
ぼくは以前からこの作品をとても日本的な映画だと感じていた。
季節のうつろう感じが岩井監督の日本人としての感性に深く影響している気がする。それは受け手であるぼくにも「日本人で良かった」という思いを呼び覚まさせるものでもある。またこういった作品に、夏という季節が使われ続ける理由であるとも思う。そういえば、万城目さんが先日の直木賞を受賞された少し切ない物語も「八月の御所グラウンド」だった。
花火は儚く短い夏の終わりを告げるように刹那的で、こうも切ない気持ちになる。そんな設定を凝縮したかのような本作は、子どものころのアルバムのようで、だから繰り返し手に取ってしまうのだと思う。

女の子とのデートよりも男同士の約束を優先してしまう男子の気恥ずかしさといった演出が、奥菜恵さん演じるヒロイン「なずな」の妙に大人びた印象を際立たせ、この年頃の男子と女子の精神的年齢差を巧く表現されている。実際、この時点で奥菜さんは14歳だったそうだけれど。
それにしてもこのときの奥菜恵さんは、得も言われぬ美しさと可愛らしさだった。
当時、若手だった女性俳優さんたちが岩井監督作品への出演を希望した人が多かったという話を何かで読んだ記憶があるけれど、それも頷ける。さすが少女漫画ファンの岩井監督だけあって、女性を美しく撮るのが巧い。
でもこの作品は、やはりあのときの奥菜恵さんでなければダメだった気がする。

クライマックスである夜の学校へ忍び込み、プールへ入るシーン。

一緒にきた典道に、「ねぇ、ねぇ、見てよ、墨汁みたい」と言いながら服のまま夜のプールに入るなずな。しばらく様子を見ていたものの、何かを悟ったかのように飛び込む典道。夜のプールで戯れる2人。
もうここしかないというタイミングで、挿入歌であるREMEDIOSさんの「Forever Friends」が流れる。これがまた、切なさを助長する素晴らしい曲。

照明が反射し輝く水面から顔だけを出し、空を見上げるなずなと典道。
この場面、奥菜恵さんが美しすぎて、やはり彼女でないと成立しなかったと思った。

そして「今度会えるの、2学期だね。楽しみだね」と告げ、なずなは去って行く。
この美しいクライマックスシーンは、強くぼくの記憶に残った。
しかし、こういった映像や音楽はやはり感傷的にさせる。ただただ、切ない。

次は、夏の終わりにまた観よう。


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