線でマンガを読む

線でマンガを読む『売野機子』

マンガにおいて描かれる「美少女」とか「美人」の典型は、以下のようなものだろう。

(左:『火の鳥』手塚治虫  右:『恋は雨上がりのように』眉月じゅん)

まず、目がとても大きい。顔全体の面積のかなりの部分を占め、瞳への光の入り方やまつ毛なども細かく描かれる。反対に鼻や口はできるだけさりげなく配置される。鼻の孔や唇は省略される。これは手塚治虫の時代から連綿と続くお約束だ。マンガ家の「キャラクターを描くときに、一番力をいれるのは、目」という旨のコメントは枚挙にいとまがない。キャラクターの美しさは目に宿る。逆に、ある作家がマンガの慣習に抗して瞳以外のパーツに力を注いでいるのであれば、そこにはある固有のメッセージが潜んでいるのではないか。

売野機子『ルポルタージュ』がおもしろい。2033年の日本では、結婚は恋愛を“飛ばし”て行われる。恋愛はときに痛みや苦しみをともなう。近未来の人々の多くは、それをデメリットととらえている。若者の7割は恋愛を行わず、「お互いのメリット デメリット 希望 条件 先々の人生プラン」を話し合ったうえで、人生の「共同経営者」たる合理的な結婚相手を見つけることが主流となっている。そうやって結婚したカップルは、恋愛結婚したカップルよりも、「おだやかで安心できる良い家庭」を作ることができるという。現実の2018年においても、こういった発想に共感できる部分は多いにあるかと思う。「婚活」をドラスティックに進化させたような考え方だ。

(『ルポルタージュ』売野機子)

このような結婚観に基づいて運営される「非・恋愛コミュ—ン」というシェアハウスにて凄惨な事件がおこる。テロリストが住人8名を殺害、20名以上を負傷させたのだ。主人公である新聞記者、青枝聖(あおえ ひじり)はテロ事件の真相を追いながら、取材で出会ったひとりの男性と恋に落ちる。この、青枝聖の顔の描写に興味ぶかいところがある。上述のマンガのお約束に則して、主人公相応の美しい女性として描かれている。しかし、作者の売野は聖の顔にちょっとした工夫を加えている

(『ルポルタージュ』の主人公、青枝聖)

まず、半目気味の瞳。結婚が合理的に行われるという考え方が主流の世界にあって、聖はそのクールな価値観に多少の違和感を抱いている。かといって、自ら心を動かし、恋愛を行うことも避けてきた。その宙ぶらりの気持ちが、この眠たげな瞳に現れている。そして、鼻梁にかかる細かい線。これはマンガの様式にできるだけ沿ったかたちで、キャラクターのビジュアル的魅力を維持したまま、かつ鼻についての読者の注意を喚起する、という目的のために加えられたのではないか。

鼻は、人間の感覚器官の中で特異なポジションを占めている。においによって昔の記憶や感情が瞬時に呼び起こされる、という現象があるが、それは嗅覚が、視覚や味覚といったほかの感覚と異なり、合理的で分析的な機能を司る大脳新皮質を経由せず、それより古い、大脳辺縁系という人間の情動を生み出す場所へと直接つながっているからだ。そういうメカニズムを知らなくても、「鼻が利く」といった言葉から、私たちは理屈よりも直感にすぐれた人物を想起する。合理的な思考の枠外、本能に近い感覚にうながされ、恋愛に身を委ねてゆく聖のキャラクター性を示すために、売野はその鼻梁に斜線を引いたのではないか

本当に恋愛は不必要なものなのか、合理的な思考によって人々は恋愛を完全に捨てることができるのか。多数派から離れて、恋愛という方法を選択したマイノリティである聖が、悲恋愛者を狙ったテロ事件をめぐり、何を見出すのか。物語の行方が気になるマンガだ。

write by 鰯崎 友

※本コラム中の図版は著作権法第三十二条第一項によって認められた範囲での引用である。

『ルポルタージュ』売野機子 幻冬舎 バーズコミックス 2017~)

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