フェス犬

『線でマンガを読む』黒田硫黄

「恋人もいないし、クリスマスなんてなにも楽しいことないぞ!リア充爆発しろ」という方に、ぜひ読んでいただきたいマンガである。たぶん深い共感が得られることと思う。

黒田硫黄の『大日本天狗党絵詞』は、職業、学歴、恋愛などといった社会のステータスとされるものからはみ出た人間たちが、「天狗」を名乗り、やがて日本国を一大危機に陥れるカルト集団となる物語。怪しげな術を用いて天狗たちの長となる「師匠」と、主人公「シノブ」の師弟の愛憎の物語でもある。

『大日本天狗党絵詞』黒田硫黄 講談社 1巻 p.4

上の絵を見ればひと目で分かる通り、ダイナミックな筆使いで、力強い光と影のコントラストを表現する画風。夜、路地裏、ビルとビルのはざまに存在する、くらやみ。都市の光とくらやみの境界で生きる、主人公たちの姿が、剛胆な線によって描かれる。

『大日本天狗党絵詞』黒田硫黄 講談社 1巻 p.16

真っ黒に塗られた影が美しい。絵柄が社会的アウトローにまつわるストーリーを雄弁に語る。荒々しいタッチは、どことなく雪舟の水墨画の「乱暴力」(by赤瀬川原平&山下裕二)に通じるものがある。

『大日本天狗党絵詞』黒田硫黄 講談社 2巻 p.186

天狗たちは、普通の暮らしへの憧れを心に秘めつつ、それを押し隠し、自分たちは貧しくとも信念をもって生きているのだと、主張する。やがて彼らは徒党を組み、力を得る。

天狗党が「ふつうの人々」への憧憬を裏返した憎悪を拠り所に、日本を転覆させることを目的としたカルト集団へと変貌してゆく過程で、師匠とシノブは自分たちのありように違和感を覚えてゆく。

組織が大きくなれば大きくなるほど、「ふつうの人々」を憎む理由が、自分たちの醜い劣等感に基づくものであることに、否応なく気づかざるを得なくなるのだ。それを嫌ったシノブは組織を去るが、師匠はそのまま天狗の長に祭り上げられ、道化を演じることとなる。その末路は予想通りに滑稽で、悲哀に満ちたものとなるだろう。

『大日本天狗党絵詞』黒田硫黄 講談社 3巻 p.118

黒田のマンガで、もうひとつ押さえておきたいのが、カメラの魚眼レンズを意識した構図。これも大胆でかっこいい。

『大日本天狗党絵詞』黒田硫黄 講談社 1巻 p.200

『大日本天狗党絵詞』黒田硫黄 講談社 1巻 p.232

瓦のズバーっと迫ってくる感じが、痛快なのだ。黒田は映画好きとしても知られているが、このあたりの手法は、なんとなくヌーヴェル・ヴァーグの実験精神を彷彿とさせる。乱暴で実験的、『大日本天狗党絵詞』は、黒田にとって初めての長編。デビュー間もないころに描かれた作品ならではの、こわいもの知らずの勢いに満ちている。

その後『茄子 アンダルシアの夏』というスタジオジブリの映画にもなった短編や、TVドラマの原作『セクシーボイスアンドロボ』など、マンガ界のみならず他のメディア関係者たちにも大きな刺激を与える意欲作をリリースしてきた黒田硫黄だが、2000年を過ぎたあたりから作品発表のペースが衰え、今ではすっかり寡作のマンガ家になってしまった。

私は黒田の大ファンであるので、この10年、いつももどかしい思いでいる。ときどき本屋にならぶ黒田の新刊を、宝物でも見つけたかのように手にとってレジに持ってゆくときの喜びは何ものにも代えがたい。先日ひさしぶりに出た単行本も面白かった。私は黒田の新作を常に待ち望んでいる。

※本コラム中の図版は著作権法第三十二条第一項によって認められた範囲での引用である。

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