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磯辺のおばあちゃんと僕の青春

和歌山県のアメリカ村こと、三尾は、岬の先端にある小さな村です。電車の最寄り駅の御坊から10km以上、海辺のクネクネ道を通らないと三尾にはいけません。

スーパーに行く、コメリ(ホームセンター)で木材を買う、コメダ珈琲店で人と会う、何かにつけて隣町に単車(原付バイク)を走らせていました。

村から隣町へのクネクネ道を抜けると、真っ直ぐな一直線の道に出ます。右手には全長4kmの巨大な砂利浜「煙樹ヶ浜」、左手には江戸時代に紀州徳川家が造営した立派な松林と綺麗な景色が広がる道です。

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そんな道の脇に小さな祠とお社があります。側の石碑をみると「磯辺観音」と書いてあります。

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なんてない小さな神社。東京でもたまに道沿いにちょこっとお社があるなんて風景は実は見慣れたものなのかもしれません。写真には写っていない奥に「おふどうさん」真ん中に「観音さん」そして右側にちょこんと「みーさん(蛇の神様らしい)」が鎮座しています。

この神社は通るたびに見かけても誰も見かけず、町のMAPにも、google mapにも載ってない小さなお社でした。三尾に住む人でもこの神社のことを知らない人がいるぐらい、影の薄い小さな神社でした。

ある日、いつものように隣町で用を済ませた僕は、単車に揺られながら一本道を走っていました。するとその神社の前に一台のママチャリが置いてあるのを見かけました。使い古したママチャリの脇には芝犬が一匹。その奥にお社の前で箒をはく1人のおばあちゃんがいました。

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おばあちゃんの名前は今でも知りません。磯部観音で出逢ったので磯部のおばちゃんと呼ぶようになりました。今まで誰も見向きもしてなかった小さな神社、そこを熱心に掃除をして、お花の水を入れ替えるおばちゃん。特に特別な特徴があるとかもなく(強いて言えば着てる服がナニワ感抜群)普通のおばちゃんでしたが、影の薄い神社に人がいることが珍しく、話しかけることにしました。

話しかける前に、まずはお参りをせねばと、お社の前で手を合わせて拝みます。するとおばちゃんもお参りする若者がめずらしかったみたいで「若いのに珍しいね」と声をかけてくれました。これは会話のチャンスだ!と話しかけようとする僕を遮るようにおばちゃんは僕に言いました。

「裏の竹、取れるか?」

ふと、お社の奥をみると斜面からお社に出っ張るように竹の枯れ木がおばちゃんの手が届かないところに落ちていました。これは男手の出番だと手を伸ばして竹を拾って、邪魔にならないところに移動させました。

拾ったついでにおばちゃんに話を聞くと、おばちゃんは毎日夕方、自転車を押して愛犬と一緒に磯辺観音まできて、綺麗にしていると言います。

ほうきとちりとりで枯れ葉をどかして、
雑草を抜いて、
お花を入れ替えて、
お社の手前に花壇をこさえて、

息子の1人(今はタイにいるらしい)が遊びにきた時には神社の屋根を直してもらったらしい。

おばちゃんは毎日神社を綺麗にしています。普通は神社を綺麗に保つのは宮司の仕事か、村の総代の持ち回りの仕事なことが多い。そこで何か町で役職についているのかと聞いてみると、おばちゃんは横に首を振りました。
「別に何か総代とかじゃない。なんとなく毎日掃除してるのよ。」

なるほど、となると、生まれ育った町の神社だから思い入れがあるんですか?と聞いてみるとまたしてもおばちゃんは横に首を降りました。
「私は大阪でずっと旦那と会社をやってたのよ。こっち(美浜町)に越してきたのは20年前。」


磯辺のおばちゃんは、20年前に大阪から仕事をやめて、余生を美浜町で過ごしていました。ずっと大阪の下町でいわゆるツマミを作る工場を夫婦で切り盛りしていたそうです。子供を3人育て、1人の息子が会社の跡を継ぎ、夫婦で仕事をやめて、美浜町の余生を楽しんでいたのです。美浜町にきてから夫婦で散歩を楽しむのが日課になり、いつの頃からか、旦那さんが磯辺観音の世話をみるようになりました。そして、おばちゃんも花壇を植えてみたりと段々神社の面倒をみるようになりました。数年前に旦那さんは亡くなったとおばちゃんは語っていました。その後は愛犬と共におばちゃんは毎日散歩がてら自転車を走らせ、磯辺観音を綺麗にしていました。
おばちゃん以外に磯辺観音にお参りする人はごくまれで、でも、ほんの二、三人必ずお参りする人がいるそう。半年や一年に一回、お参りに来る人もいる。毎月17日に必ずやってきてお花を入れ替えてくれる人もいるらしい。願いがかなうから、みんながやってくる。そうおばちゃんは語りました。


さらに続けておばちゃんは、
「ここはね、欲で成り立ってない。だから、ご利益があるんや。」
大きな神社でもなく、書物に残るような由緒があるかどうかもよくわからないでも、ここには欲がない。大きなお社を建立しよう、寄付を募ろうと言う欲がない。だから、ご利益がある。大きな神社を敵に回すようなおばちゃんの大胆な発言に笑いながらも、確かになと思いました。


それからと言うものの、通りかかっておばちゃんがいるときはバイクを止めて喋るようになりました。会うたびにおばちゃんは「なんでまだおるんよー」「もう帰りたくないか?」と聞いてくるので、僕は「いや〜ここの生活楽しくて〜」「正直帰りたくないです笑」と返していました。
その度にしていたのは、たわいのない話だったかもしれません。おばちゃんの大阪時代の話を聞いたり、おばちゃんが行きつけのカラオケ屋の話をしたり、なんてない会話かもしれませんが、それが僕の意外と多忙で色々と大変だった田舎暮らしの息抜きの時間でした。
おばちゃんも僕が神社のまえで話しかけると「あら、にいちゃんまだおるんか」と笑顔で出迎え?てくれました。時に教訓を、時に冗談を織り交ぜながら、「世界にいかなあかん」「人への感謝を忘れたらあかん」と言うおばちゃんの姿はとても凛としていてカッコよかったです。

コロナ禍の時期になると、「まだおるんか?」と聞いていたおばちゃんも「こんなことになるなんて思わなかったわ。にいちゃんこっちにいて正解やったな」とか、「ずっといてたらいいのに」とちょっと話す内容も変わってきてびっくりしたり。
僕は僕であえておばちゃんがいそうな時間帯にバイクを走らせてみたり、おばちゃんがいなくても磯辺観音の前にバイクを止めてお参りしたり、、、

ある時にはおばちゃんに観音さんの前で会うとニヤッとしながら、
「ちょっと待っときな」
とお社の裏からどでかい蛇の抜け殻を取り出してきたり。

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生で初めてみるヘビの抜け殻に驚く僕と、なんでか知らんけど得意げなおばちゃん。僕は「磯辺のおばちゃん」とよび、おばちゃんは「にいちゃん」と呼ぶ。おばちゃんと僕が観音様の前で過ごす時間は、今振り返ると、とてもアオハルな風景だったかもしれません。

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さて、そうこうしているうちに僕が復学する9月末が近づいてきました。ある日、おばちゃんにあって自分が9月に帰ることをいうとおばちゃんはこう言いました。

「あらま、岩永くんがいなくなるのは寂しいなぁ」

あれ?

なんで俺の名前知ってるん?

「そりゃあんた、新聞に色々載ってるじゃないの(ローカル紙に色々な機会に載せてもらっていました。)」

あ、そっか、と言うことは僕の大学とかも知ってるんですね笑

「ダイヤモンドヘッドに居候している東大生ってここらじゃ有名やで〜」

実はこのおばちゃん、新聞で僕のことが載ってないか逐一チェックしてくれていたみたいで、最近僕が何をやっているかとか、東大生だったこととか、色々知ってくれていました。いつも話すことと言ったらもっとたわいのないことだったり世間話ばっかりだったので僕のことをめっちゃ詳しく知ってくれているおばちゃんにはとても驚かされました。
そんなおばちゃん、僕の方をむいて真剣な面持ちで一言。

「来週、ご飯かかき氷、食べようよ」

帰る前に2人でご飯を食べよう。冗談半分で言ってた話をおばちゃんは本気で考えてくれていました。こうして、僕は帰る直前に磯辺のおばちゃんと近くのレストランで一緒にご飯を食べることになりました。

そして当日、その日は帰る直前にやれることをやろうと言うお誘いを受けて、午前中にイベント、午後2時から打ち合わせという超ハードスケジュールになってしまっていました(今思えば完全に自分のスケジュール管理ミス)。そして、午前中のイベントが正午ぴったりに終わり、待ち合わせの時間に間に合うように大慌てで着替えて準備をしてレストランに向かいました。

しかし、結局僕は、15分ほど、集合時間から遅れてしまいました。大慌てで店内に入ると、食事を楽しむ家族連れや主婦の人たちの中で、

ポツンと、

いつも以上にド派手な服を着て、

口紅をつけておめかしをして

丸テーブルに座っていました。

楽しみにしてくれているのに、どうして余裕を持って会えなかったんだろう。今振り返っても、すごく後悔が止まりません。

テーブルに近づき、おばちゃんに深々と頭を下げると、いつも凛としたおばちゃんは柔和な笑顔を浮かべて、座りなと言ってくれました。

おばちゃんの優しさに救われ、その後レストランでお昼を食べながら、これが美味しいとか、午前中何をしていたのかとか、いつものようにたわいのない話をしました。

ただいつもと違うのは、散歩着ではなく、おばちゃんがおめかししていること、そして、いつもは凛として、時にはトゲのあるような口調のおばちゃんが、優しい笑顔で、穏やかな口調で話を聞いてくれたことでした。

食べ終わって、会計をする前におばちゃんはポツリと僕に言いました。

「こんな年下の彼氏とデートするなんて思いもしなかったわ」

このnoteを読んでいる人はこの言葉を聞いてどう思うかわかりません。でも、いつもいつも、たわいもない話をしていたおばちゃんからその言葉を聞いた時、

僕はとても、とても嬉しかったです。


いつもは自転車のおばちゃんもレストランまでは遠いので単車(原付バイク)で来ていました。愛犬の芝犬を後ろカゴに乗せ、ヘルメットを被ったおばちゃんは僕に一言。

「帰る時に、観音さんの祠の中に連絡先を入れておいて。それでわかるから。」

そう言って、おばちゃんは単車で帰っていきました。

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磯辺のおばちゃんと僕は、僕が三尾に行っていなければ、磯辺観音で掃除をするおばちゃんに話しかけなければ、おばちゃんが親切に話し相手になってくれなければ、会うこともないし、お互いの存在を知ることもなかったでしょう。


そして、九月下旬、三尾を離れ、東京に戻る日になりました。当日、ゲストハウスのオーナーは別件で不在で、シーグラス作りのおばちゃん(前回のnote参照)が車で駅まで送ってくれることになりました。

車が、浜辺のグネグネ道を抜けた時に僕は頼んで車を止めてもらいました。路肩に止まった車から降りて、道沿いの階段を上がって、観音様の前に経ちました。

「今までお世話になりました。」

観音さんを拝んでから、祠の扉を開けて、そこに僕の名刺をおいて、そっと扉を閉めました。

慌てて車に戻る途中にふと磯辺観音の方をみるとおばちゃんが綺麗に整えた花が綺麗に咲いていました。

こうして、僕と磯辺のおばちゃんの深いっちゃ深いし、何気ないっちゃ何気ない不思議な関係に一度、幕がおりました。

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未だに僕は磯辺のおばちゃんの本名を知りません。

次会えるかどうかもわかりません。

あのデートの時、何を思っていたんだろう。

もっと話したいことがあったんじゃないだろうか。

思いは積もる一方です。

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次に三尾に帰り、一本道を通る時には祠の中を覗いてみようと思います。

なんとなく、そこに答えがあるような気がするから。


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