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ホネホネサミット(2023/10/21~22)



1.初めに

 おはようございます。こんにちは、こんばんは。IWAOです。10/21~22に、大坂自然史博物館にてホネホネサミットが開催されました。今年も大坂自然史博物館で開催されるイベントに行きたいと思い、私は、「客」として参加しました。今回のブログでは、このイベントで面白い、学びになると思ったことを記述します。
 また、ここで紹介されたブースの出展者の情報・リンク先も記載します。フォローの方も、是非、よろしくお願いいたします。

2.構成

 ここでは、ブースの出展者、団体の名前を記述します。盛口満氏、木嶋健志氏、佐々木蒼汰氏、名古屋大学博物館、富士ストランディングネットワークの方の出展を紹介させていただきます。また、彼らに関係する研究・著作等もここで取り上げていきます。
*紹介させてもらった方々のリンク先等は、最後の「8.まとめ」にて紹介させていただきます。もし、このブログを読んで興味を持った方がい余したら、是非、フォローの方をよろしくお願いいたします。

3.盛口満氏

 盛口守氏による展示は、南西諸島や沖縄に生息する生き物の骨が中心に展示されていました。私が特に注目したのは、西表島の「貝塚」から出土した骨になります。私は、貝塚から出土した生き物の骨を実際に見たことも触ったことがありますが、それは、全て「本州の遺跡」から出土したものになります。南西諸島と本州の貝塚から出土した動物の骨を見て、触り、私なりに感じたことは、「生態系が違う」ということをすぐに悟りました。本州の貝塚から見つかるものもあると思いますが、まず、手に入りにくいものが圧倒的に多いのではないかと思います。
 本州の場合(*立地によって、採取される魚類は変化します。)では、汽水域と淡水域に生息する魚類を主に利用し、沖合で獲れる魚を多く利用する傾向が高いです。それゆえ、魚類の分類を行った際、「クロダイ属」、「スズキ属」、「コイ目」に加え、「サバ」や「イワシ」のような産卵のために沖合へと遡上する魚も多く確認されます。つまり、今の私たちが食卓で食べる時にイメージするものが多いということです。

*小竹貝塚から発掘された魚を例としてご参照ください。

*私のブログの朝日遺跡の漁労の内容も参考になります。

 一方の西表島の貝塚から出土した魚を見た場合、「ブダイ」や「ベラ」の出土が目立つという点が異なります。これは、本土の貝塚との違いにもなります。盛口満氏は、別の著作で、ブダイとベラをサンゴ礁を代表する魚たちであると述べています。実際に生きた個体は、色鮮やかなものが多いのが、特徴です。ベラの場合、カニや貝を主に食べ、ブダイの場合、サンゴに付く藻やサンゴそのものを食べます。両者に共通することとして「固いものを食べる」ということが挙げられます。それゆえ、顎の骨を見たら、太くて固いものを持っています。固い顎だけでなく、「咽頭骨」を喉に持ち、こちらでも獲物をかみ砕いています。また、両者は、分類的にも近い者同士です。

ナポレオンフィッシュ(前上顎骨・左)です。
彼らは、ベラ科に分類されます。
こちらが、メガネモチノウオ(別名:ナポレオンフィッシュ)です。
(*ニフレルにて撮影)
ベラの一種、クギベラです。
(*みなとやま水族館にて撮影)
ブダイ(前上顎骨・右)です。
ブダイ(咽頭骨)です。

 ブダイやベラ以外にも多くの生き物の骨が出土しており、ハタ、サメと思われる椎骨、ウミガメの甲羅、リュウキュウイノシシの顎…などが出土していました。ホネホネサミットで展示されていた西表島の貝塚は、今からおよそ400年前のものと考えられています。その上、沖縄独自の生物だけでなく、ウシや馬などの家畜も見つかっています。このことから、狩猟採取と農耕が混合した社会になり、それが、貝塚に現れたということになります。時代が現代にやや近いということもあり、西表島の自然と社会を同時に見れる所が、非常に興味深いと思います。

ハタ(歯骨・左)です。
アカウミガメの骨です。
リュウキュウイノシシの下顎(右)です。
軟骨魚類の椎骨です。(*私は、サメと思っています。)
馬の歯です。

・ジュゴンの骨から感じ取るメッセージ

 私が、この展示で最も注目した展示が、「ジュゴンの骨」になります。ジュゴンの骨が一つだけでなく、頭骨、助骨、環骨…などと多くの部位の骨がありました。私は、鳥羽水族館でジュゴンを見たことがありますが、それ以外で、ジュゴンに触れる機会が生まれるとは思いもしなかったので、見れたのは、ビックリしました。ここで、展示されていたジュゴンの骨は、1個体分かなと思っています。

中央にあるのが、頭骨で、右側に見えるのは、子供の骨です。
つまり、親子で獲られたのではないかと考えられています。
ジュゴンの頭骨の一部です。
復元された模型と合わせて撮影しました。
環骨です。
首の一番初めに当たる部分の骨です。

 もしかしたら、これを見て、驚いた人と以外に思った方もいるかもしれません。それは、「ジュゴンは、もう絶滅したのでは?」という疑問が生まれたからだと思います。では、何故、貝塚からジュゴンの骨が見つかるのでしょうか?答えは、「ジュゴンが利用できるほど、数がいたから」ということになります。つまり、過去は絶滅の危機あったわけではないということです。そして、貝塚からジュゴンの骨が見つかるということは、ジュゴンは、「人に利用されていた」ことを示しています。
 ジュゴンは、人魚のモデルになったと言われ、現地の神話にも登場することは有名です。ただ、ジュゴンは、神話だけの存在ではありません。考古学や歴史学では、グスクの時代やそれよりも前の時代で、骨が威信材や権威材、サイコロの道具などの形で幅広く利用され、琉球王国時代には、ジュゴンの肉が、王朝へ献上するために利用されてたことが明らかになっています。下の写真を見てほしいのですが、「31」となっている骨の中央に穴が開いています。これは、サメ・エイ類の骨ですが、ジュゴンの骨もこのサメ・エイ類のように威信材として利用されていたと考えられます。ここまでの記述で、ジュゴンは、人との距離が遠いの生き物ではなく、身近で利用される存在であるということが分かります。

サメ・エイ類の骨で、別の貝塚から出土したものです。
31で、穴が開いています。
これは、ネックレスのようなものとして利用されたと考えられます。
(*朝日遺跡ミュージアムにて撮影)

 しかし、ジュゴンが、絶滅の危機へと向かうようになったのは、明治時代以降からです。琉球王国時代では、琉球王国がジュゴンの利用を独占し、一部の住民が献上する以外で厳しく制限されていました。琉球王国の統治がなくなったことで、ジュゴンの利用の制限がなくなり、ジュゴンの狩猟圧が一気に強まりました。この狩猟圧の大きさが、ジュゴンが大きく数を減らした要因と言われています。戦前の段階で、ジュゴンはほぼほぼいなくなってしまったのですが、わずかに残っており、そのわずかに残った個体が、数を減らしつつも現在に至っています。
 では、現在のジュゴンは、守られているのかというと、決してそのようなことはなく、むしろ、とどめを刺しにいくようなことが行っています。それが、「辺野古への移転」です。この問題をジュゴンにのみ当てはめた場合、ジュゴンの生息には、「海草(*ジュゴンが食べるものは、ワカメのような藻ではなく、アマモのような草です。)」が生える場所が必要で、辺野古の移転は、ジュゴンの生息地を破壊する行為です。ただでさえ、開発の影響も上乗せで、生息地が減らされ、数も減っている(*10頭もいないのではと言われています。)のに、さらにジュゴンを追い詰める行為を行っているとしか言えないことをしています。
 誤解を招いてはいけないため、補足させていただきますが、私は、「憲法9条の改正の反対」や「軍拡反対」を主張するためにジュゴンの現状を書いているわけでは決してありません。今の日本の国際情勢や安全保障を考えた場合、軍備を強化することや沖縄での防衛力の強化や基地の建設が行われるのは、当然のことであり、避けられないことでもあります。私が、為政者・行政の立場であった場合も、沖縄での防衛力の強化をどうするべきかを本気で考えます。
 しかし、私が、このジュゴンの問題を非常に危惧しているのは、別の理由があります。それは、「過去の失敗を繰り返している」からです。過去のブログで、二ホンアシカについて、以下のようなことを書きました。

二ホンアシカを含め、絶滅した動物たちは、クローン等で生き返らせることよりも絶滅した理由を正しく知り、同じことを繰り返さないための「教訓」として生きなければならなりません。つまり、私は、絶滅した動物から求められるのは、「生きている姿をもう一度目にする」という姿・形あるものをただ取り戻すことよりも「反省」することで、社会や人々の意識を変えるきっかけになることの方が大切だと思います。

https://note.com/iwao2205/n/n59c9ba187821#f200dc20-1fe8-4f95-a784-a63936b324e2

 二ホンアシカは、日本人にとって身近な存在であったが、狩猟圧の増加で、絶滅させてしまいました。狩猟圧が原因で絶滅した生物は、二ホンアシカだけでなく、日本オオカミ、ニホンカワウソも同じです。これを聞いた場合、今のジュゴンもまったく同じ破滅の道を進んでいると感じませんか?つまり、生物を絶滅させないという教訓を学ばず、反省もしていないと言わざるを得ません。
 
これだけでなく、沖縄を含めた琉球諸島には、独自の自然が作られ、世界的にも貴重な存在でもあります。それゆえ、琉球諸島の自然は、場所によっては「世界自然遺産」にも指定されており、沖縄本島の北部がそれに該当します。ジュゴンが生息しているであろう地で世界遺産に認定されているのに基地を作るとは、どういうことなのでしょうか?
 ジュゴンに加え、石垣島では、リゾート地を作り、カンムリワシの生息地を破壊しようとしています。石垣島は、世界遺産に指定されてはいませんが、石垣島の自然も非常に貴重なものです。ここまでの記述で、「世界遺産」「自然」をブランド品、観光資源として利用し、使いつぶしをしまうのではないかと危惧せざるをえません。琉球諸島の自然を観光などを通して見てもらうことは、非常に大切だと思いますが、いかに琉球諸島の自然を後世に残しつつ、観光資源としても世界自然遺産としても価値を守り、維持し続けることが、求められているのではないかと思います。

 私は、盛口満氏のことを詳しく知らなかったのですが、立ち寄った本屋で、偶然『沖縄のいきもの-1000を超える固有種が暮らす「南の楽園」』を手に取った時に、著者に会うことができたと非常に嬉しくなり、即買いし、サインもいただきました。

いつか読みたいなと思っていた本を偶然書店で見つけ、サインを頂きました。
いつか読もうと思ったのですが、サインを貰ったせいで余計に読めなくなってしまいました…ww

*こちらに盛口満氏の著作を紹介させていただきます。簡単で気軽に読めるものを紹介させていただきますので、是非、ご覧ください。

4.佐々木蒼大氏

 彼は、「鯛の鯛」を集め、展示していました。「鯛の鯛」とは、なんでしょうか?それは、簡単に言うと、「魚の肩甲骨」になります。より正確にいうと、「肩甲骨と烏口骨」を合わせた部分になり、これらの骨が、胸鰭を支えています。
 佐々木蒼大氏の展示の凄い所は、小学5年生から現在に至るまで、「鯛の鯛」を集め続けたことになります。継続的に集め続け、現在では150種分(*来館時の数。現在は、175種)を集めました。今回の展示では、ほぼ左側の部分を展示していました。

佐々木蒼大氏のイラスト解説です。
これは、私のコレクションです。
実際には、このような形でくっついています。
(*ブリの右に当たる。)
佐々木蒼大氏の全ての展示品です。
ここまで集まっているのには、驚きました。

 この「鯛の鯛」の面白い所は、まず、「魚の種類によって形が違う」という点が、挙げられます。私も魚の骨を集めていますが、どの部位を見ても「特徴的な形をしているな」と感じることが、とても多いです。また、非常にユニークな形をしているものの場合、属どころか、種まで特定できるものもあり、「鯛の鯛」でも、それは、同じことです。
 次に、この「鯛の鯛」は、「縁起物」として扱われていたということです。解剖などで見た場合、分類でどう違うのかを見分けるポイントになりますが、「縁起物」として見られる場合、民俗、歴史、文化が大きく関わため、そこから見えるものもさらに広がると思います。
 「鯛の鯛」から見えることの奥深さもすごいのですが、何よりも、「バショウカジキ」や「アカメ」などと、見たくても見ることのできない魚がいたことにも非常に驚きました。隅から隅まで集めているなと驚きます。

佐々木蒼大氏のコレクションの一部です。
日本三大怪魚のアカメを見れるとは、思いもしませんでした。
まさか、バショウカジキも見れるとは思いもしませんでした。
佐々木蒼大氏は、どの魚が気に入っているのか?と聞いた所、
「ホウボウ」と答えてくれました。

 彼が集めた鯛の鯛の中でも、私が最も驚いたのが、「コクチバス」の鯛の鯛です。コクチバスは、最近、岐阜県の長良川で密放流されたものが見つかり、大きなニュースになったことが、記憶に新しいと思います。生きたままでの持ち込みが、法的に厳しく禁止されている上、密放流の関係で、コクチバスそのものの入手も難しいと思われるため、よく手に入れたなと驚かさざるをえませんでした。正直、私は、欲しくてたまりません。
 佐々木蒼大氏に作った際に、何を感じたかを聞いてみた所、「日本にいない魚だからこそ、違いをよく感じた」と答えてもらいました。コクチバス、オオクチバス、ブルーギルは、スズキ目サンフィッシュ科に分類されます。ただ、サンフィッシュ科は、北アメリカで独自に進化した系統であるため、日本の在来種で該当するものはいません。それゆえ、「違い」をよく感じたのではないかと、私は思いました。

コクチバスの鯛の鯛です。
携帯もですが、全体的に厚さが薄いと感じました。

 佐々木蒼大氏に関するインタビュー記事があります。こちらも是非、ご覧んください。

5.名古屋大学博物館

 名古屋大学博物館の展示では、「化石」「標本」「遺跡の出土品」の3点が、中心でした。私が、この展示で興味をそそられた展示は、2点あります。
 一つ目は、ヨコエソの化石です。このヨコエソは、「深海魚」です。深海魚というと、色々いますが、このタイプの深海魚の特徴は、「発行すること」です。そもそも深海魚が、化石として見つかるとは思いもしなかったので、深海魚の化石が見られることだけでも十分に驚きました。ブースにいた学生から教えてもらったことですが、愛知県、岐阜県では、深海の生き物の化石が発掘される地層があるそうです。そこから見つかったと聞きました。どこの博物館かは、聞きそびれてしまいましたが、深海魚の化石が展示されている所もあるそうです。是非、見に行きたいですね。

こちらが、ヨコエソの化石です。
拡大画像です。
赤枠で囲った部分に点々が見えると思います。これが、発光器官です。
こちらは、ムラサキホシ
こちらも、口の辺りに発光器官を持っています。
(*名古屋港水族館にて撮影)

 次に、興味をそそられたのが、「朝日遺跡」の動物骨です。こちらは、盛口満氏の項でも、過去に私が、朝日遺跡の漁労について記述させてもらいました。ここで展示されていたのは、「弥生時代前期の遺物」だということです。私のブログを含め、朝日遺跡とは、どのような遺跡だったのか?という所で多く書かれるのは、弥生時代中期頃、朝日遺跡が発展したであろう時期になります。朝日遺跡自体は、弥生時代全般を通して存在しましたが、前期の方では、1970年代と以外にも古い時に掘られたものもあります。つまり、普段は、あまりスポットが当たらない上、一般でも見れるものを見ることができたという意味では、非常にいいものが見れました。

クロダイ属、ナマズ属の骨と鳥の骨です。
二ホンジカの骨です。

6.木嶋健志氏

 彼は、佐渡のイタチの生態について研究されている大学院生です。今回のブースでは、「佐渡のイタチと外来種である本土イタチとの関係」についてが、中心で、他にも佐渡にいる国内由来の外来種(国内外来種)の展示について紹介されていました。
 紹介された研究内容は、「佐渡」のイタチでも「アイランドルールが適用されるのか」という点になります。まずですが、「アイランドルール」とは、なんでしょう?これは、「島嶼化」のことを指します。島嶼化とは、「島に移った生物が、大陸・本島と比較した際、巨大化または矮小化すること」を指します。多くの生き物に当てはまる現象で、化石種になってしまった生物でも島嶼化の影響があったのではないかと考えられるものが多いです。(EX:ツダンスキーゾウ→ミエゾウ→アケボノゾウの流れなど)その上、今の日本でも確認される現象で、日本本土に生息するカブトムシと離島に生息するカブトムシでは、離島のカブトムシの方が、小柄になり、角も小さいことが確認されています。

この写真のカブトムシは、我が家のカブトムシです。

 イタチで、当てはめた場合、日本のホンドイタチと大陸のチョウセンイタチでは、体の大きさ、形態で違いがあることが分かっており、これは、島嶼化の影響であると考えられます。これを日本列島とその離島、ここでは本土と佐渡島が該当します。つまり、佐渡のイタチと日本本土のイタチで、どのような差があるのかを研究し、その成果をホネホネサミットで公表したということです。佐渡のものと本土のイタチの骨の部位の33か所を計測し、本土と佐渡でどのような違いがあるのかを発表していました。
 佐渡のイタチは、全体的な体サイズでホンドイタチ(*日本海側)と比較した場合は、ホンドイタチと差がないため、アイランドルールが適用されないということを発表していました。ただし、計測した33か所のうち、3か所で違いがあることが分かり、下顎骨は佐渡のイタチの方が長く、大腿骨の幅が短いのが、違いです。その違いは、何故生まれたのかを「食姓分析」で考えられていました。佐渡島の場合、本土のものよりも昆虫食を多く食べ、甲殻類や魚介類の摂食頻度が低かったことが分かりました。下顎の長さは、大きな昆虫を食べるために、大腿骨が短いのは、ハンティングコストがかからない昆虫を捕食するためと考えられます。
(*日本のイタチは最大3亜種に分けることができ、屋久島・種子島のコイタチ、伊豆大島のオオイタチ、それ以外のホンドイタチに一般的に分けられます。)

本土側のイタチです。
佐渡島でとれたイタチを含む骨です。

・国内外来種の侵略性の高さ

 ここでの展示で、注目される展示があり、それは、「国内外来種の脅威」です。佐渡では、イタチとテンが、外来種として問題になっており、移入された元は、本土の個体になります。
 佐渡のイタチは、過去には、移入種ではないかと考えられていましたが、在来種である可能性が高いです。しかし、本土のイタチが、過去にネズミ対策を目的で導入されています。ただ、ホンドイタチは、場所によっては、体が大きいものもいるので、そのような個体が、在来の佐渡のイタチを追いやったり、交雑する可能性が指摘されています。その上、ホンドイタチが、佐渡の在来種を捕食していることも問題視されています。
 テンの場合、本来は、林業の苗木を食べてしまうために、それを防除する目的で導入されたのですが、河川での優位種となってしまっています。競争排除が行われ、佐渡のイタチが、本来いた居場所がなくなってしまっています。
 外来種と生態系の問題で大事な点は、「その地域」の生態系をどう守るのかということです。国よりもさらに小さい、「地域単位」でどう守っていかなければならないのかを考えなければなりません。マスコミ、配信者での多く取り上げられる外来種の問題は、ブラックバスなどの「国外」の生物に焦点が当たってしまうのですが、「国内」由来の外来種でも「国外」の外来種と同質の問題が発生していることを忘れてはいけません。

*国内外来種について最も勉強になるのが、うぱさんのオヤニラミについての動画です。是非、ご覧ください。

*追記:マーシーさんが、佐渡島でガサガサをされた時の動画です。佐渡島は、本土とどのように違うのか、外来種が入り込んだ際の問題点は何かなど、非常に学びになります。是非、ご覧ください。

*私が過去に外来種についても記述したものがあります。こちらも是非、ご覧ください。

*ヒラタクワガタでも、島嶼化や外来種としての問題も取り上げています。こちらは、気合入りまくりで書いたので、是非、読んでください。
(*お願いいたします。)

・イノシシの定着は何をもたらすのか?

 外来種としては扱えないが、佐渡島にいてはいけない生物が、見つかりました。それは、「イノシシ」で、海岸で死体になっている個体が見つかりました。ただ、このイノシシは、少なくとも人が許可なく飼育して逃がしたということは、考えにくいです。よって、自ら佐渡島に泳いできたのではないかと考えられます。イノシシは、海を泳ぐことは、確認されています。そして、イノシシが、佐渡島に来たのなら、「どこから来たのか?」というのが、問題点になります。直観的に考えた場合、新潟県から泳いできたのでは?と思われるかもしれません。どこのハプロタイプかを調べた際、兵庫県~岐阜県のものに位置することが分かりました。佐渡島には、対馬海流が流れているため、泳いだと仮定する場合、対馬海流を伝ってきたのではないかと考えられます。また、自らの足でここまで来たとなったら、イノシシの移動能力の高さに驚きを感じえません。(*偶然、流された可能性も否定できませんが…)

漂着したイノシシの骨格標本です。

 現在、佐渡島にイノシシが定着したという話は、聞いていません。しかし、イノシシが、佐渡島に定着した場合、「イノシシとどう向き合うのか」という点では、非常に厄介な問題になると思います。今回の場合、イノシシは、「自らの足で生息地を広げた」ことになります。よって、外来種ではありません。しかし、佐渡島は、対馬海流が地理的な障壁となり、他の生き物の侵入は、容易ではありません。そこにイノシシが入ってしまった場合、イノシシに対して、何ら対抗手段を持たない在来種は、イノシシにニッチを奪われてしまうことが、容易に想像できます。イノシシの食欲、繁殖力は、尋常ではありません。そして、他の地域でもイノシシは、農業被害を出していることから、佐渡島の農業にも損害が出ることは、間違いありません。つまり、イノシシが、定着することで生じる損害は、非常に大きいです。
 では、イノシシが、佐渡島に定着した場合、完全に駆除を目指すべきでしょうか?しかし、駆除とはいいきれないでしょう。先程、説明したとおり、「外来種ではない」です。自らの足で移動し、定着したため、これを自然現象と見ることができます。人間が、本来起こらないことを起こしているわけではありません。先程の説明とは、矛盾したことにありますが、イノシシが定着することによっていい意味で「攪乱」が起こり、佐渡島の生態系が、いい意味で、生まれる可能性がなきにしもあらずです。そもそも佐渡島は、本来はアジアや日本の中の一部です。佐渡の在来種やその祖先種は、当然、イノシシやその祖先種とも共存していた時代があります。よって、佐渡の在来種が、イノシシに対して、何らかの対抗手段を持つのが早く、上手く関係性を築くことも想定できます。
 「自らの足で」移動した生物、まして、入れ替わりの少ないような島嶼などの場合、扱いが非常に難しいのと思います。自然現象だから、何もしなくていいと思うのも無理はないかもしれませんが、在来の生き物が、これまで作ってきた関係性を破壊するリスクも尋常ではないほど高いため、入れるべきではないという考えるのも、同然です。皆さんは、どう考えますか?

*Rickyさんの死滅回遊魚の動画も、このイノシシと本質的には、同じ問題をついています。こちらも是非、ご覧ください。

7.富士ストランディングネットワーク

 最後は、富士ストランディングネットワークの紹介になります。こちらの団体は、ストランディング、いわゆる鯨類の漂着を専門に扱う業者で、「大型鯨類」のストランディングをショベルカーなどの「重機」で行うのが特徴です。本来は、博物館や研究者がチームを組んでストランディングを扱うのですが、こちらに委託され、ストランディングの処理に加えて、学術調査も行っています。
 今回の展示で最も注目されるものは、「アカボウクジラ」の骨格です。このアカボウクジラは、ある点で哺乳類最強ともいえる能力があります。それは、何でしょうか?それは、「潜水能力」の高さです。深海に潜る哺乳類というと、皆さんが思い浮かべる生物は、第一に「マッコウクジラ」で、ダイオウイカと戦っている雄姿を思い浮かべる人が多いと思います。しかし、深海に潜る生き物は、アカボウクジラも同じです。アカボウクジラの場合、水深3000mを潜り、潜水時間が2時間近くあるというものです。識別が難しく、どのようなクジラなのかまだまだ謎の多いクジラです。漂着も少ないため、見つかった時は、ニュースにもなるくらいのものです。また、生きていた当時の映像も公開されていました。

アカボウクジラです。
ホネホネサミット最大の収穫でした。

 展示されていたアカボウクジラで、興味深い点があります。まずは、「雌雄が判別できた」という点です。下顎の先っぽの歯が目に見えるくらい出ていればオス、そうでなければ、メスと分けることできます。今回の標本では、歯がそこまで出てなかったため、メスと分かりました。シャチの背鰭の長さみたいに「性的二型」があるということです。その上、「骨盤」も出てきたため、メスであるより強固な証拠になったでしょう。
 他にも、「頸椎」が、注目されます。哺乳類は、頸椎が全部で7つありますが、クジラの場合、7つがバラバラになったり、くっついていたりとそのあり方が、バラバラです。特に、ハクジラの場合、全ての頸椎がくっついているもの1・2個の場合、3・4個の場合などと、こちらの方がややこしいです。アカボウクジラの場合では、「3つ」の頸椎が融合していました。「頸椎」が何個くっついているのかを確認するのも、クジラの骨を楽しむポイントです。

左側の歯がもっと出てくのが、オスです。
骨盤もあるため、これで、メスだと分かります。
赤枠部分が、頸椎です。
哺乳類は、この部分が、全てで7つあります。
アカボウクジラの場合、3つが融合しています。

 激レア種であるアカボウクジラ以外でも、注目される展示は、多くあります。死体袋も展示され、ストランディングした個体でも、イルカなどの小型の鯨類を運ぶ際に使用するとのことでした。

こちらが、死体袋です。
米軍が実際に使用しているものであるとの説明も受け、非常に使いやすいと教えてもらいました。

 まだまだ注目される展示があります。まずは、「マッコウクジラの脊椎の芯」です。これは、国立科学博物館の全身骨格の標本が展示されている個体のものです。吊り下げる際、脊椎の中の芯に金属を通すために抜かれたものになります。普通は捨ててしまうものになりますが、ここでは、あえて残しているそうです。この芯から、同位体、骨の年輪を調べたら、分かることが多いと感じますが、どうでしょうか。

国立科学博物館のマッコウクジラの脊椎の芯になります。
くりぬいた部分が、赤枠の部分です。
これは、私のコビレゴンドウの脊椎です。イキモニアで購入しました。

 次は、ザトウクジラの胸鰭です。ザトウクジラの胸鰭だけでも2mあり、十分にでかいことが分かりますが、よりすごいのは、この個体は、「メスの子供」だと判明していることです。指と尺骨の部分が軟骨になっており、骨として十分に固まっていないことが理由です。でかいものが打ちあがったというのもすごいですが、そこからさらに分かることがある。そこを突きつける研究者たちの凄さが分かります。

ザトウクジラの子供の胸鰭でも、十分なデカさがあります。

 以上が、富士ストランディングネットワークの説明です。クジラのストランディングを専門に扱う業者ですが、クジラのことを知ろうとなると、クジラを手に入れることが始まりですが、そもそもクジラは、私たちの好むタイミングでは、来ません。よって、クジラのことを知るのは、ストランディングというチャンスを逃すわけにはいきません。よって、クジラのストランディングを手に入れ、処理することが、非常に大切になります。ここでは、クジラから分かることだけでなく、どのようにクジラの処理をするのかも分かるため、現場を知るということで、学びが大きかったと思います。

8.まとめ

 以上が、ホネホネサミットの内容になります。最後にお聞きしますが、皆さんにとって「骨」とは、何ですか?自分の体で考えれば、「体を支える芯」になります。これは、「体の中でどのような役割があるのか?」について答えています。では、化石は、何でしょう?化石もどのような体の部位で、どう体を支えていたのかを考えますが、一番は、過去にどのような生物がいたのかを示す証拠です。貝塚の発掘では、過去の人間は、どのような生物を食べてきたのかを見るだけでなく、どう骨を利用していたのか、人間がいた時代でも、そこに何がいたのかが分かります。そして、骨の作りがどう違うのかを見ることで、生物の分類も分かる場合があります。つまり、骨を通して、「何を見るのか」で、見えるものと分かることは大きく違うということです。骨は、解剖学、生態学、考古学、環境、民俗学、古生物学、歴史学…と骨を通して見える世界は、非常に広いと感じました。つまり、骨は、私たちの世界を広げる入口です。私は、「生物」と「歴史」に興味がありますが、さらに世界観を広げてくれるイベントになったと感じます。もし、このブログを読み、さらなる興味を持ってくれる人がいたら幸いです。
 今回のイベントでは、実際の骨を触らせてもらうこともできました。骨は、細かく分かれ、部位ごとに名前と形が違い、種類ごとにもさらに違います。これを文献で覚えるのは、至難の業です。しかし、実物を見て触ることで、どのような骨で、どのような役割をしているのか、その感覚を持つことができ、理解がさらに深まりました。「百聞は一見に如かず」とは、このことです。

アカボウクジラを触らせてもらえました。
こんな日が来るとは、思いもしなかったので、嬉しかったです。
赤い丸の部分では、光が反射しているのが分かります。
骨から染み出た油です。かつては、生きていたのだと感じました。

 ホネホネサミットについては、以上になります。ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

9.リンク先

 ここからは、お話をお聞きした方々のTwitter、ホームページ等のリンク先を載せます。もし、興味のある人がいたら、閲覧、フォロー方をよろしくお願いします。
 また、私の質問に答えてくださり、ありがとうございました。

・盛口満

・名古屋大学博物館

・佐々木蒼大氏

・富士ストランディングネットワーク



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