【英会話習得は人生を豊かに】想像もしていなかったマイストーリー②

大切な人との別れ

「ジュリちゃん、落ち着いて聞いてね。」

2008年、春。深夜。

プルルルル。プルルルル。
携帯が鳴っている。

アメリカ留学先の学生寮で夢の中だった私は、
寝ぼけながら枕元にある携帯に手を伸ばした。

目をこすりながら見た
着信画面には、母の名前。

いつもメールで連絡を取っている母からきた
深夜の電話は、嫌な予感しかしなかった。

「ジュリちゃん、おじいちゃんが死んじゃったの。」

もうその後は、何を話したか覚えていない。

大好きだったおじいちゃんがいなくなっちゃった。


ルームメイトを起こさないように、
まくらに顔をうずめて泣き続けた。

どれだけ泣いていたかはわからないが、

カーテンのすきまから差し込む朝日を感じて
やっと顔を上げることができたのを覚えている。


衝撃的な事実


1年後の1周忌法事で
私は衝撃的な事実を知ることになった。

おばあちゃんがさりげなく発した
おじいちゃんの口癖。

「なんでジュリはアメリカなんて遠いところに言っちゃったのかな。」

私が留学に行ってから、
これがおじいちゃんの口癖だったことを。

もちろん、知らなかったのは、私だけ。

家族は私の反応を伺うように私の方を見た。

私は動揺を隠すために、
「おじいちゃんにアメリカに遊びに来てほしかったな」
など言っていたと思う。


「え、おじいちゃんの本音はそうだったんだ・・・」

時が止まったように、
私には家族の会話が全く入ってこなかった。

だって、私が知っていたおじいちゃんの口癖は、
「おじいちゃんはいつもジュリの味方だからね」

私が英語習得に苦労している時も、
英語で会計学を学ぶと留学を決意した時も、
おじいちゃんはそう言ってくれた。

おじいちゃんの優しさと愛を感じ、
涙がこぼれ落ちそうになり、
私はトイレへと駆け込んだのを覚えている。


”大好きだったおじいちゃんから離れて
私は何をやっていたんだろう”

留学したことを心の底から後悔した。

おじいちゃんとの時間を犠牲にしてまで
私は留学がしたかったのだろうか。

おじいちゃんの遺影を眺めながら、
自問自答を繰り返す私に、

おじいちゃんが優しく
話しかけてくれた気がした。

「ジュリの成長を見守ってるよ」

大好きなおじいちゃんには
もう会うことはできない。

でも、

おじいちゃんは
私の中に生き続けてくれる。

だから、

苦労して習得した英語と、
今学んでいる会計学は
私の人生の軸にしようと決意した。

おじいちゃんが誇れるような
自慢の孫でいるために。

この決意が、
私の人生を大きく変えることになる。

優秀生で卒業

私には目標が出来た。
アメリカで監査法人に就職すること。

そのためには、
成績を上げる必要があった。

テストの成績は、
ネイティブ学生より良かったが
問題はグループ課題。

発言しないと評価が下がる。

鼓動が隣の人に聞こえそうなほど
ドキドキしながら、思いっ切って伝えた。

"I am Japanese and my English is not good."

返ってきたのは意外な答え。
"Who cares! No worries!"

この瞬間、とても大切なことに気づいた。

英語はコミュニケーションツールで
完璧な英語なんて必要ないと言うこと。

発言できなかったのは、
完璧な英語を話さなきゃという
私の固定概念のせいだと。

それからは、
クラスメイトと学食でおしゃべりしたり、
クラスで発表もできるようになった。

私のキャンパスライフも
成績も右肩上がり。

卒業時には優秀生で卒業、
NY大手監査法人から内定をもらえた。

空を見上げて、心の中で呟いた。

「おじいちゃん、いつも見守ってくれてありがとう」

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