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私が愛したのは、嘘つきな貴方。

野球を嗜んでいるからだろう、肩や腕まわりに厚みがあり、手は少しゴツゴツとしている。球をたくさん握ってきた手のひらは硬く、ザラザラとしている。

首につけた肩凝り予防のループネックレスは先端にきらりと光るシルバーのペンダントがついており、一見、お洒落なネックレスにしか見えない。

彼の身体が揺れるのに合わせて、シルバーのチャームは光を纏いながら揺れ動く。彼の大きくて強そうな腕は私にこれほどなく優しく触れ、時に強く抱き締める。

彼の柔らかく丁寧で、時に荒々しい抱き方から奥さんの影を感じる。きっと数えられない程愛し合い、その過程で女性の扱いに慣れていったのだろう。奥さんが喜ぶポイントを知り尽くし、その経験を私に施しているんだと感じる。

「好き。大好き。」

彼の言葉に現在この瞬間だけ溺れていたい。ドロドロとした私たちの関係にいっそ窒息してしまいたくなる。

このまま閉じ込めていて。

彼との出会いは、友人とふらっと立ち寄った居酒屋だったーーー

「彼氏が私のことを好き過ぎるのよ。」
開口一番、友人は酔うと決まってこの言葉を口にする。数年付き合っている彼氏が自分のことを好き過ぎるエピソードを悠々と語り出すのだ。

「私が浮気しても彼氏は私を好きでい続けると思うよ。それ位好かれてる。」
自慢げに言い放つ彼女の顔は自信に溢れている。

「そんなことをしては誰であっても関係が崩れてしまうと思うよ。」
「もし彼の方が浮気しても私のところに帰ってくるなら私は許せる。最後に帰ってくる場所は絶対に私であるとも思う。」

半分呆れながら、彼氏のことを大切にしなさいよ。と彼女に釘を刺すと、店を変えて飲もう!今日は飲んで遊ぶぞ!と言うものだから、1mmも届かない言葉を彼女に送ることを諦めて店を出た。

しばらく歩くと店先からオレンジ色の光が漏れ、何やら店内が賑やかに盛り上がっている飲み屋を見つけた。

「ここで飲んだら楽しい気がするなあ。ちょこっとだけ中を覗いてみようか。」
彼女の宝箱を見つけたかのようなキラキラとした顔に負け、2人で店に入ると、小さなシックなカウンターと華やかに輝くボトルとグラスの数々。お酒を嗜みながら談笑する大人たち。そこはちょっとした娯楽施設のようだった。

こういった時の彼女の嗅覚とはすごいもので、必ずと言っていいほど彼女好みの男がおり、今回も例に漏れず友人と強い酒を嗜む男の姿があった。

男は3人。薬指に指輪が光るのは1人。
2人は独身なのだろうか。はたまた。

強い酒なんて興味も無いだろうに、彼女は積極的に私をカウンターまで引っ張ってゆく。目当てはもちろんウイスキーでもウォッカでもない。グラスを傾ける"男"のみ。

女2人が近寄ると、男が声を掛けてくる。大人の男性を連想させる香水を纏った男の指にはキラリと光るリング。
彼女は声を掛けてきた男に目も暮れず、好みの男性に熱視線を向けながらハイボールを2つ注文し始める。

あゝ、面倒臭い。
喉から出てきそうになる言葉をグッと堪えて、キリッと辛く、濃いめに作られた液体でその感情ごと流し込む。

「デートに誘ってもいいかな?」

背後から突如として声を掛けてきた3人目の男に驚き、思わずグラスを勢いよく傾けた。カランッと音がするとそこにあったはずのハイボールを体に流しきってしまったことに気付く。

「デート?初めてお会いして何も知らないかと存じますが。」
男は少し酔っているのか赤ら顔でにやりと笑う。
「知りたいから声を掛けている。」

中性的で子犬のような顔。ふわふわとした髪。笑うと目尻に少しの皺。老若男女問わず愛されそうな見た目を持つ彼は私の7つ年上だという。

私のことを知りたいなぞ嘘であろう。私については何も聞かず自分語りを始めた。仕事のこと。恋愛のこと。お酒のこと。趣味のこと。名前はタケルと言うこと。

この人はきっと自分のことが好きで自信家なのだとすぐに感じられた。こともあろうか私はそういったタイプの男性を好む傾向にある。ので、彼に興味を持つまで多少も時間はかからなかった。

その場にいた5人でハシゴ酒へ繰り出しては、しこたまアルコールを摂取して明け方頃に帰路へついた。

タケルからは幾度と飲みの誘いがきては、仕事終わりに飲みに出掛けた。

そんなことを2-3回繰り返した頃だろう。彼の口から1つの事実が告げられた。

「妻がいる。黙っていてすまなかった。」

これだけ魅力がある独身男性がいるのかと、心のどこかで感じていたからだろう。彼の言葉にすっと納得できた。

嫌われたくなかったと彼は言うが、きっと違う。最初の頃は火遊びくらいに考えていて、一度や二度きり。そんな風に終わらせようとしていたのではないだろうか。

それがいつの間にか。お互いに顔を合わせるほど、会話を重ねるほどに、惹かれあっていた。初めは私の想いのみが膨らんでいたのかもしれない・・などとと思ったものだけれど、次第に彼が私に愛おしそうな視線を浴びせるようになっていたことに私は気付いていた。

彼の人柄や笑うとくしゃっと皺のよる目元。私の視線を感じても返してはくれない意地悪なところ。奥さんがいることを黙っている小狡いところ。その全てにのめり込み、満たされることはないとわかっていながら、彼に心奪われていた。

ある蒸し暑い夜。外で杯を交わすのに、あまりにも気だるくなるほどの湿度を言い訳に、2人が休憩所を求めるなんてことは容易い。
酔いにかまけ、倫理なんてものはかなぐり捨て、目の前のこの男を自分のものにしたいという感情のみに支配された。

ーーーこうして冒頭へと行き着くわけだが。タケルがぎゅうと抱き締めるたびに、街中で感じられるような男性が身につける香水の香りが全身に纏わりつく。

この香りに毎夜毎夜包まれていたい。彼の身体に触れるたびに感じる罪悪感と背徳感。私に芽生える黒い感情のすべてによって、彼への気持ちを乱暴に自覚させられる。

「このまま時間が止まってしまえばいいのに。」

無意識に、しかし、ぽつりと口から溢れた言葉は意図せず相手の耳へと届いた。

「何年も。この先長い時間を一緒に過ごせる相手であったら嬉しいと思う。最後の。本当に最期の寂しい時間を埋めるのはお互いだったらいいのにと思うよ。」

そんな臭すぎるほどのキザな台詞を放つ彼。これまでの私なら小説に出てくるような言の葉を紡ぐ人を嘲笑っただろうに。こんなにもこの人に染まっていることに驚いた。

嬉しい。嘘つき。淋しい。
そんなことができるはずもないのに。あなたは一夜明ければ奥さんの元へとかえってゆく。いつも通りの暖かい家庭へと。

上手な立ち回り。嫌い。都合のいい優しさ。嫌い。はっきりとした二重。嫌い。男らしいがっしりとした身体。嫌い。嫌い。嫌い。
何より。あなたが愛しているのはあなた自身。そんなあなたが1番嫌い。

そして、こんな嘘をつく私自身が1番嫌い。

私の元をいずれ去ってゆくあなたにせめてもの仕返しとして。今日も汗ばむ身体中に私の証を刻み込む。

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